ヨタ話

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かにこむ扉頁へ
不定期に追加更新されるまさに「ヨタ話」。お忙しいかた、無駄が少しでもキライなかたは、直ちに「Back」ボタンを押されることをお勧めする。

「ヨタ話」もあまりに巨大になったので、少し分割しました。

2001/06/02 14:46 晴れ 自宅にて

JJYつえば、ここでも触れてけども、標準電波局ってやつで、無線を趣味でやってたり、BCLが趣味だったりする人にはなじみのものである。

これがもう、短波帯の標準電波は任を終えたとのことで、先の2001年3月31日に停波し、それに伴い記念QSLカードを発行していたのだ。

JJYというのは元々業務局なので、一般の受信レポートに対してふつうはQSLは発行せず、しかし、なにかの条件が満たされればまれに発行されることもあるという「ウワサ」もあり、それはそれはもう、JJYのQSLを持っているということは、BCL全盛期においてはまさに誰もが尊敬せざるを得ないぐらいすごいものであった。

そんなJJYが停波を記念して、一般の受信レポートにもQSLを発行するということになったからたまんない。私は速攻で、往年のICF-6800Aを起動して、受信報告書を書いて送った。

届いた記念QSLは、それはそれは豪華なもの。A5版の二つ折りで、封書で届いた。返信切手50円同封とのことだったので、てっきり絵はがきだと思っていたのだが、なんと豪華な封書。粋なことしてくれますねぇ、CRL

P.S.
本件、実は諸々の件で、JJYの大塚さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。

JJY-QSL
豪華記念QSL。
まじ豪華で感激。
JJY-QSL
ちなみに従来の。
これもかっこいいよねぇ。

2001/05/13 21:33 自宅にて

リニューアル後一週間経過

いろいろ思うところもあって、実は5月6日深夜(7日未明)に扉頁をリニューアルして今日で一週間。リニューアルで変わったことと言えば・・・ あたりが結構大きいところだ。ま、本音を言えば、最近かなり忙しく、ろくにコンテンツも追加更新できず、二年前のデジカメのレビューをいつまでも扉頁においておくのも忍びなく、思い切って整理したかったというところだ。

が、この一週間に寄せられら要望感想のメールを見ると、意外とあまり受けがよくないようであった。 いずれのコンテンツも、扉頁からサブメニューとして用意してあるリンクを見てもらえば存在するものなのであるが、扉頁から無くなったということで、みなさんこれはもう終息モードなのか? あるいは、無くなってしまったのか? と、思われることも多いようで、これは従来のkani.comに慣れ親しんでいらっしゃる常連さんへ、とまどいを与えてしまうほどのリニューアルであったことの副作用と、一方で私のリニューアル方針がみなさんの要望に合致していなかった面もあったのかな?と反省。

さきほど、以前のスタイルに近い扉頁に戻した。もちろん「ヨタ話」も健在。

「戯言はそれはそれでいいんですが、「ヨタ話」更新されてないようですが・・・」

はい。その通り。いや「ヨタ話」も更新できないぐらいの日々だったんで、お気楽に更新できるまさに「戯言」コーナーを作ったが、やはり「戯言」というだけあってまさに戯言。「ヨタ話」ほどの奥深さも切れもないことは事実だが、そもそも「ヨタ話」とは方向性の異なるもの。

「かにの戯言」は「かにの戯言」なりに、「ヨタ話」は「ヨタ話」なりに、それぞれの味を出すべく今後とも精進を改めて心に。

みなさん、今後ともよろしくお願い申し上げる。
2001/05/12 01:15 自宅にて

娘のこと

最近、唯がおかしなことをしきりに質問してくる。

「唯は昔、どうしてたの?」

私と家内の新婚旅行の話を聞けば、

「そのとき唯は、どこに居たの?」
『唯はまだ産まれてないから、居なかったの』
「ままのおなかの中に居たの?」
『いや、ままのおなかの中にも居ないぐらい昔の話なの』
「じゃぁ唯は、ままのおなかのおく〜のほうに居たの?」
『いや、おく〜のほうにも居なくて、どこにも居なかったの』

自分の居ない世界というのが理解できないらしく、これまさに、自我の芽生えってやつなのだろうか。しかし、とっくに自我はあると思っていたので、なんでまたこういうことを急に疑問に思うのだろうか。

私は今でも子供のころの純朴さ、好奇心を忘れていないつもりでいたけど、こういうリアル子供というか、リアル幼児と接していると、自分自身の過ごした時と一緒においてきてしまったものは、かなりたくさんあるなぁと、改めて感じつつ、改めて遠くに来たことを実感するのであった。

パティスリーヒロアキでランチコース

下で紹介したケーキ屋さんは、レストランも併設しており先月下旬だったか、家族でランチコースワイン一本含めて予算一万円で予約してお食事してきた。

かなり相当満腹になるほどのフレンチコースランチ。タコの前菜にはじまり、そらまめスープ、ホタテのワインで燃えている美味しいやつ、ぱん、サラダ、サヨリのディッシュ、フィレ肉のステーキ(私は超レア、家内はミディアム)、デザートとコーヒーとワイン。かなり満足でした。ランチコースは、一人二千五百円(ただしディッシュは魚か肉のどっちか一品)からできるとのことで、これまたみなさん、機会あればぜひ、どうぞ。
2001/04/21 14:57 雨 自宅にて

