2006-11-09 命の洗濯?@秋葉原行き。_ 私の原風景のひとつである秋葉原。ここ数年でこれほどまでに変貌した街は無いだろう。 久しぶりに一人、秋葉原を散策した。たった半日であったが、これほどまでに気ままに一人、自由にアキバを歩いたのはすぐには何年ぶりかわからないぐらい久しぶりだ。 元駐車場だった場所にそびえるビル、小奇麗なブリッジ、メイドさん・・・ 私がはじめて秋葉原の地を踏んだのはかれこれ30年以上前、小学生のころ、親父につれていってもらったときのことだ。 ラジオセンターに足を踏み入れたときの感動は今でも忘れない。 電気街っていったって家電屋さんがたくさんあるだけだろうってタカを食っていた私は、パーツ屋のすごさに圧倒された。 『なんだこの空間は。どうしてこんなにパーツ屋さんばかりあるんだ』と狂喜乱舞したのは言うまでもない。 あまりの気迫に圧倒され、すっかりとりこになってしまった私は、小学生で小遣いも限られているという理由で電車賃を節約すべく、当時住んでいた川崎から国道15号で片道22Kmの道のりを、毎週自転車飛ばして通ったものだ。 実は秋葉原UDXに足を踏み入れたのは今日がはじめて。 時代の流れに逆らうつもりは毛頭ないが、私の秋葉原とは違った世界がそこにはあった。 しかし、私の秋葉原も、まだまだ探せば残っている。 しかし、私の秋葉原も、時代と共に希薄化していくことは確実だろう。 懐かしの店のいくつかは店をたたみ、ガード下の国際ラジオのある建屋の2Fにはメイドさんが居て、交通博物館は無くなってしまう今の時代だ。 30年以上前、家族で訪れた交通博物館。そのきわにあるラジオガーデン日米無線電機商会の店先でその当時売っていた巨大な磁石はそこだけまるで時間が止まっているかのごとく今日も相変わらず売られていたが、『割れやすいので注意!』『子供はいじるな』『割ったら買ってもらうぞ』という趣意の注意書きは無かった。こんなところにもう子供が来ることもないのだろう。店の主人も、子供に磁石を割られることが無くなって、気持ち寂しそうであったな。同じ場所に以前は店を構えていた篠塚さんもすでに現世には居ない。 なにかにつけて、自分の歳を感じる瞬間ってのはある。が、今日の秋葉原の散策ほど、時代の流れ、自分の過ごした時の長さ、自分が今居る世界の遠さを感じたことは無かったな。 今でも秋葉原は、私にとって大切な原風景である。 _ 本日の収穫。
ダイソー210円ヘッドフォンでヘッドフォンオーディオの世界に入門した私は本日、AKGのK501を購入するに至った。
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最新ツッコミ |
やはりVRはこだわりたいですねえ。でもRK27の100K以外はカタログ落ちしてます。<br>http://www3.alps.co.jp/cgi-bin/WebObjects/catalog.woa/wa/varietyList?language=japanese&country=jp&top_mode=2003&productId=4&varietyId=3
そうなんですよ。私も行きつけのパーツ屋さんで250KオームのAカーブ在庫を発見したときには即ゲットしてしまいました。まだまだあるって言っていましたけど、気が付いたらどこにも無くなってしまった2SB54みたいになると悲しいので、音が良ければ早めにキープっておきたいと思っております。
小学校4年が秋葉デビューで、高校生からアキバデパートでお好み焼き食べていざ出陣!、帰りは駅裏のラーメン屋で締めくくりがパターンになりました。秋葉行くと歩幅が変わるくらいワクワクして歩いたもんです。10年前、変化を察知して秋葉の街をVTRで撮りましたが、ホントに変わっちゃったのね。暫くぶりにVTR観ようかな。
kwsmさん、私も昨日なにを後悔したかって、デジカメ持ってなかったってことです。私にとっての原風景はわずかながら残ってましたが、完全に時間の問題のように思います。今のうちに撮っておかねばならないですね。<br>あの、元駐車場側に出たところにあった立ち食いラーメン屋(これがkwsmさん曰くの駅裏ラーメン?)も今は無くなっちゃいましたし、ラジオセンター2Fにあった山本無線は委託販売?アウトレット?コーナーになっちゃいました。でも、コイズミ無線は健在ですし、パーツ屋さんもまだまだ元気。ラジオガーデンまで離れれば、昔の秋葉原はまだまだ残ってます。