ヨタ話

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不定期に追加更新されるまさに「ヨタ話」。お忙しいかた、無駄が少しでもキライなかたは、直ちに「Back」ボタンを押されることをお勧めする。

挿入写真は、RICOH DC-1S or FUJI DS-7 で撮影。ComeBackImage でレタッチ&リサイズ&JPEG保存したもの。

ヨタもテキストだけでも随分重くなってきました(96年6月8日現在42KB)。で、本日インラインでリンクされている画像サイズを小さくして、転送データ量を少しでも減らすようにしました。以前と違う見え方をしていても、それは異常ではありません。

12月30日昼間。天気:晴れ


一ヶ月ぶりの更新。

と、いうわけで、 遂にサラリーマンにおサラバし、1997 年早々より、フリーのエンジニアとして生活していくことにしました。みなさまどうかよろしゅうお願いいたします。

部屋
12/28 には、来年からの事業開始に向けて、Mac と BeBox をちゃんと並べて部屋の小規模模様替えも行いました。

で、とりあえず『開業準備』ってわけではないけど、前から欲しいと思っていたソフトを一気に揃えることにしました。まぁ、通販でもよかったのだけれど、最近あまりアキバにも行ってなかったので、昨日12月29日、久々にジムニーでアキバに出撃しました。

12/29 の戦果
で、簡単インプレ。

FileMaker Pro 3.0

今更私がインプレするまでもなく実にマックらしいソフトで、実にナイスである。私は今までワルツカードという、ちょっとマイナーなDBを使っていたのだが、最近どうも心許なく、来年以降のオリジナルソフトのユーザー管理や見積書作成などの定型業務にも使いたいっていう気持ちもあって、前職で使っていた FileMaker Pro(但し当時(ってつい数日前だろーが)の私の勤務先で使っていたのは未だ 2.x) を購入することにした。こいつぁ、思いきり期待通りで満足満足。いや〜、よい買い物でした。

一太郎 5.0

評価・コメント不能なほどムカツイタ。 半分予想していたとはいえ、あまりに悲惨だった。もともと一太郎を買う気になったワケは、もうかれこれ6年間愛用してきた EGBridge が、学習させるほどにおかしな変換をするようなヘンなものになってしまったのと、なぜか powerMac で死ぬことが多いため、ATOK に乗り換えようと思ったからであった。で、LAOX マック館で、ATOK 単体が 7 千円弱で、一太郎(ATOK 付き)が、\10,800- だったから、まぁ、ここはせっかくだし、だまされたと思って一太郎を買うことにしたのだ。

私がマックユーザーになる前、MS-DOS 2.0 時代は、実は ATOK と一太郎 / 花子ユーザーだった。で、比較的信頼をおいていたし、100頁ぐらいの大量文書を処理してもかなり確実に処理できたので、もしかしたら、マック版の一太郎も慣れればまぁ使えるかもしれないと思ったのだが大間違いだった!!  5分間も使っていれば、胃潰瘍間違いなしだ。

一太郎

まずは右のメニューを見て欲しい。

一見普通に見えるが、フォントの解除ってなんだぁ! サイズの解除ってなんだぁ! 相対サイズの4倍角ってのはお願いだからマックでは止めてくれ!!!

『書式』メニューひとつをとってもこうである。他にも、別の書類を開かない限り永遠に閉じることの出来ない文書1や、罫線付きのウインドウ。私は完全にプッツン来た。

お願いだから、マックのソフトを作ってくれ。→ジャストシステム

今年最後であろうソフトの買い納めがこんなんでは全く気が済まない。こんなんじゃ、1996 年を気持ちよく終えることなどできんわ!!

と声を大にして叫びたい私は、12月30日もまたソフトを買いにアキバにいったのでした。

12/30 の戦果

一太郎でプッツンきた私は反動で、どうしても使えるワープロを手にしないと納得できなくなってしまった。今までは EGWord だったのだけれど、これも大量文書に絵を貼っていたりすると比較的よく死ぬのだ。で、前から欲しかった、Nisus Writer を購入。OpenDoc には全く興味ないので、コンテナがどうのこうのっていうのはどうでもいいのであったが、大量文書を安定してこなせるワープロが欲しかったのね。あ、実をいうと、クラリスワークスもいいかなぁってちょっとだけ心が揺らいだのだが、私は、統合ソフトって好きでないのだ!。得意分野で力を発揮すべく、分業こそが世の流れ。そういう意味では OpenDoc ってのは概念は好きなんだけど、実現方法に無理ありで、あまり実用的ではないだろうってのが私の判断。ちょっと使ってみたけど、おおかた満足でし。