家の近くのケーキ屋さん

ついさっき、三歳の娘と一緒に傘をさしてケーキを買いに行った。はじめて行ったのはついこないだのことで、今日で二回目。また行くってことはそれなりにおいしいわけで、結構気に入った。そのケーキ屋さんは、パティスリーヒロアキ。妻曰く、マスコミ関係で紹介されることもあるような結構有名な店らしいがそんなこと私は全然知らなかった。うちから徒歩そうだなぁ、8分ぐらいか。駄菓子屋さんの進々堂の角を曲がって、すぐである。私は酒が好きなので甘いものも好きというと驚かれることが多いのであるが、辛党でもあるけど甘いものも好きである。
ヒロアキさん、リーズナブルな値段(カットケーキで280円〜350円ぐらい)でしかもかなりうまい。私は、レアチーズケーキには実はかなりうるさい。ヒロアキさんのレアチーズケーキはかなりイケてる。今更私が紹介するまでもないことかもしれないけども、ぜひ、みなさんも機会あれば一度お試しあれ。

このごろの仕事的わたし

毎日忙しいのは忙しいのだけども、一日振り返ると、「いったい今日はなにをしたんだろう?」みたいな感じの忙しさ。これって私の経験的に言うと、目先の多忙に追われる悪循環的状況。
なんとか早期に打開しよう。

二代目電波時計

なぜか先月末ぐらいから、愛用してきたマルマングリニッジ電波時計が、電波を受信しにくくなっていた。受信したりしなかったり。4月早々に太陽大爆発もあったことだして、受信状態が一時的に悪いだけかと思いしばらくほっておいたが、一向に改善しないので、「そういえば会社の時計も電波時計買ったんだったな」(ちなみに私が買って経費精算した)と思い出し、会社に持っていって比べてみた。すると、会社のやつはちゃんと受信するのに、私のは受信しない。結局壊れてしまったという結論になって新しいのを買うことにした(しかしこういうのって2年ぐらいで壊れるものか?)


今回はカシオのやつにした。ヨドバシ川崎で\2,980-。左の白いやつ。右のやつが時を刻まなくなったマルマンのグリニッジ。カシオは快調に動いている。グリニッジは相変わらず 00:00:00 で固まったままだ。
カシオのやつは、電界強度がわからないので不満だが、まぁ実用上はそう問題ないからいいか。

しかしどうも、グリニッジが壊れた理由がわからない。太陽大爆発でプロトン攻撃を受けたのかなぁ。

オーディオの話をこっちに書こうかと思ったのだけども、かなりな量になったので、別コーナーにした。
2001/04/19 22:08 夜 自宅にて

私はパスタが好きである。平日デジプリに出社して昼飯を社で食べる時はほとんど必ず、近くのコンビニ(セブンイレブンかローソン)に行って、パスタを買う。最近セブンイレブンではカルボナーラを見かけなくなった。なぜだ?

HHKのキーボードは昔から好きで、以前までは勤務先も自宅も全部HHKにしていたのだけども、USBが主流になり、特にMacはUSBのみになって、一時この統一環境が崩れていたが、今日ようやっと、HHKのUSBモデル(当然英語キー)を入手し、G4 Cubeに接続して快適に使っている。どうもね、テンキー付きのおっきなキーボードって好きになれなくて。ついでに1394でつながる40GBのHDDも買った。1394ってまともに使ったのこれが初めて(今まではカードリーダーぐらい)だけども、えらい速くて感激した。つうか、こんなこと(新製品でたときにすぐ買えば確認できたこと)に今更驚いているってことは、おいらも確実におっさん化しているってことなのかなぁ。まぁ、それが事実であれば仕方がないので謙虚に受け止め、美しきおっさん道を歩むべく精進するんだけども、しかし、心の中には常に少年のころ抱いた夢を忘れないでいたいものだ。ど〜も最近、中途半端におっさん化してしまっているのか、中途半端なしがらみのなかで、中途半端な妥協の道を模索しなければならないような状況が多くて滅入る。誰のせいにするつもりもないんだけども、じゃぁ仮に自身の責のみで解決できることなのであれば、おいらはどんな苦労をもってしても解決するぞ、いいな。
自分で納得できることしか今後はしないからな。覚悟しろよ、みんな。

