2008-05-25 果たして現世に復帰できるか?!_ うる星やつら三昧!原作、TVアニメ版ともリアルタイムで読んでいた&見ていた私。まさかサンデーを毎号取ってあるわけはないが、一時期全巻揃っていた原作単行本はこともあろうに遥か昔にすでに処分しちゃって手元にない。仕方ないので今更になって久しぶりにDVDで4月からTVアニメ版第1話から見直しはじめてGW明けに218話までなんとか完走。その後、今まで見向きもしなかった劇場版をここにきて初鑑賞しているということは先日お話したとおり。 そしてついに昨日を持って、劇場版計6作品も、コンプリートした。 今回、劇場版を見るにあたって心がけたことは、あえて一切の事前調査を行わず、真っ白な状態で鑑賞してみようということであった。幸いなことに私はリアルタイムでも劇場版にはまるで興味を持たなかったので、そういう意味ではほぼ真っ白な状態で鑑賞することが出来たと思っている。 劇場版1〜3作品のファーストインプレはこちらに書いた通りであるが、今日は、劇場版4〜6作品の所感を書いてみたい。 _ ラム・ザ・フォーエバー(劇場版4作目)極めて難解である。とても1回見ただけではわけわからんので、また後日何度か見てみるつもりだ。この難解さは、ビューティフル・ドリーマーとは全く違う世界の難解さである。というか、ひょっとしてもともとなんら意味などないところに、私が勝手に意味を見出そうとしているから難解に感じるだけなのか? というような感じの難解さである。ビューティフル・ドリーマーは作品として・・・独立した1本の映画として完成された世界があり、それゆえの難解さなのであるが、ラム・ザ・フォーエバーは、例えて言うならばTVアニメ版70話「戦りつ!化石のへき地の謎」、いやあるいはTVアニメ版174話「退屈シンドローム!友引町はいずこへ!?」(副題:わたしはめがね←私が勝手に付けた副題) みたいな意味不明だが楽しめる的難解さである。いろいろな意味で問題作と言えるだろう。 まず確認しておきたい点は、 うる星やつら の主人公は誰か? という点。うる星やつら の主人公は、諸星あたる であり、決してラムでは無い。しかし、この作品を見る限り、主人公はラムになっているっぽい。 この作品に対する今日現在の私の評価は、残念ながらかなり低い。わざわざ映画にするほどか? 30分でまとめたほうがよかったんじゃないか? とすら思うほどであるが、これが、私の未熟ゆえの所感であることを、切に願うものである。 作画レベルはかなり高く画の綺麗さは劇場版全6作中、トップクラスに入れてよい仕上がりだと思うし、動きに手抜きも全く感じられない。だからこそ、もっと吟味したい作品である。 _ うる星やつら完結編(劇場版5作目)映画見て涙が止まらなくなったのは何年ぶりだろうか。 この作品はほんとうにやばい。素晴らしい。文句無しに楽しめた。もっと早く見るべきだったか。いや、あえて今、見たからよかったのかもしれない。これをリアルタイムで見ていたら、私の人生変わっていたかもしれない。今ここで かにこむ なんかやってないで、全然別の未来の扉を開けていたかもしれない。 そんなふうに思ってしまうほど、感激した。 はじめのうちは「またこの展開かよ」みたいな感じで少しうんざり感が漂うものの、後半は文句無しに楽しめる内容となっている。特に、TVアニメ版をこよなく愛した人にとっては感極まるシーンの連続である。 しかし独立した映画として考えた場合、どうってことないただのラブコメアニメであり うる星やつら をあまり知らない人が、普通に映画として映画館で見た場合、わけのわからぬ痴話喧嘩が宇宙規模になっていてなんじゃこりゃ? くだらんみたいな感じで、楽しさ(感動)は半減以下だろうなって感じの作品ではある。 そういう観点で映画として見れば、ビューティフル・ドリーマーを越える要素は特に無いと思われるのであるが: ・うる星やつら原作全部読んだ ・うる星やつらTVアニメ版も、ほぼ全話見た ・でも、劇場版 うる星やつら完結編 は見ていない という私みたいな人間(そんなヤツ居るのか?)は、絶対に見ないとダメだ。死ぬに死にきれんぞ。 TVアニメ版は進行の都合もあり途中で強制終了されてめぞん一刻になってしまったが、原作全部読んだ人は、やはりどうしてもTVアニメ版でも原作最終回をやってもらいたいと悶々としていたハズ。まさかね、劇場版がTVアニメ版とリンケージするなんて思っても見なかった私。劇場版の「うる星やつら完結編」というタイトルを当時見た際、『一体なにを完結させるねんっ!』なんて思ったのだが、そういうことだったのか。今回ようやくその完結編を見て、その意味をやっと知ることができた。 というわけで、私としては劇場版全6作中、最高に好きな作品となった。