Canvas は、英語版の 2.0 を随分前に U.S. から買ったっきりで、特に困ることもなかったのでバージョンアップもせずにそのままだったのだけれど、非常によく使うソフトでもあり、たまたま目に付いた(っても \49,000- は高かったけど)のでゲット。うん、これも実にいい。

Norton Utility は、私はこのテのツールって、あまり好きでないしなんか胡散臭いので、常用する予定は全くないけども、非常時にあって助かったという経験を職場で何度かしていたので、いざというときのために一応ゲット。

うん、今日の買い物は実に満足。これでソフト買い納めも無事終了で、1996 年を無事に越せそうです。

けどさぁ、他にもテンポラリ用の2GBのHD買ったり、ケーブル類(これが案外かかるのだ)で3万円近くも使ったりで、昨日今日で20万円は使ったぞ。大丈夫なのか>俺。

あ、そうそう、実は、 リコーのデジカメモニタに当選 して、DC-2E をゲット。今日到着しました。DC-1S に比べると、デカいなってのが第一印象だけど、かなりよい完成度ですね。画質の評価を含めて、後日突っ込み入れたいと思います。
11月24日昼間。天気:曇り


毎月20日〜25日は、原稿の締切に追われる日々。だが、最近本業が忙しいのと、BeBox を買ってそっちに時間を割きたいのとで、原稿は毎度お世話になっている奥村さんからしか受けていない。ので、雑誌系は1本レビューがあるだけなので、なんとかなるかなぁ・・・・ちなみに、依頼された原稿1頁を書くにあたり、必要となる素材、資料もろもろは、一概に量に換算できないけども、まぁ5〜10頁分ぐらいかなぁ。用意した内容を、吟味して凝縮し、素材の段階の 1/5 以下に圧縮しないと、読める記事にはならないと思う。たとえば、誰かに何かを教えようとするとき・・・これは、家庭教師の先生でもいいし、講師でもいいのだが、その時の講義の内容の、すくなくとも10倍の知識を持っていないと、まともに相手には伝わらないだろう。これが私の持論。今回は、原稿2頁の依頼なので、ラフドラフトでだいたい10〜15頁分ぐらいの素材が必要なわけね。

光技術コンタクトという、業界雑誌があるのだが、なんと今回は、その業界紙への原稿締切もあるのだ。こちらはもう、その名前の通りそのスジの業界の皆さんが読まれるわけだから、プレッシャーバリバリである。おはずかしい限りである。が、引き受けたのが約二か月前で、全部で6頁ぐらい。ずーっと前から地道に時間をかけて構想を練り、いよいよ今日から仕上げにかかる。

インターネットテレビって一体・・・・・?

最近、インターネットテレビなるものの名前をよく耳にする。私は初めてこの単語を聞いた時には、『日本もやるなぁ・・・そこまで来たかぁ』と、思った。私がその時想像したインターネットテレビは、以下のような仕様のものだった。 ところが各方面からいろんな話を聞くに及んで・・・・・『なんであれがインターネットテレビなんだ?!』。正直な感想として、消費者をなめんじゃねぇ・・と思った。

最近の Apple...

なにやらヤバい。新 OS 戦略は早くも新たな壁にぶつかり、偉い人が二人も辞めてしまった。引責辞任だって言われているけど、ほんとうにそうだろうか? あるいは、なんでそんなふうになってしまったのだろうか?

BeBox のコーナーにも書いたが、やはり、『夢のないところ、夢を持つもの決して留まらず・・・』ではないだろうか。

私はこんなすごい事象に対して、なんらコメントできる知識も経験もないが、同じエンジニアとして、少しだけ、わかるような気もする。
11月3日未明(2日の深夜)。天気:雨


おかしい。毎年ほとんど晴れのハズの11月3日なのに・・・

いよいよ、私もいろいろともろもろの時がきた。なんのこっちゃ不明な言動だが、実は、10月22日に非常に重大な事実がわかったのだが、この件についてはまた折りを見て。

最近漠然と、いろいろなことを考える。まぁ、漠然ながらもその時々ではかなり真剣に、掘り下げて考察しているのだけれどかなりくだらないことも多い。せっかくなので、ここで少し披露しよう。