そういえば数日前、NTTがFTTHで100MBits/Sの接続を月9000円ぐらいで、今夏から提供するようなニュースを見た。すごいね。100M常時接続が9000円/月。おいらが契約していてkani.comもつながっているOCNエコノミーは128Kで32000円/月なので、もうちょっとなんとかしてほしい感かなり高いけど、けど、安定していてIPを16個も貰えるんで、ほかに乗り換えるかというとなかなかそうも行けないのも事実だ。ダウンロード専用で別途ブロードバンドを引こうかとすら考えるぐらいだけども、しかしこう、端末ばっか高速になられちゃうと、コンテンツ提供側はひじょーに困るよな。だってさ、kani.comとってみても提供バックボーンは128Kなんだから、100Mでこられたら瞬間で飽和だよね。
きわめて根元に立ち返って考察してみると、回線太くなってもやっている実体はどうなんだろ。たしかに動画をストリーミングとかいえば回線容量莫大だけどさ、それって中身的にはどうなんだろ。いや、もちろん回線は太いほうがいいに決まっている。こればっかしは、大は完全に小を兼ねるからね。しかし、家庭の冷蔵庫と同じでさ、太くなればその分物理的に重いデータが流れるようになるだけで、本質的に有意なコンテンツを考えて提供しないと、結局はブロードバンドバブルははじけておしまいみたいなことになっちゃうんじゃないのか?

こんな話をするとまたおっさん扱いされそうだけども、その昔私がはじめてコンピュータでゲームしたのは、TK-80というワンボードマイコンでであった。わずか1KB程度のRAMエリアに16進でダイレクトに機械語を叩き込み、出力は7セグメントのLEDのみ。これで数字を使った各種ゲームを開発して遊んでいた。最近のポリゴンやリアルタイムレンダリングばりばりのゲームに比べればそれこそゴミみたいなスペックだけども、あの時の興奮、白熱は未だに覚えている。そう思うと、モノの本質というのはデータ量とは全く無関係な世界にあって、本質を伴わないものはなにをしても所詮はエセものであるという、至極当然な結果に帰結するのであった。

私が自宅にわざわざ高い金を払い続けて128Kの専用線を引く気になったのも、そのへんのことも少しは関係している。128Kでなにができるか? 世界に向けて個人が情報発信できるというすばらしいメディアであるインターネットを使って、なにかおもしろいものを世に問いたい。
まだまだまだまだ先の話。今日明日、来月半年後あたりにすぐできるものじゃないけど、しっかりと世の中見据えておもしろいことをやっていきたいと思う。

大腸菌という、非常にシンプルな生き物が居る。あまりにシンプルなので、早くからDNAの解析なども行われ、遺伝子研究などの世界ではキャリアーとしてよく利用される。新薬の研究や、遺伝子治療、遺伝子の研究では欠かすことのできない非常に重要な生命体である。

この大腸菌のDNAがだいたい全部で1MBぐらい。圧縮しないで2HDのフロッピー一枚にちょうど入るぐらいである。DNA情報はAGCTしかないので、圧縮するとかなり小さくなるけど。

フロッピー一枚の情報量でできることは、すごいことがあるんだなと思わないか? ある意味生命進化の過程がそこに凝縮されている。
最近のデジカメの画像は一枚で1MB越えることも珍しくない。大腸菌の生命情報と同じかそれ以上の量のデジカメ画像。

技術の進歩はすさまじいが、量に惑わされず、常に本質を見据えて行きたい。
2001/04/04 22:31 夜 自宅にて

4月に入り、街には毎年恒例の新人さんが溢れてます。なにもかもが新しい新人さんは、見ているだけで、こっちまですがすがしい気分になってきます。今後いろいろあるだろうけど頑張れよ・・・な〜んて、全然他人なのにちょっとだけ先輩の気分になって心のなかで応援したりしてみたり。しかし一方で、この時期はホント、電車が混んでイヤですね。特に来週あたり、大学の新学期開始と相まって通勤ラッシュはピークです。GWすぎるぐらいまでは混雑続きで、これはこれで毎年参ってしまいます。
私は通勤自体がホント嫌いで、かと言って自宅の目の前に会社があるのもイヤだしというかなりのわがままものですが、通勤ラッシュを嫌って、今日はマイカーで通勤しました。
電車でいくと、田園都市線の用賀駅から銀座線の溜池山王まで乗ります。会社は赤坂ツインタワー内。door to doorでだいたい45分ぐらいが通勤時間ですが、車で行くと道が順調であれば30分ぐらいで着きます。今日もそうたいして渋滞もなく、30分ちょいで会社着。260円/30分の駐車場がビルの地下にあるので、そこにいつも停めます。ま、なんだかんだ言っても車は便利なもので、たまにはこういうのも、いいですね。おかげで今日は、全く混雑にあわずに済みました。よかったよかった。

ウチの娘も今年四歳。来週から幼稚園(三年)通いです。おっきくなったものですね。ま、時間だけはほっておいても経過するので、そういうことなのですが。

なにかこう、世の中をあっと言わせる楽しいことをしたいですね。どうも最近こう、純粋に心の奥底からワラワラと沸き上がってくるような気持ちに遭遇することがありません。経営者になっちまったせいで日々の仕事に追われているからか、視点が狭くなっちまったのか・・・・今年は、本来の自分のペースで、本来の自分の意志を尊重して思うように歩いていこうと、かたく心に誓ったここ最近です。久しぶりにいろんなことに手足をつっこんで、おもしろおかしく世間を見据えて生きていこうと思っております。


