2007-09-13 変貌する業界事情。_ 微妙な違和感。デジカメの画質に関する仕事に携わっていると、当然ですがカメラの露光制御とセンサーゲインの関係などを熟知しておく必要があります。 某:「青木さーん、暗いところでちょっとおかしな現象が・・・」 私:「どのぐらいの被写体輝度ですか?」 某:「80ルクスぐらいなんですが・・・」 私:「露光条件は? AVは開放だろうけど、TVとSVは?」 某:「わかりませーん」 私:「???じゃ、取りあえず画像送ってください」 どうも最近ですね、カメラにあまり詳しくない人だけでなく、カメラを開発している現場ですら照度と輝度を混同している場面によく出くわすのです。 そんなとき私は心の中で 「たのむからEVで議論してくれ」 と思うのですが、最近照度で議論するのが流行なんですかね? そしてこの場合、被写体は暗黙的に18%の反射率を持つものという前提があってみな議論しているのかな〜と思えば案外そうでもなく、「青木さ〜ん、同じ200ルクスでもどうして解像度チャート撮影するとシャッター速度が高速になるのですか?」なんて聞かれたこともあるので困ってしまうのです。 確かに、日常のシーンでの明るさを表現するためにルクスを使うことはありだと思います。しかし、デジカメ開発に携わるエンジニアとして最低限度わきまえておかねばならない常識は、ルクスは照度であって、被写体輝度とは異なる。照射光が被写体に反射してデジカメのセンサーに届き、その被写体反射光を元に露出制御が行われるということです。 だから、同じ200ルクスでも、白い紙を見れば明るいシーンだとデジカメは判断しますし、黒い紙を見れば暗いシーンだと判断するわけです。 ルクスで露光制御を議論するときには、被写体の反射率を定義しないと議論が成り立たないということなのですね。 それに対してEVという値はこの被写体輝度を元に決定されますので、被写体の反射率に関係なくセンサーに入ってくる光の強さをダイレクトに表しているわけで、EV値はそのまま露光制御に当てはめて考えることができるのです。 真っ白い紙を画面全面に撮影した写真と、黒い紙を画面全面に撮影した写真を比べてみた場合、どちらも最適露光であればどちらも同じ灰色に写ります。わかりますよね? それがAEというものです。 画面全面に入れた白い紙を白く写すためには、2〜3EV露出補正してあげないと白くなりませんし、黒い紙の場合も、同様です。 _ かなりブルーな気持ち。ま、半分ぐらいは予想していたことなんですけどね。まぁ、物理現象に起因する層ってのはね、なにか小手先の対策したからって、そう画期的に数値が向上するわけはないのです。 こんな日の夜は、広瀬香美の歌声聴きながらしみじみするに限ります。 _ 安倍首相辞任。みなさん、政治家、国民問わずボロクソに言っておりますが、私としては、辞任を決め、それを意思表示した人のことは、そっとしておいてあげようよと思うのです。 くれぐれも言っておきますが、私は自民党にコミットするものでもなければ安部政権を支持していたわけでも全くありません。 しかしですね、まぁ、いろいろあるとは思いますが、一人の人間が自分の意思として、辞任を決めたわけですから、本人にしかわからない、それ相応の覚悟なり考えなりがあるはずです。 正直、確かに『なんでまた、今の時期にあんな理由で』という意味不明な感想は私も持ちました。でも、そこはぐっと堪えて、将来に向けての考察に労を割くべきでしょう。 辞任を決意したときの当個人の力量というものは、問うてはいけないことなのだと、私は思っています。 仮に、個人の力量が問題になるような結末になった場合、それは、当個人の問題ではなく、その個人がそのようなミッションに付くことになってしまった状況をもたらした廻りの人間達の問題なのだ・・・と、思います。 だから、今、あちこちで安倍首相に文句言っている人達は、次回選挙で自民党に投票しなければ良いわけです。 日本は間接民主主義だってこと、今一度、考えてみましょう。 もっと読みたい奇特なかたは、↓の読みたい月をクリックしてね。 |
最新ツッコミ |
ピーターの法則<br>「階層社会においては、その構成員は(各自の器量に応じて)それぞれ無能のレベルに達する」<br>というのを 改めて思い出しました。
代議制の限界ってヤツですかね。
それとは ちょっと違うような気もしますけど<br>そういう意味合いも十分にあるかな と思います。
議員=エライという明治時代依然の特権意識をとっとと無くして欲しいです、自分は。<br>まず議員を先生って呼ぶの無しにしません?呼んだら罰金1000円とか。<br>あと65歳定年にしましょうよ〜。天下り無しで。
まつさん:ピーターの法則とは確かにあんまし関係ないですね。ピーターの法則は、社会、あるいは組織の内での話ですものね。
rabbitmoonさん:議員がなぜ先生と呼ばれるのかは、私も長年不自然に感じています。<br>全然関係ないのですが以前、雑誌や本を執筆していたころ、編集部の人から「先生」と呼ばれたことがあります。当時の私はライターであって先生では無いので、「二度と先生とは呼ぶな」令を発しましたが、中には「先生」と呼ばれていい気になっている人も居ましたので、見ていて可笑しかったです。<br>意味不明に持ち上げられると非常に不愉快に感じる私でした。