2005-08-02 なんかうにうに。_ どうもこうなんとなく。ぱっとしない。暑さにやられてきたか? _ 朝から晩まで。画像処理のシミュレーション。チャートとか、CZPばかり見ていると、自身の感覚が鈍化というか、順化してきて、なにがどうなんだかわからなくなってくることがある。 そんなときには、窓から遠くを眺めてみたり、今日みたいに自宅オフィスで作業しているときは、和室の畳の上で少し寝っころがってみたり、仕事部屋から見える緑の芝生公園を眺めてみたり。 独身時代は趣味で銀塩写真の現像から焼き付けまで、全部自力でやっていた。銀塩の現像という行為は、すべてアナログな世界。化学反応だから、どんなにきちっと温度管理しようが、工程管理しようが、決して同じ結果を得ることはできない。だいたい印画紙の銀の並びがすでにランダムなんだし、それ以上に、露光制御や現像制御、現像液の状況を全く同じにすることは不可能だ。 熟練すれば、限りなく同じ結果を得るこはできるが、それは、限りなく同じなのであって、決して同じものでは無い。 ところがデジタルの世界は違う。 同じ画像処理アルゴリズムを、同じパラメタで駆動する限り、絶対に同じ結果が出る。気温が変わろうが、季節がどうであろうが、ましてや、俺の体調がどうであっても、同じ画像処理アルゴリズムを、同じパラメタで駆動する限り、絶対に同じ結果が出る。 これって、一見便利で素晴らしいことのように思うけど、実はとてもはかなく非情で無常なことなのかもしれない。 アルゴリズムを設計する人間は、絵を作る楽しみを味わえるかもしれないが、それを使うユーザーには、一切なんの技術もノウハウも伝承されない。わけもわからずにシャッター押せば綺麗な絵が撮れることは素晴らしいことかもしれないが、銀塩時代は、素人なりにちゃんとした写真を撮るためには、最低限度の知識と練習が必要だった。 技術の進歩、発展は、生活を便利に、豊かにする反面、便利さと引き換えに努力を忘れる・・・アホ化するという一面もあることは、確かだよな。 例えば携帯電話。 今では、ほとんどの人が持っている。だから、なんらかの待ち合わせの時なども、例えば『JR東京駅の八重洲のほうで午後7時ごろ。詳細は改札でたら電話するわ』みたいな感じで、ちゃんとセッティングしない。 携帯電話がこんなに普及していなかったころは、待ち合わせとなれば二重三重のバックアッププランを考えて臨んだものだ。 『JR東京駅の八重洲口改札出た右側見えるあたりで、午後7時ぴったりね。もし10分経ってもお互い会えなかったときは、先にお店に行ってて。もし、なんらか緊急事態があったら、お店に電話いれとく』。 だから東京駅に向かうルートにしても、迂闊に遅れることができないので、いろんなリスクを想定して臨んだものだ。 ところが今なんか、少し遅れるぐらいだったら『携帯に電話いれときゃいいや』だ。 以前は無意識のうちに日常で行っていたリスク分析とヘッジ。さらにバックアッププランの立案。これが、携帯電話の普及で無用となった。 これは一見、よかったことのように思えるかもしれないけど、本当にそうだろうか。 いやなにも、携帯電話を悪者にしたい気持ちは毛頭ないし、私も便利に使っている人間だ。でもね、物事の本質ってものを、ちゃんと見据えておかないと、人間ってどんどんアホになってしまうから、気をつけないといけないなって、いつも思うんだ。 特に俺なんか、すぐアホ化するからさ、人一倍気をつけないと。 もっと読みたい奇特なかたは、↓の読みたい月をクリックしてね。 |
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