2001/03/31 24:15 夜 自宅にて


JJY停波

残念ながら停波の瞬間は確認しませんでしたが、JJYがその長い歴史に幕を閉じました。ラジオ少年だった私は、自分で短波ラジオを作るとはじめに受信を試みたのがJJYでした。ところが実際には、なぜか電波が弱く、VOAとかそのへんのがはじめに受信されちゃうのですが。
これも時代の流れというものなのでしょうか。寂しい限りです。

明日は新学期

毎年この時期が来ると、「ぁあ俺も新社会人だったころがあったなぁ」などとしみじみした気分になってしまいます。今はまさに就職難らしいですが、幾多の困難を乗り越えて就職したフレッシュマン、ウーマンたちが街にあふれる活気はいいものです。しかし、ゴールデンウィークすぎるぐらいまでは、電車が激しく混雑するのでちょっと憂鬱だなぁ。なるべく時差通勤しよ・・・とか、思うのも毎年のこと。ま、就職というものは実際にしてみればよくわかりますが、極論すれば、まぁあまりどこの会社に入ったとかいうことはたいした問題では無くて、与えられた場でどう生きるかがとても大切なものでありますね。

人生どっちころんでも同じであれば、一所懸命生きたほうがおもしろいに決まってます。ここをお読みの新社会人さんいらっしゃったら、どうか精一杯がんばってくださいね。なんにしても、全力でぶつかってがんばったことは、自身によい経験を残します。その経験は、必ず将来、自分の強い実力になりますからね。私が言うんですから間違いありません。

なんか最近ウイルス攻撃を受けているので、今日はもう寝よ。
2001/03/30 22:22 夜 自宅にて


ジョージ鈴木さんのこと

赤坂にジョージ鈴木さんというその世界では非常に有名な、バーテンダーがやっている店がある。ビエントという名前のその店に私がはじめて入ったのはもうかれこれ4年以上前か。
私はお酒は和洋を問わず全般的にすきで、日本酒もワインも好きだけど、特に、外で一人でも気軽にうまい酒が飲めるショットバー系カクテルはたいへんに好きだ。以前は横浜関内石川町あたりのショットバーをひとりで片っ端からさまよったものである。

が、ジョージさんのカクテルはまるで別世界のような味だった。はじめてのバーテンさんに注文するカクテルはギムレットと決めているのであるが、ジョージさんにもギムレットを頼んだ。気合いのシェイクのあと、グラスに注がれたギムレットは、コンマ1mlの誤差もないほどにちょうどグラス縁きりいっぱいにはりつめる。とてもグラスを手で持ってあげられないほどだ。きっとわずかな振動でこぼれてしまう。仕方ないので、グラスをテーブルにおいたまま、口をグラスに近づけ、のむ。きわめて透明なその味と、シェイクで限りなく小さく水に融合した氷が舌にふれた瞬間なめらかに解ける。

ここのギムレットを飲んでからというもの、他のとこのギムレットは飲めなくなった。

私は昔、バーテンダーになりたかったと思っていたころがあった。いや、もしかしたら今でもなりたいと心のどこかで思っているかもしれない。しかし、ジョージさんのカクテルを飲んだら、こんなにうまいカクテルを飲めるのであれば、バーテンにならないでもいやと思うと同時に、これを越える味はちょっと無理そうだから、辞めよかな・・・とも思った。

ジョージさんの店には、その後もなんどとなくおじゃまさせてもらった。肴に出される和風料理(煮物が多かったな)とのマッチングも最高、いつ行っても笑顔で迎えてくれ、おいしいカクテルでもてなしてくれたジョージさん。

そんなジョージさんのカクテルも、もう飲めないかもしれない。

ジョージさんから、赤坂の店をしまうという話を聞いたのは、もうかれこれ一年以上前だ。いつ行っても混んでいるのになぜしまうのか? まぁ他人には計り知れない事情があるにせよ、その時のジョージさんは、銀座で安い和料理屋を開くとか言う話もしてくれた。
その和料理屋がどうなったかは知らないが、少なくともビエントは、あるいはもう無いのかもしれない。今月のあたま、ビエントラストパーティーの案内をメールで貰ったからだ。
残念ながら私はどうしても調整できない所用でそのパーティーに行けなかったのだが、おそらくは、それがファイナルステージだったのではないかと思う。

明日で三月も終わる。来月からは新学期。そんな今日、ふと、ビエントのことを思い出した。


私があこがれている職業は他にもいくつもある。ミュージシャンもいいよね。街の電気屋さんもいい。どうも私の性向は、独りタイプのようだ。だので、会社の役員なんてのは(あまり大きな声では言えないが)ほんとは私の柄では無く、こういうポジションはできれば早く他の信頼できる優秀な人に譲ってしまいたい気持ちだけども、そういう人が居ないのだから仕方ない。学生のころも、野球とかサッカーとか、みんなでやることはあまり好きでなかった。短距離走、走り高跳びなどは学校の代表になるぐらい気合いでやったけど、これらはどれも独りプレーで自分の実力がリニアに結果に反映される。誰にもじゃまされない代わり、結果は全部自分の実力である。こういうほうが好きだった。これは今の仕事というか、自身の性格にも大きく現れていると思う。ただ違うのは、少しは大人になったので、自己を調整していろんな人(それこそいろんな人)と協調できるようになった点かな。

