2006-09-30 ひとつの歴史が幕を閉じる。_ さよならYS11。初飛行から44年なんですね。これほどの超寿命機って、極めて稀じゃないでしょうか。 私は航空ファンじゃないですが、YS11がとっても好きでした。 はじめて乗ったのは、新人社会人駆け出しの大阪営業所勤務時代。兵庫県、大阪府、和歌山をはじめ、徳島香川愛媛が担当区域だった私は、当時、まだ有視界飛行しかできなかった高松空港向けて、伊丹空港からYS11に乗って出張してました。時間的余裕があるときは、須磨からカーフェリーで淡路島に渡って、徳島経由で日本一大きな喫茶店の前を通って高松入り。でも、時間のないときや、スポット商談時は、YS11で行ってました。 これがね、はじめて乗ったときはちょっと焦りました。プロペラ機に乗ったの初めてでしたし、あのタラップ上がっていくのも初めて。離陸時にひときわうなりをあげるプロペラエンジンも、『これから離陸なんだな』という覚悟を改めて認識させるものでした。 でも、飛行性能はかなり高かったんでしょう。台風接近で伊丹空港の発着もかなり欠航が目立つようなときでも、普通に飛んでいることが多くなかなか頼りになる航路でした。 しかし最後に乗ったのは、かれこれ15年ぐらい前かなぁ・・・ もう一度、乗っておきたかったな。 私にとって、新人社会人駆け出しのころによく乗ったってこともあって、思い出深い飛行機です。 _ 技術立国ニッポンを支えるもの。国産機がYS11唯一だってのは、技術立国ニッポンのいち国民として、はなはだ意外です。 航空力学や宇宙工学というのは、電子工学や量子力学と並んで国益がかかった最先端技術分野です。YS11を設計生産改良した技術者達。かっこいいですよね。心の底から尊敬します。 これに負けずに、また新しいニッポンの技術を世に問う若い連中が出てきてくれることを願ってやまないですし、私自身、そんなところに少しでも貢献できたらいいなって、思います。 _ 丹波哲郎さん。私の好きな俳優でした。死後の世界に行く前も、後も。 報道がどこまで忠実に真実を伝えているかわかりませんが、知れる範囲で言えば、その死に際もほんとうに丹波哲郎さんらしかったようで。ほんとうにお疲れ様です。ご冥福をお祈りいたします。 私は特定の宗教にコミットするものでは無い立場ですので、たま〜に家族との会話の中で、『お墓』の話が出たときなぞ、半分冗談(ということは半分本気なのですが)で『俺は墓なんて面倒なものはいらん。宇宙に骨を撒いて、たまに夜空を見上げてくれ。しかしそれとて金がかかるということなら、生まれ育った地の近く、多摩川に散骨してくれ。しかしそれとて日本の法律で難しいなら、どっか公海上に撒いてくれ』と言っていますし、葬儀は『しめやかはやめて、どっかの居酒屋貸切でみな普段着で来てもらって、死ぬほど酒飲み明かしてバカ騒ぎしてくれ』と言っていますが、今の日本ではそんなの難しいでしょうね。 私はそう思っていても、仮にそれをそのまま実行したら、残された家族がへんな目で見られかねないですし・・・あ〜いやだ。こういうところ、私が嫌いな日本の一面です。変わったことすると、すぐへんなふうに見られちゃう。 個性が尊重されるなんて言ってますが、没個性が無難な時代は、いまだにあちこちで継続中です。 そんな封建社会に風穴をあけるべく暴れる仲間が、今の日本には必要なのだと思います。 もっと読みたい奇特なかたは、↓の読みたい月をクリックしてね。 |
最新ツッコミ |
私も宗教には縁遠いです。<br>墓なんかいらないし、戒名・葬式も要りません。<br>お袋も死んだら検体として千葉大行きです。<br>そんなわけで、私が死んだら酒飲みに来て下さい。(^-^;
俺のときもよろしく頼むよ ^^)
YS11<br> 意外だなんて・・・<br><br> これが事実ですよ。けっこう最後の詰めが甘いきがします。<br> それが技術だけでないと思いたいですが。<br><br>
航空機(旅客機)は、機体を作ればよい、というものではなく<br>整備などの周辺状況が整った上でトータルシステムとして<br>運行会社に(入札などを経て)買ってもらわなくてはいけないので<br>その点で日本は負けている、というような記事を読んだような<br>覚えがあります。
人件費考えたら確かに日本は不利。以前、デジカメの量産工場立ち上げ調査でアジア諸国出張しましたが、例えば中国だと、ラインの女工さん700〜1000元/月、日本円で1万円前後の月給ですからね。価値観というか、世界観が混乱しましたよ。飛行機で半日ちょいで行ける場所で働いている同じ人間なのに・・・ねぇ。