名字の性格に与える影響

はじめはこれだ。なんのことかというと、いわゆる出席番号の順番ってのは、成長期の子供の性格形成に、影響を与えるのかどうか・・・与えるんじゃないかなぁ・・・っていうのが私の意見。性格の基礎は5歳までで確立するといわれるが、その後の環境も少しは影響するだろう。人間の性格は実に複雑なので、基礎は5歳までで確立したって、別の顔の性格だってあるわけだし。

私の本名は、「青木康雄」である。滅多なことがない限り、出席番号は1番だ。さすがに大学では、「青木」が3人居て、出席番号(学籍番号)3番だった。「康雄」だと、同じ「青木」が居た場合は弱い(笑)。が、私がここで問題にしている時期は、小学校のしかも低学年。同じクラスに「青木」が居たことはなかったし、幸か不幸か、「相沢」さんと同じクラスになったこともない。ので、私はいつも1番だった。

小学校のころ、たまにある予防接種。これは出席番号順で始まる。私はいつも一番最初に打たれるので、いわば「切り込み隊長」だ。打たれたあと、クラスのみんなに「痛かったか? 痛かったか?」と、聞かれるのでそれに答えるという重要な任務を帯びている。

また、体育館や保健室で行われる健康診断も、私が先頭だ。身長、体重、座高などなど、いくつかのコーナーがあって順番に回るのだが、具体的にどう回ってどうすればいいか・・・など、私の前に人はいないので、私は自分で考えて判断して、わからないところは先生に聞いて受けねばならない。

私の妻の旧姓は、「原」である。先日、妻に上記の話をしたら、やはり妻はそんな思いはしたことないと言っていた。注射の時は、前に打たれた人が痛そうにしていたり、そんなでもなさそうにしていたりで覚悟が出来たというし、健康診断でも、「は」は随分後ろのほうなので、すでに前には沢山の人の道が出来ている。あとをついて、回りを見ていれば全てはわかったのでなんにも悩むことはなかった・・・・と。

この違いは、案外大きいと思う。まぁ、毎日注射打たれるわけでないし、毎日健康診断やっているわけじゃないけど、なにかにつけて出席番号順とか、身長順だったり。それでどこにアサインされるかはその人間の負った運命であって、神のみぞ知るって言うのなら仕方がないが。
どっちがどういいかって問題ではないが、出席番号順でなんでもやらせる(最近の小学校は違うのかも)のは先生にとっては手間がかからないでいいかもしれないが、ちょっと考えたほうがいいのではないかなぁ・・・って、思ったりもする。

すごく印象に残っているテレビ番組(物心〜小学生)


こんなくだらないことを書いていたら、他にも沢山思いだしてきたのだがキリがないのでやめる。
10月19日深夜。天気:曇り−晴(10月20日ちょい手直し)


実は1週間ほど前に、RIMNET 横浜の私のディレクトリ(オプションをフル装備しているので全部で 20 MB 使える)が容量一杯で、しかたなしにこの「ヨタ話」のコーナーを潰したのですが、その後、「あんな楽しい無駄なコーナーがなくなるなんて、実に悲しく残念だ」というメールを、10111 通(注:2進数です)もいただきました。ありがとうございます。そこで、アメリカは東海岸にあると思われる、私の海外拠点を使って復活しました。今後ともよろしく。

さて、昨晩金曜日は、私は午後四時に仕事をあがって、プライベートな実に重要な会合のため、東京は南青山を目指しました。で、私含めて3名で楽しく焼き肉なぞをつついていたのですが、すごい話を沢山聞きました。
ちなみに、私以外のお二人は、いずれもそのスジでは非常に活躍されておられる(キているとも言う)かたでして、まぁ、その、そういうわけであります。
このようなそうそうたるお二人に囲まれた私は、単なるしがないサラリーマンで不良社員なんですが、そこはそれ。まぁ置いておくとしてですね・・・で、すごい話の紹介を。

なんと、あの、XX-X が、xxxx に xxx を改良してしかも、xxxx な xxxx 及びいろいろな仕様変更を受けて、XX-Z になって数日以内に発表になる・・・なんていう話もあるのですが、そんなことはどうでもよくなるほどのさらにすごいことを私はお伺いした。