私が嫌いな三大嫌い項目である。

もちろんどんな世界にも、上記三大嫌い項目は存在する。存在しない世界のほうがまれだろう。しかしその度合いというものがあるよな。なんつうか、自身のなかで折り合いがつけられる範囲であれば全く問題ないと思うのだけども、そうでないと、まずい。

きっと、どんな世界でもそこに行けばいろんなしがらみがあるに違いない。

現実逃避をしたいとき、その逃避場所をどこに見いだせるかぐらいの違いがあるだけであって、どこでなにをやったとしても、よくも悪くも私は私。いつもなんか、これまたよくも悪くも問題意識ばっかし持ってあーだこーだと考えているのかもしれない。

がんばろう。昨日も今日も明日も。

時の不思議

私は未だに、光が進むのに時間がかかるということが理解できない。もちろん、頭ではわかっているつもりだし、いちお、理系の人間だ。けども、実感として、日常では光はいつも一瞬で時間を感じさせずに伝搬する。
昔、よく星を眺めていたころ、たとえばM32は、150万年光年先にあると言われても、ピンとこないよな。今、自分が見ている星雲は、150万年前の光で、今はもう無いかもしれないということだ。しかし、よく考えると、光以上のもので事象を確認できない現世であれば、現実に見えている今のM32の姿が今としてもいいのではないか? いや、むしろ、この光がなんで150万年前に発せられたものであるかということが証明できるのか。
赤方変位とかね、いろんなことを調べ、理解しようとしたけども、頭でわかっても納得できないっつうの。

しかし、光なんつうすげぇ速いものの速度を世界で初めて測定したレーメル、その後に回転歯車なんつうこれまた天才的な発想で続くフィゾー、回転鏡のフーコーたち科学者は本当にすごい奴らだと思う。

光の速度のことをあれこれ考察すると必ず連動して疑問に思うのが 時 である。私はとくにこの時の概念を、生命活動と連動して考察するとほんとうによくわからなくなることがある。過去、現在、未来とあるが、しかし現実にあるのは現在のみである。現在の連続軌跡である過去は、実は現在のみがあるのであり、過去というのは架空の概念なのでは無いか? 過去には日本には侍とかいたみたいだけども、それは少なくとも私の人生上では現認できない。すなわち、あとから知識として学んだことであり、もしかしたら全部嘘かもしれない。また、たとえば今、私がいるこの家、家庭、地域ですら、もしかしたら単なる私個人に与えられたイメージであり、たとえば私の家内は私と同じく意識を持っているので、同じ家、家庭、地域と時間を共有しているはずであるが、ほんとうに家内の意識が私と同じ時空次元に存在しているのかどうかは、私には確認できない。もしかしたら、巧妙に仕組まれた生命活動の一部で、すべてがたんなるイメージにすぎないのではないか? なんて思うこともある。
ま、そんなこと思っても仕方ないし、仮にそうだとしてもそれはそれでいいのでどうでもいいことといえばどうでもいいことであるが、少なくとも時の概念というものは、私は自分の命の世界の中だけのことなのではないかと思っているときもある。アインシュタインの相対性理論も、大化改新も鎌倉幕府もなにもかも、私の命ある世界のみで存在するのだ。

たとえばこう考えたらどうだろう。実はこの考えは、私が小学生かせいぜい中学生のころに思ったことだ。

池の中に居るゾウリムシを考える。

彼の世界は池の中。たとえその池をのぞく人間がいようとも気がつく術を持たないから、ゾウリムシは、池がこの世で唯一最大の世界概念だと思うだろう。探査機などを出して池の中を探索することはできるかもしれないが、池に外側があるなんていうことは、次元が違うので思いつかない。
このゾウリムシの住む池を車が走り去ったとしよう。水はとびはね、ふきとぶゾウリムシ。なかには車のタイヤで踏まれて死んでしまうゾウリムシも居るだろう。しかし彼らにはなにが起きたかわからない。

そしてゾウリムシの時間感覚は、今の私のそれに比べてかなり違うものだろう。

う〜〜むこんなちょっとのテキストじゃ、伝えたいことがうまく表現できないけど、世の中はきっと自分や既知の知識だけでははかりしれない超越したことがあると思う一方で、所詮は自分の意識、命がある間だけの相対世界なんだなとも思う。
2001/03/29 11:41 曇り 自宅にて


