2013-01-10 本年もよろしくお願いいたします!_ ■教師の体罰について(10時14分記)朝から不愉快な思いをさせてしまう内容かもしれません。が、件の教師体罰による生徒自殺事件に関連して、あちこちで、教師の体罰についての画一的な是非論、善悪論ばかりが目につくので、私の考えも書いておきたいと思います。 教師の体罰というのは、是非とか善悪で判断できるものではないと思います。 まずは私自身の経験から。 -------- 私が中学生のころ、担任だった教師は体罰教師で有名でした。私も、何度殴られたかわかりません。鼻血なんか普通に出ましたし、口の中切って血まみれになったこともあります。 でも私は、体罰を受けることを、嫌だと思ったことは無い(正確に書くと、痛いのは当然嫌ですよ ^^))ですし、その教師を酷いと思ったこともありません。 家に帰ると、母親は私の顔を見て「どうしたの?」と、聞きますが、私は、『なんでもない』『ちょっと喧嘩した』と、適当にはぐらかします。父親は、わかっているのかなにも言いません。 他に、同罪で一緒に殴られる友人も居ましたが、「まいったな」「またやられちゃったな」とか話ながら、普通に学校生活を送っていました。 その体罰が問題となったことは、一度もありませんでした。いまなら超絶大問題でしょう。 なぜ、私の中学生時代は、こんな運用(っていうのはちょっと違うか)が可能だったのか? あらためて考えてみました。 それは、教師と生徒との間に、信頼関係があったからだと思うのです。 少なくとも私に体罰を喰らわせた教師は、本気で私に対峙してくれていました。私も、その教師の言っていることは正しいことであると認識していましたし、教師として、認めていました。 殴る教師は、殴る前、私に正対し、数秒間、無言で、じっと私の眼を見つめます。はじめて殴られたときは、びびって眼を逸らしてしまい、「ちゃんと眼を見ろ!」と、怒鳴られました。殴るほうも本気なら、殴られるほうも本気です。 当たり前だけど、意味もなくむやみやたらと生徒を殴りまくっているわけではありません。殴られるには相応の理由があって、殴られる側(=私)は、何故、自分が殴られることになったのか、当然だけど自分でよくわかっていたのです。 だから、家に帰って母親に「その顔どうしたの」って聞かれても、本当のことなんか言えるわけがありません。自分が悪いんですから。 中学を卒業して高校に行くようになっても、その「体罰教師」の家には殴られ仲間たちとよく遊びに行きました。独身だったので、晩飯をみんなで作ってワイワイガヤガヤと。教師も、「おまえら高校でちゃんと勉強してるのか?」なんてニコニコしながら嬉しそうでした。 -------- 今回、体罰を受けて自殺された生徒さんは本当に気の毒だったと思います。私は当事者でもないし、現場を知るものでもないのでなんらの憶測をすることは避けたいと思いますが、体罰の結果が、ひとりの生徒を自殺に追い込んでしまったのだとしたら、それは、体罰の是非とか善悪とかの問題ではなく、信頼関係ができていない中での、過剰すぎるコミュニケーションを教師が実行してしまったところに問題があるのではないか・・・と、思います。 だから、今、教育委員会が体罰を監視するとか、体罰の実態を全校調査するとかいろいろやろうとしていますが、『おまえらなんにもわかってない。そんなことしたって、なにひとつ問題の解決になんか、なりゃしない。』って、私は思うのです。 人間の心、信頼関係、繋がり。こんなことまで、マニュアル管理するしかできない今のこの世の中に、最大の問題があると思うのです。 ところで私が中学生のころ、どんな「殴られるようなこと」をしたのかについては、申し訳ないのですが割愛します ^^) 機会あれば、お話するかもしれません・・・ ^^) もっと読みたい奇特なかたは、↓の読みたい月をクリックしてね。 |
最新ツッコミ |