なんと、
KWSM 氏(匿名)は、とある機会があって、ジョン・スカリー氏と、アラン・ケイ氏と、スピンドラー氏の直筆サイン入りの Classic を持っているとのことだぁ。
しかも、ちゃんとご自分でお会いして、その場で買った Classic にサインしてもらったとのこと。すごいぜ。Apple / Macintosh を愛するものとして、一億円積まれても手放せないぐらいすごいアイテムだ。さらに、KWSM 氏は、飯島 愛 直筆サイン入りのマウス(もちろんマック用)ももっているらしい。
いいなぁ・・・

そして、
ITBS 氏(匿名)は、あの、ユニークな仕組み(もちろんちゃんとした有名な名前があるのだが、それを書いたら匿名の意味がなくなってしまう(笑))でカラーの印刷が出来るプリンタの紙を研究・開発された張本人で、とにかくすごい頭脳・発想の持ち主である(ご本人曰く、歳のせいか『もう涸れてきた』とのことですが、そんなことは全然・・・)。いろいろと、有意義且つ楽しいお話しをお伺いすることができました。

私が驚いたのは、やはり、ジョン・スカリー氏と、アラン・ケイ氏と、スピンドラー氏の直筆サイン入りの Classic がこの世にあって、しかもそれが日本にあって、しかもさらに、私がお付き合いさせていただいているかたが所有されているという事実がすごいなぁ・・・と。すごい話ばかりなのですが、そういう私自身は、全然なんにもすごくないところがまた面白いですね。

写真とビデオ。オーディオのこと。酒のこと。他にもいろいろと楽しい話題に花が咲き、時も忘るる宵でした。私もそうですが、みなさんいたって真剣に趣味を遊んでいるので、話も真剣ですね。

うん、なんだか心の奥深くに眠っていたものが、目覚めようとしているかのごとくの動きを感じる・・・・ぞ。
8月24日朝。天気:曇り(夕方雨らしい)


かなりパニック。

ComeBackImage にバグ。ソフト本体は一応 fix を終えるも、ドキュメントがぁ・・・。もともと html に移行する予定だったけど、bug fix リリースだからゆっくりもしてられないし、しかも今日は実家巡り前半戦だし夜は花火大会見にいくし・・・で。原稿もあるし本業はサラリーマンだし。

時間が欲しい。最近一日4時間睡眠ペースで相当な時間を CBI にさいている。けど、全然足りない。

部屋の状況
8月4日夜。天気:晴れ


なんか最近、忙しい。次から次へとやりたいこと、やらねばならぬことがやってきて、片付ける間もなく堆積していく。
8月4日夕方。天気:晴れ


まずいなぁ、ディスク容量がボチボチ足りないぞぉ。 私のパソコンの話でなく、リムネット上の話。

情報発信に燃える私は、リムネット契約時に、プライベートディスク容量追加をすかさず申請して、マキシムの20MBで運用してきたが、ここのところの「画像ネタ鬼のような追加更新」で、あと数メガしか空きがなくなってしまった。
百メガ単位で使用可能な、私の海外拠点「kani.com」もあるにはあるが、さてどうしよう。重いデータだけをカニコムに移して、文章だけを日本に置くか・・・・

最近、海外からのメールが激増して、コンスタントに毎日一通ぐらいくる。内容は、「日本語なので全然よめませ〜ん。たまに出てくる DC20 とか、DC-1S、DS-7 でデジカメの画像だってことはなんとなくわかるのですが、ぜひあなたのコメントも読みたいで〜す」という内容だ。

うーむ、情報発信に燃える私としては、世界を視野に入れねばならぬ時期に差しかかっているようだ(おおげさだなぁ、相変らず)。
日英翻訳ソフトを買いにいくか(相変らず軟弱な方向に・・・)
7月29日夜。天気:快晴


最近子供達が夏休みなせいか、あちこちではしゃぎまわる。灼熱地獄の太陽光線なんてもろともせずに。

子供達が元気なことはいいことだ。じゃんじゃか遊んで大きくなってくれぇ。

元気に遊ぶ子供達を見ていると、自分の過去と、あるいは今とオーバーラップして、ふと、いたたまれない思いをすることがある。

先日の花火大会もそうだった。

私は最近導入した、FUJI の DS-7 を鶴見川花火大会に持っていった。三脚に据えた DS-7 の後ろの液晶には花火がクッキリと写しだされる。

DS-7 がよほど珍しく興味惹かれたのだろう。小学校低学年〜中学年ぐらいの男の子が、私を押し退ける勢いで、私の DS-7 の液晶に見入る。

「なにしてんの、こら」

母親とおぼしき女性の声。

しかし男の子の視線は純粋で光っている。

私はしばらく撮影をやめて、DS-7 を彼の視線にあずけた。

無邪気で純粋。今の私には遠い世界の言葉のような気がして、突然今の自分を我に返る。

昨晩だったか、「超元気が出るTV」

子供達が、田舎に林間学校にいく企画。

子供達は元気だ。見ていて実に清清しい。・・・・・・・・・・・。なにか自分が自分をごまかしている、だましている部分が露見されるがごとくの情けなさを、純粋な子供達を見ていると感じる。