勝るとも劣らないのはビューティフル・ドリーマーであるが、ビューティフル・ドリーマーについては後術したい。 いやしかし後半は涙が止まらなかったな。映画館で見ていたら、涙の処理に困ったことだろう。 やはりラムは悪女だ。私があの世界に居たら、ラムをピグモンに呼び出して小一時間説教してやるところだ。 _ いつだって・マイ・ダーリン(劇場版6作目)うる星やつら10周年記念で制作されたとのことだが、なんなんだろうかこれは一体。あえてコメントを控えたい気分である。 あくまで個人的所感であるが、これは、うる星やつら の外見をしてはいるものの、私にとっての うる星やつら では無い。 よって、一連のシリーズからは除外して考えたい。 _ 劇場版全6作見ての総括。さすがにこれだけ立て続けに見ていると、頭が混乱してしまう。もともと内容がカオスであるTVアニメ版をほぼ毎日見ていたうえに、劇場版までほぼ連続して見てしまうと精神に異常を来たしそうである。 リアルタイム放映当時の、毎週水曜日の夜7時半から30分だけ、週一回の放映というのは、その点懸命な判断だったのかもしれない。 話がそれた。 劇場版は「映画」として独立した一つの作品として見なければならない面があると思う。そのような視点で見た場合、賛否あるとは思うが私は『ビューティフル・ドリーマー』がぶっちぎりでよかった。高橋留美子はこの作品の仕上がりに激怒したと言うが、確かに押井暴走の嫌いはかなりあるものの、1本の映画として立派に成立しているどころかその完成度はかなり高い。押井作品としては攻殻機動隊を越えているか? とすら思えるほど。 1本の映画として立派に成立しているからこそ、なにも うる星やつら で表現する必要は無かったのではないか? という疑問はある。ドクタースランプあられちゃん や、ハイスクール奇面組 でやっても充分完成できるだけの内容があると思う(いや、無理か・・・?)。が、やはりあのテーマ、情景描写、なにより表現実体が うる星やつら のテイストとまさに見事に合致していたという点は事実であり、うる星やつら でやったからこそその作品としての魅力をさらに高めている点は明白だろう。 一方で、一体どんな年齢層をターゲットにして作ったのだ? という謎は残る。例えば小学生〜中学生ぐらいの子供を持つ親が「ウチの子供ラムちゃん好きなんだよね〜」みたいなノリで家族で見に行ったらきっと最悪。 でもまぁもともと うる星やつら の内容自体が比較的大人向けであることは確かなので、想定されていた最低年齢層は友引高校2年4組と同じで、17歳ぐらいだったのかもしれない。 うる星やつら完結編 は、上でも書いた通り個人的には劇場版全6作中最高に感激した作品であるが、これは、「原作全話読んだし、TVアニメ版全話見た。原作最終回一体いつアニメ化するんだ?」と今日の今まで20年間悶々としていたアホの私が見た結果なので、相当プラスバイアスがかかっている点はぜひ注記しておきたい。 全作品を通じて共通して言えることは、豪華声優陣もさることながら、音楽が本当に素晴らしい。気合い入りまくりだし、OP/ED/BGM問わずそのどれもがまさに秀逸と言ってよいだろう。クレジットテロップを見ても、その気合いの入り方を感じることができる。心底作品を愛した人達が精魂込めて作った作品というものは、無条件に素晴らしいものになるんだなぁ・・・と、改めて思ってしまうと同時に、自分もこういう、心身共に、とことん没頭できる案件に出会いたいなぁ・・・と、思ってしまう。 ・・・・・・・ 話が暗くなった。 上で私は、「これをリアルタイムで見ていたら、私の人生変わっていたかも。」と書いた。『たかがアニメで人生変わるのかよ』って思われるかたがおられるかもしれないが、実際変わるかもしれないことは事実だ。 あらかじめ断っておくが私はアニメオタクでもなければ、アニメに特段思い入れがあるわけでもない。 素晴らしいものは素晴らしいのであり、美しいものは美しい、好きなものは好きなのである。他に理由なぞない。これらは全て私の価値観の中にあるものなのだ。その中にあって、うる星やつら は、大変に気に入ってしまった作品であるということだ。 これから話すことは、事実である。 うる星やつらTVアニメ版がリアルタイムで放映されていたのは私が高校1年生〜。まさに青春真っ只中。そんななか、私は友人(かなり仲が良かった。あたる と 面堂 みたいな関係か?)から相談を受けた。 友:『青木ぃ〜、ちょっとさ、話したいことがあるんだ』 俺:「なんだよおまえ・・・また改まって」 -- この後、いつも溜まっていた喫茶店で -- 友:『うる星やつらって、面白いよな』 俺:「ああ、面白いよ。