日本・・・いや、全世界で活躍するヨタ話読者のみなさん、おまたせしました。


帰ってきたヨタ話


です。

「生きてますか?」
「掲示板ではたまに拝見しますが、ヨタ話更新されてないようですね」
「更新されてないとわかっていても、ついついいつもチェックしてしまいます」

なんつうありがたくもとても申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまうメールを相当数頂戴しました。しかしそのようなメールも日を追って減少し、もはや市場にはあきらめのムードが漂い始めていることは私も肌で感じておりました・・・・が!
前回の更新が2000年4月15日でしたので、かろうじて1年以上の空白をあけずに(いや、事実上1年ぶりとも言う)復活することができました。
この間いろいろなことがありました。いやもうそれはとてもとてもこの場では語りきれるものではありませんので、おいおい機会を見てふれていきたいと思います。

■ そうそう世田谷区民になったの

一年前は横浜市民だったですが、去年の夏に引っ越して、世田谷区民になりました。なんで引っ越したかっていうと、私が役員を務めるデジプリ(株)(旧・(株)デジタルプリント)の仕事がとても忙しくなってきたし、いよいよ会社大飛躍の時だし、ちょうど家も狭くなったし・・・・などなどの理由で、通勤(溜池山王)への便もいいということで田園都市線沿いの都内でマンション借りれそうな場所ということで、最寄り駅用賀です。
部屋は2DKから3LDKになり、ずいぶん広くなりましたが家賃も当然相応以上にあがりました。ほんと、ボーナス払い無しの10年ローンでマンション買えかねないぐらいの家賃になってしまいましたが、旅芸人を自称する私としては当分は怯まず奢らず賃貸暮らしです。

■ ところでデジプリ・・・

そうそう、デジプリでの会社経営に専念するべく、ヨタ話の更新も停止し、この一年間、私なりに注力してきたつもりですが、今、振り返ってみると、それはそれはいろいろなことがありましたが、結論から言えば「なんにも結果出てねぇじゃね〜か」ということです。もちろん誰が悪いわけでもなく、経営者の一人である私含め経営陣の責任であり、結果を出せなかったという事実については真摯に反省し、今後さらなる経営努力をしなければならないということなのですが。数人で切り盛りしてたころの会社経営から、今はもう数十人の規模の会社になっている過程において、経営のスケーラビリティーの大切さというものを私は強く感じました。方針判断についてもそうですし、従業員とのコミュニケーションのあり方についてもそうでしょう。組織の大きさ、そして、物理的な器の大きさなどについてもそうでしょう。秋葉原にあったデジプリは、オフィス機能を溜池山王の赤坂ツインタワーに移しましたが、そんなこととは全く関係ないところの、いわゆる経営ポリシー的な面という世界で考えることはいろいろとありました。私は代表権の無い役員ですが、一年間、個人的にも会社的にも得るものはあったのではないかと思います。

■ エンジニアとしての私

以前にもこんなタイトルを打った気がしますが、まぁ、そうですね。エンジニアというのはどこか自分でものを作りたい面があるのだと思います。エンジニアとして考えた場合、この一年間は全くもって悲惨なものでした。愚痴っても仕方ないので私はあまり日常でも愚痴らないほうですが、この一年間、いわゆる経営に専念したところでそう大した結果が得られなかったので、これからの一年間は、もうそんな殊勝なこと思うのはやめて、自分のやりたいようにやっていこうと心に決めました。だって、専念してもしないでも、得られる結果が同じであれば、専念しないで他のいろんなことやっていたほうがトータルではいいもんね。世の中の真理は常にシンプルで、だめなものをいくらやってもだめはだめ。
というわけで、ちょうどデジプリも来月より事業部制になりますので、これを機会におもしろおかしいことを、いろいろやっていこうと考えております。

■ かにこむ引っ越したのよ

ついに自宅に専用線を引いたのが、今年の二月。OCNのエコノミーです。で、かにこむも自宅に持ってきました。目の前にサーバ群をおいた「かにこむデータセンター」があります。私が家にいるときは常に監視され、無停電装置で電源バックアップも万全。
4月15日 雨


すさまじい日々

今年はデジプリ気合いの年ということで完全にデジプリネイティブになったわたしですが、ついにリーガルアドバイザーなるひとから、言動行動についてのアドバイスを受けることになりました。つうのも、常務取締役として、勝手な言動は会社の役員としてひじょーにまずいことを生じる場合があるとのことで、あまり好き勝手なことをほざくな・・・ということのようです。だので、こうして極秘裏に開設しているヨタ話も、今後しばらくは、あまり無責任且つ重要で実は確実であったりする情報も迂闊に書けない立場になっちまったようでもあります。ま、そのうち必ず確実に戻ってきますので(って、そもそもどこに行くんだ(笑))、よろしくです。半年後には、なんらかの方向性は明らかになってますでしょうから・・・・ね。

デジプリも商法上の大会社

3末で、資本金が約10億円になりました。と、同時に、自動的に私も、大会社の常務取締役になりました。
私自身は、大企業というものが嫌いで、過去に三社に在籍経験あるも、いずれも少数精鋭の会社を選んで、意図的に大企業を避けてきた。大企業の硬直した、日本的なしがらみの中での妥協の産物的判断基準がだいっ嫌いで、もっと自由にとびまわれる規模の組織がいいなって。しかし、大企業と大会社は、同じものではないと思います。デジプリが大会社になったとしても、悪い意味での大企業にならないよう、頑張っていきたいと思います。

