2011-12-31 静かな夜・・・_ 明けない夜は無い。(22時02分記)毎年大晦日の夜には、自室で一年を振り返り、ウイスキィ片手に今年の自分を自己分析することにしている。が、今宵はなぜか、自室で日本酒を飲んでいる。私は、晩酌に日本酒は欠かさないがそれは居間でのこと。自室で日本酒を飲むことは、きわめて珍しい。 燗でもなく、冷でもなく、そのままの日本酒を、飲んでいる。 日本人と日本酒は、切っても切れない関係だろう。下戸な方には申し訳ない話だが、日本酒はお米から醸造されるお酒であり、お米を作る農耕民族である日本人の伝統の酒。古来から、神聖なる酒として崇められてきた。ゆえに、ハレの日には祝いの酒として振る舞われ、あるときには弔いの酒として捧げられ、契りの儀でも、五穀豊穣を祝う門でも、新しい命を授かったときにも、また、平穏無事に終える日常の夕にも、それは欠かせない存在である。 そんな日本酒を、しみじみと飲みたい、そんな大晦日の夜。 ・・・・・ 自室で一年を振り返ろうと思っただけで目に涙が浮かんでくる。四十五年間と十一月生きてきて、そのうち記憶にあるのは三十年分ぐらいか? こんな気持ちの大晦日の夜を迎えたのは、はじめてだ。 今年は本当に、いろいろなことを考え、思い、悩んだ一年だった。 正直に言えば、ここ数年来の日本という国、政府には私は全くなんの期待もしていない。誰の人生においても不調期があるように、長い歴史の中において、日本という国の不調期なのだろうと、諦めていた。国民不在の政治が叫ばれて久しいが、一方で、選挙の投票率を見てみると、どうも自ら不在になることを希望している国民が多そうだという点も、否定しきれない事実である。 そんな世相を横目で見ながら私は私で、自分を守り、家族を守り、自分のすべきことをやり、出来ることをやり、やりたいことをやって、淡々と生きてきた。 私は、今の日本という国や政府にはなんの期待もしていなかったが、日本という国の民の中に生きる日本人としての心、正義、愛情、信仰という部分には、期待をしていた。いつか、なにか、どんなきっかけでかわからないが、新しい流れが生まれ、日本を変えていくのだろう・・・自分も、その時に備えて、常に中腰のまま、いつでも飛び移れるように身構えておこう・・・と、いつも思っていた。 だが、三月十一日を境に、私の考え方は大きく変わった。 三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に端を発する大惨事をもってしても、日本という国は変わらなかった。まったくなんにも変わらなかった。 近年稀に見る歴史的な広域大災害に見舞われた地で、生きるために頑張る人々、決死の覚悟で現地入りする人々の活動を率先して支えることが出来るのは、国であり政府である。国家的有事の際に、地方自治体や、ましてやいち国民が自ら判断を下すことのできない状況下である時、国民の生命と財産の保護を最優先してしかるべき判断を下し、実行するということが、国や政府が持つべき基本的な機能ではないのか。 大いに失望した。激しく失望した。今の日本という国や政府にはなんの期待もしていなかった私だけど、こんなにも酷い国になってしまっていたとは、正直思っていなかった。私が三月十一日以降見たもの、聞いたことは、期待していなかった以上に、よりもっともっと酷い状態だった。そして、それは私を含めて。 実に悲しい。 でも、悲しんでいても事態は改善しない。 一人ひとりの気持ち、関心が芽生えなければ、このまま永遠になにも変わらないということを確信した。短絡的な取捨選択議論では無く、まずは取でも捨でもいい。いまこそ日本国民が全員参加で、時間をかけて、未来、将来について、考え、意思表示していかねばならない時なのだ。 そんなことを思うなか、今年は、志を同じくする仲間達と出会い、集まる機会を得ることができた。そして、こうした動きは日本各地で起こっていると聞く。 日本を変えていくための第一歩は、一人ひとりの気持ちからなのだ。 引き続き私の生き方においての基本理念は不変だが、今後は積極的に、日本を変えるための行動を起こしていこうと思う。 日本を変えるためには地域を変える必要があり、そのためには、まずは自分から、そして、もっとも身近である家族、家庭から、これを実現していかねばならない。 今の子どもたちのために、未来の子どもたちのために、明日の日本のために、いつまでも美しい日本国であってほしい。 そのために私は、今後の人生、出来る限りのことをしていくつもりだ。 今宵、やがて来る明日に向かって、乾杯!
平成二十三年十二月三十一日
午後十時二分 自室にて 青木 康雄 もっと読みたい奇特なかたは、↓の読みたい月をクリックしてね。 |
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