2006-10-28 狂った大人達。_ 高校での必須科目履修漏れ。
あまりこういう話題には日記で努めて極力触れないようにしているのである(*1)が、これはあまりにも酷い。
大学入試をにらみ、指針を定める教育委員会も出始めた。岩手県教委は提出期限が迫っている場合、偽った内容の調査書をそのまま提出することを認める方針を示した。大学などには各高校から謝罪させ、すぐに調査書を差し替えて送るという。 苦渋の判断かもしれないとは思うけど、苦渋すぎないか? やっていることわかっているのか? 『偽った内容の調査書をそのまま提出することを認める』って、普通に考えてインチキ、ウソだってあらかじめわかっている調査書を、そのまま出していいわけないだろ。 民業だったら、例えば明日までに用意しないといけない調査報告書に誤りが見つかったら徹夜してでも正しい内容に書き換えて用意するのが普通だ。虚偽なんてのはそれ以前の問題。問題外。そんな当たり前のこともしないで仕事していたら、弱小『かにこむ』なんかすぐに干されて路頭に迷うこと確実だし、そうでない企業だって存続できやしまい。 教師総動員して全員徹夜してでも(補習計画などを添付した仮条件付記などしたものに)作り直してちゃんとしたものを提出するのが普通の判断じゃないのか? すぐに差し替えられるぐらいならそれぐらいやれ。それをやった上で、どうしても出来そうになかった時に備え、大学側に調査書提出期限延期などをお願いしてみるというのならわかる。それをだ。はじめから『偽った内容の調査書をそのまま提出することを認める』なんてことは笑止千万にもほどがある。上記引用元の記事によれば調査書って公印が押されているそうなので、これって立派な公文書偽造。しかもそれを、教育委員会自ら認めるって、どういう世界なんだ? 教育委員会の状況判断、問題解決能力ってこんな程度なのか? 意図的でなく自分が犯してしまった罪や、発生させてしまった被害というものは、自ら決死の覚悟で償ってこそようやく世間から相手にしてもらえるようになると私は思っているのだけど、私のこの感覚はむしろ特殊なのか? しかも今回の事件は明確に意図的だ。上記引用した岩手県教委の方針なんて、甘すぎどころか『やることやってんのか?』って思ってしまう私は異常なのか? 大学受験で学校ぐるみで不正を働き、教育委員会まで結託して違法行為とは、ますます狂っているとしか言いようがない。 そして、こんな茶番劇を見せられている子供達。直接的な責任が全く無いにも関わらず被害にあってしまった当事者学生達。間接的な被害まで考えたら、去年の受験時に受験対策バイアスがかかった履修内容の学校で勉強してきた学生と、そうでない(必須科目をちゃんと履修してきた)学生との間で、公平な大学入試が行われたかどうか疑問が残るという問題もある。 大人達は猛省しなければならない。そして、関係者は決死の覚悟で「正しい」対応にあたるべきだ。 そうでないと、『適当なこと、悪いことしても、あとからどうにでもなるんだ』という、極めて粗悪な感覚を子供達、学生達は持つだろう。これは被害当事者の学生達だけでなく、そのほか大勢の子供、学生、大人達にも、無意識のうちにそのような感覚が植えつけられるのだ。 そうでなくても今の世の中、税金を食いつぶす馬鹿公務員、アホ政治家多数。教育者の身分でありながら子供を食い物にする教師多数、公僕の身でありながら不祥事を起こすもの多数・・・ 真剣に、マジメに生きているこちらとしては、まさにシラケるんだよね、こういうの。少なくとも私の払った税金は、一円たりともこういう連中のためには使われて欲しくない。以前、これら醜態事件を見聞きするたびにシラケた私は、税金が国家によって正しく運用されていないという理由で、納税拒否を税務署か裁判所かに申し立ててみようと思ったことすらある。 もちろん公職についている人が皆、そうだとは思っていない。正しく職務している人も多く居るだろう。そういう(正しく職務している)人達は、私なんか以上にはるかにシラケテいるに違いない。腐らないで頑張って欲しい。 一方で、こういう(特に大きな)問題が報道されたときには、常に冷静な視点を失わないように特に注意しなくてはならない。 報道内容の概要はたしかに事実だと思う。私が上に書いた考えも、まさに本心であるが、これをもって教育委員会の不要論と関連づけて教育基本法の改正に言及するような政治判断のバイアス材料にしてはいけない。 それとこれとはあくまで分けて考え、議論すべき問題だ。
*1:日記という限られたテキストリソースのみで第三者に私の思う
ニュアンスを伝えることは至極困難であるという判断の元。 _ こんな時こそ「大人のJAZZTIME」。ええ、毎週聴きますとも。 一週間のいろんなことを思い返しながら、反省すべきを反省し、忘れるべきを忘れ、明日に向かって撃つために必要なひとときを提供してくれる貴重な時間。なんとも贅沢な時間。これ以上の贅沢は無いって感じで今宵も(相変わらずの)専用ゲルマラジオで聴いている。 simaさんのナレーション、rikaさんの相槌。 なんにも言うことないね、はい。 _ 本当は怒っているんだ俺は。『青木さん、あんましいらつくと太るし身体に悪いっすよ』という主意のメールを何通かいただいた。 ありがとうございます。ご心配いただきまして。 でも、せっかくの機会なので正直に申すと、日記には滅多に書かないものの、実は私、結構いつも怒っているのだ。 だってさ、いち日本国民として、いち納税者として、いち市民として、怒らねばならないことばっかでしょ、いまのご時世。 ほんと、俺は実は、いつもめちゃくちゃ怒っているんだ。 でも、そんなことばかり考えて日々生きていてはネガティブでよくないし、ここ「かにの泡ぶく」にもそんなつまらんことばかり書くわけにもいかない。 自分の出来ること・・・ なんていうとなんか保守的に思われそうだけど、そうじゃなく、あくまでもアグレッシブに、自分の出来ることを全力でやりつつ、日々楽しくおかしく真剣に怒りながら生きて行きたいと思う私なのだ。 しっかり世間を見据えて・・・ね。 _ モーリス・アンドレ。私の好きなトランペット奏者だ。 特に、ミシェル・コルボ指揮のバッハ、マニフィカトで彼がトランペットを吹いた演奏の録音(LP)が私の実家にあるが、これが最高なのだ。 なんだか急に聴きたくなった。 LP自体は実家に行けばすぐに回収可能だが、どうやってそれを鳴らす? ま、いっか。気長に構えて、そのうちLPレコードプレーヤー作るとするか。過去に何台か作ったことあるから、作ること自体はあまり問題では無い。 もっと読みたい奇特なかたは、↓の読みたい月をクリックしてね。 |
最新ツッコミ |
マニフィカト、青木さんのサイト—ヨタ話だったか?で知りまして、コルボ指揮、ローザンヌ室内管弦楽団他のCDを買ったんですよ。もう随分前です。<br><br>今、しばらく振りに聴いているのですが、ジャケにカビが生えてました(苦笑)。
コルボ指揮、ローザンヌ室内管弦楽団、アンドレのマニフィカトはほんと素晴らしいです。はじめて聴いたとき、あの流れるような旋律進行にド肝を抜かれました。カール・リヒターはじめ、バロック界著名な指揮者達のマニフィカトはどれも、(悪い意味では無く)かちかちした、しっかりした演奏で、私もそういうのばかり聴いていたので本当にド肝を抜かれました。