自宅で開発ひさしぶり


今月に入って毎日タクシーで深夜帰宅で、土日も無く働いているのは赤字の会社の役員なので当然のこととして、しかし、デジプリとしてもひじょーに重要な、某重要案件のために久しぶりにアプリケーションの開発をやってます。今日はというわけで、集中したいので在宅仕事。自宅で、好きな音楽聞いて、ウイスキーのんでさ、仕様を考えながら鬼のような勢いでコーディングする。久しぶりに開発やってみて、やっぱ俺ってエンジニア向いているんだなぁなどと、心底実感しました。と同時に、過去に自分で書いたコードを見て、『俺って頭いいじゃん』などと感心することしきり。しかしこれって、実はもう最盛期を越えて、山を下り始めたってこと?! まぁそういうことは気にせずに、前向きに明るく行きましょう。しかしソフト開発って、ほんとうに楽しいね。そのうち時間ができたら、今、ペンディングになっている山のようなアイデアを具現化しますからね、必ず。

というわけでムートン


下に書いたムートンですが、結局、業界筋では有名なdumbo氏(飴系駄菓子の名前の会社の社長さん)宅にお邪魔して、ワインパーティーすることとし、そんときにあけました。いやぁ、もう、なんというか、言葉では言えない味で、ほんとに生きててよかった。たけ〜ワインはこういう味なのか。じつにうめ〜 みたいな感じの宵でした。しかしこの日は3月とあって、私の酒要注意時期(毎年年に一回、3月4月に記憶無くすほど悪酔いする。ちなみに1998年は、非常に注意していたせいもあってこういうことなかったのだが、1999年は同様なこと有り)であったことをすっかり忘れた私は、ワインをたぶん2本分ぐらい以上は飲んで、かつ、dumbo氏の作ったカクテルを何杯のんだかわからんぐらい飲んで、すっかり酔っぱらって記憶をなくし、翌朝自宅で目覚めてみれば体中ゲロまみれでした。一緒に居た鈴木氏談によれば、なんでも途中まで一緒にタクシーで帰ったとのこと。もっていたデジカメ(実はもろもろの事情で一時手元に無くなってしまい、後日回収。しかしその後日また手元を離れた)には、記憶にまるでない世にも恐ろしい映像が記録されているし・・・・・。しかも、この翌朝は日帰りで京都に出張があり、ほんま、死ぬ思いで京都にいきました。ぁあ、こんなこと書けるのも、これが当分の間では最後かも。

3月14日 晴れ曇り雨


とびまるソフト休業記念日?!

今日、ようやく1999年度の確定申告を済ませた。1999年度は、デジタルプリントの役員/CTOとしての仕事がメインで、とびまるソフトはほとんど休業状態だった。ゆえに超赤字で、1999年度に納めた予定納税全額はもとより、さらにいろんな控除が加わって、なななななんと、36万9千4百8十4円もの税金が還付されることになった。
当然だ。貧乏暮らししているんだからな。

そして今後しばらくの間は、デジプリ役員としてのわたしに徹したいという希望もあり、とびまるソフト休業することにしました。廃業でなく休業ですので、しばらく落ち着いたらまた戻ります。また、kani.comは引き続き継続してありますので、今後ともご贔屓に。

相変わらずデジプリは忙しく、毎日4時間睡眠継続中で、年明けてから1日フルに休んだ日は2日しかないという状況だけども、とても楽しくてたまらない。毎日夜はタクシー深夜帰宅だけども、全然苦じゃない。みんな、自分の思うこと、信じる道を歩むのが、たとえ苦しく困難があったとしてもそれが人間的な生き方だと思うぞ。だって、この充実感は、なにものにも代え難いもんね。

94むーとん
1994ムートン購入

私はワインというものの味はまるっきしわからない。ウイスキーは高いヤツはやっぱ相応に美味しいと思うし、日本酒も同じ。しかし、ワインは3本千円とかいうやつをマインマートで買ってきて飲んでいる。
つう話を、実は3月11日、12日とデジプリの某戦略会議合宿が熱海であって、その時にちょいとした。実はその合宿には、知るひとぞ知る超有名人、Dumbo氏も同席していたのだが、氏は、ワイン通でもある。『青木さん、そこまで酒が好きならば、だまされたと思って3万円ぐらいするワインを買って飲むと人生変わるよ』というアドバイスを貰った。さらに私の下で働くエンジニア鈴木氏もワイン好きで、『絶対買ったほうがいいですよ』と追い打ちをかける。
奇しくも今日は、とびまるソフト休業記念日&ホワイトディ&2日遅れの結婚記念日で、かつ、税金も36万9千4百8十4円も返ってくることになったであるが、そんなこととは実は全く関係なく、写真のような、1994ムートンを日吉の東急デパートで購入した。