やっぱ しのぶ は素敵だよなぁ・・・」 友:『俺さ、あいつ(付き合っていた彼女)と別れよと思って・・・』 俺:「えええっ! (おまえらあんなに仲良さそうなのに)なんでまた・・・」 友:『実はさ・・・』 他人の身の上話なので詳細は割愛するが、簡単に言えば、うる星やつらTVアニメ版を見ていて、ラムとあたるの関係を見るに、現実世界の自分の状況はどうにも納得がいかなくなったらしく、しいては彼女と別れると。 彼のもろもろの詳細話を聞いた私。 俺:「そこまで思いつめているなら、俺から言うことはなにもないよ。」 友:『だよな・・・』 あいつ、いまどうしているのかな。久しぶりに会ってみたいな。 ちなみに当時、高校生の分際で喫茶店に行くなんつうのは少数派というかむしろ不良扱いされていた世相。県立校とは言え私が通っていたのは当時学区内で最高偏差値を誇る立派な進学校。そんな中で私は相当な異端児扱いされて、学校からウチの親には、私の素行不良?に関する電話が何度となくあったらしい(特定の教師の授業ばっくれて喫茶店行き。筋の通らぬこと言う特定の教師には真っ向から論理対決(いつも私が勝ちそうになるのだがずるいことに教師は途中で逃げる)。特定の教師の科目の期末試験ボイコット。クラスメイトを見方につけて集団エスケープ首謀・・・などなど、数々の問題行動?を働いた。もちろん相応の理由はあるのだが)。産まれるのが10年早かったら大学で学生運動していたかも。 でも、そんな私に一切文句を言わず、黙って見ていてくれた両親には今更ながら本当に感謝している(単に見放されていただけという話もあるが・・・真相は如何に???)。 そんな感じで純粋に毎日全力で生きていた時期に見ていた うる星やつら。その内容も当時の高校生活とオーバーラップするところがかなりあるだけでなく、当時の思い出というか記憶の塊のようなものが、どどどどど〜〜〜〜っと、一気に団体で押し寄せてきて、今になってたった30分間のTVアニメ版見ていてもついつい涙が出てきちゃうのだ。 歳を取るって、こういうことなのね・・・なんて少し思ったりなんかして。 私にとっての うる星やつら って、そんな特別な存在なのだ。 _ 劇場版全6作見た直後にTVアニメ版第1話を見てみる。素晴らしい。素敵。原作が素晴らしすぎるのは満場一致だと思うが、やはりTVアニメ版も素晴らしい。 TVアニメ版第1話、何度も見返してみると、深いな。意味深すぎる。素晴らしい。素晴らしすぎるっ。この音速展開のストーリーがたまらん。正味たったの11分間でこの内容。やはりこれぞ うる星 の原点。この話の濃厚さがすごい。ヘボいアニメであれば一ヶ月(4 or 8話)分ぐらい平気で引っ張りそうな内容を、さらっと11分間とか23分間ぐらいの1話で完結させちゃう。42話までは一気に見ちゃえるな。全く飽きずに。 原点、初心を忘れてはいかん。これは、エンジニアリングにも共通して言えることだ。 このへん、わからぬ御仁が最近多いんだよな。困った。 OVA版ももう少しで全話完走できそう。こちらもおいおい触れてゆきたい。 もっと読みたい奇特なかたは、↓の読みたい月をクリックしてね。 |
最新ツッコミ |
正直語れる内容は無いのですが、青木さんより数年年上の私の地方であっても高校生で喫茶店は普通でしたよ。<br><br>ちなみに、私の友人が「うる星」のファンでしたが。<br>(大学時代にビデオ買って録画してました)<br>私がこの業界に入ったのは彼の影響が大きいかも…<br><br>(中学時代、ヤマトがきっかけで、仲良くなったのですが)
私の行ってたとこって、田舎だったのかなぁ・・・なんちて。実はすこし良い子ぶりすぎたかもです ^^) 「喫茶店に行く」の前に、「授業をサボって」と付け加えさせていただきます。<br>あの当時、ビデオなんて我が家には到底ありませんでしたから、必死こいて毎回真剣に見ていました。気軽に何度でも繰り返し見ることのできちゃう今の時代というのは、便利になったようで実は不幸なのかもしれないですね。<br>今の時代、あのときのような、一回限りの命がけの真剣勝負で見るような緊迫感は、もはや生まれようもないです。<br><br>そう考えると、技術というのは進歩すればよいってものでもないのかなぁ・・・なんて、柄にもなくシリアスに考えちゃったりなんかして。
> 今の時代、あのときのような、一回限りの命がけの真剣勝負で見るような緊迫感は、もはや生まれようもないです。 <br><br>> 技術というのは進歩すればよいってものでもないのかなぁ・・・<br><br>いずれも、銀塩写真vsデジタル画像 にも<br>そのまま あてはまりそうですね。
全く同感です。<br>今回のことに限らずこのごろ心に隙間が出来たときによく考えちゃうことに、『モノの価値って一体なんなのだろう。』ってのがあります。<br>実際そんなもの手に出来るハズがないので単なる詭弁かもしれないのですが、もし、寿命の無い、永遠の命なんてものを手にしちゃったら、生きる気力失うような気がします。