値段は秘密であるが、まぁ相応の値段ではある。少なくとも、私が過去に買ったことのあるワインの最大高価なものの8倍はするな。

で、だ。こんなとんでもないものを買った印象だけども、サントリー山崎18年で2万円弱のものを買うのに比べても、随分と楽しめるものがあった。少なくとも、すでにもとは取ったって感じだ。まずは酒コーナーから話ははじまる。なぜかこのクラスのワインは、鍵つきの棚に格納されている。ウイスキーは3万円ぐらいのものだっても平気でそのへんにおいてあるのになぜワインだけこんな優遇されているのだろう。そして、買うプロセス。お店の人を呼んで、「あの、(鍵のかかったオリの中を指さして)この94年のムートンください」というと、その店の人は、聞きもしないのに「お客さん、この94年ものはどうのこうのでうんたらかんたらで、とてもいいんです」と、一通り説明してくれる。「そうなんですか」なんて答えて、こんなことされると、なんだか急に高級ワイン通になったような錯覚になるから人間はあびない。

でだ。次は、レジでの精算。東急デパートなので、普通の食料品売場のレジに、通常の買い物のおばさん達と一緒に並ぶ。バイトの女の子かな? レジ打ちの人にワインを手渡して、バーコードを「ぴっ」とやると、レジには、【金額】 が表示される。たかがワイン一本でこの【金額】に女の子はびびったらしく、何回もバーコードを読み直させては、【金額】 の表示を繰り返し見せつけてくれた。「あれぇ?」とか言ってバーコードリーダーの点検を始めたので、「この金額で合ってますよ」って言うと、「ええっ! そ、そうなんですか!」などとこれまたびびると同時に、後ろでならんでいるおばはんも、「はぁ!」とかシンクロしてびびっている。「ぎ、ギフトですか?」とどもり調子で聞くので、軽く「いえ、自分で飲みます」と答えた。きっと、すげぇ金持ちかへんなヤツだって思われているんだろうなぁ・・・とか思いつつ、壱万円札三枚と小銭を渡す。こないだまで3本千円のワイン飲んでいた俺としては、たかが高いワインを買っただけで、こんなことになるとはまったく予想していなかっただけに、とても面白いぞ。

さてと、問題はこれをどう飲むか・・・だ。私は、たかが3本千円のワインの時ですら、飲む時の料理には結構注意を払ってきた。今回は、それなりに気合いの入ったワインなので、やはり見合った料理が欲しい。どうしやう。久しぶりに作るかな。

飲んだらまたここで発表するね。

貧乏人が身分不相応のものをたまに買うと、それだけでこんだけ話題ができるので、まぁ庶民はいいねぇって感じだ。たまには、いいよね。

そうそう、カシオのファイバを12日に買ったの。リブレットでさんざん懲りたハズなのに、なんかこういう小型ものに弱い私。ぜんぜん時間がなくて、バッテリ充電しただけなんだけども、おいおい実戦配備していこ。

元旦 晴れ

謹賀新年

つうわけで、今年もよろしゅう。

久しぶりにのんびり過ごす

いやまさに去年ほど自由な時間の無かった年は近年珍しかった。12月は一日フルに休暇だったのは一日だけだったし(この一日であってももちろん数時間に一度のメールチェックとその対応はやっているので、純粋にほんとうに休みなわけではないのだけども)、つうわけで、今日は午前0時と午前9時のオンライン張り込みをのぞき、かなりのんびりと過ごしております。娘と粘土で遊んだりしてね。たまには必要ですね、こういうのんびりも。明日は、初詣に行って、午後から在宅で仕事開始です。ドキュメンテーションが山ほどあるし、いろんな提案書とか、計画を立てないとね。

Y2K無事到来

デジプリのシステムも無事、Y2K迎えることができました。私は元旦午前0時と、朝9時の境目にオンラインで張り込んでおりましたが問題無し。あとは、4日の仕事始めで各人のクライアントにおかしなことが起きないかどうか・・・と、うるう年ぐらいかな。

カニとホタテ

今回の年越しは例年になく海の幸が豊富でうひひでした。かにこむ広告収入であるたらばがにむき身も大晦日に無事到着。その数日前には、これまたもろもろの事情で、殻付きホタテ3kgを北海道函館在住のののさんからいただき、いつも毎度かにこむを応援くださる和歌山の栩野さんからも、あまくて美味しいミカン一箱をいただきました。自腹系では、通販で買った長崎の名産 からすみ や、めんたいこ なども続々と到着。これで当分日本酒のアテには事欠きません。ぁあ幸せ。しかし、我が家の経済状態はたいへん厳しいので、そうそう嗜好品にばかりお金を使える状況でも無くなってきました。持ち出し財政が1年以上継続すると、やはり辛いものがあるのが現実です。さて、なんとかしないと。

さてと、今年も頑張りましょう。みなさんにも、ご多幸あれ!
1999年12月までのヨタ話
1999年7月までのヨタ話
1998年12月までのヨタ話
1998年5月までのヨタ話
1997年12月までのヨタ話
1997年9月までのヨタ話
1997年2月までのヨタ話
1996年のヨタ話(テキストのみでも約 100 KB)