やりたいことがあれば思いきりやればいい。失敗したっていいじゃないか。やらなきゃなんにもならんのだし。しかも、自分には確固とした信ずる道があるのだ。

最近、ウォッカの消費でごまかしているが今本業は夏休み。

そろそろ真剣に、考えよう。

私はロシアにいきたい

もちろん観光でだが。

真剣に考えている(すぐ上の話題とは完全に別だよ)。

トランジットビザで入国し、72時間だが滞在するのがもっとも有力か。

私は社会主義には全く興味はないが、一時期2大大国とうたわれたソ連は崩壊し、軍事産業ですら財政難から観光事業に転用される状況だ。

そこまでの急激な崩壊がなぜ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が小学生の頃・・・そう、20年前以上だ。偶然にもラジオをいじっていたら受信できた海外放送が北京放送だった。当時は未だ、日中の国交が正常化したという時代だった。海の向こうの放送が聞こえただけで感激だった私は、そのあとBCLにハマり、ボロっちいラジオ(友人宅で壊れた短波ラジオを修理して使ってた)を駆使して、ラジオ韓国、BBC、朝鮮中央放送、台北の声などを自力でサーチしたが、なかでもすごく強力だったのがモスクワ放送だった。

あの独特なマルチパスエコーを伴って入感するモスクワ放送は、IS(インターバルシグナル)が流れるまでもなく、聞いた瞬間それだとわかった。当時のモスクワ放送は、内容はよく覚えていないが、マルクス・レーニン主義の話や、社会主義の話など、なんか堅い内容が多かったように記憶している。

トランジットビザの第三国は、チェコにする予定だ。
7月16日夜。天気:晴れ


ごめん、酔っ払いモード。

私の場合、ストレスのレベルと酒の量は確実に比例する。

最近のマブ達は、ABSOLUT VODKA(40%) 。私はどうも、まざりっけのある酒は、日本酒以外はダメで、ブランデーとか、トロピカルドリンク系は呑めない。カクテルはジン・ビターズのみだし。

最近の、ABSOLUT VODKA 消費量は、375 ml / 日。二日でボトル一本ペースだ。いつもは週に一本なんだけど、仕事やその他モロモロのストレスのせいか? で、消費量増大。

今日、19時すぎ、たまたま NHK-FM に tune on。モーツアルトのレクイエム(モツレク)が流れているではないか。うーん、素晴らしい。後半の、弟子が書いたといわれる所まで聞いて、晩飯。モーツアルトについては謎がおおいね。この話題は自分なりにある程度調査したんだけど、内容はまた、改めて・・・・・

そうとう酔ってきたな。ちなみに今日も、ABSOLUT VODKA 約 375 ml 呑んだ後。

たった今、SB社のマック使い編集部の奥村さんから電話があった。某デジカメのレビュー記事書かないかい〜のお誘いなんだけど、快く「あー、やりますよ」って、返答。大丈夫か>俺。ちなみに、奥村さんは私がすでにドランカー状態であることを知る術もないね。お仕事お疲れ様です。

俺、やっぱどう考えてもサラリーマン・・・というか、組織の一員に加わること自体、向いてない人間だってことを最近痛感する。一人さまよう旅芸人って感じかな。

あ、別にサラリーマンでもいいんだけど、理不尽なことってあるでしょ。うーむ、よく説明できないけど、簡単に言えば、「なんだよこれ」みたいなことを、自らやらねばならない状況。

それって俺、耐えられないんだよね。確かにガマンして黙って仕事してれば給料貰えるけど、別に俺、そんなことしてまでカネ欲しくないんだよ。

これ、ほんと、マジで正直な俺の気持なんだけど、金銭的に貧しくてもいいからさ(生活できる範囲でね)、自分で納得できること、したいんだよ。


7月14日夜。天気:晴れ


原稿進まず。15日締切りの原稿が都合3本あるが、どれもあまり進まない。

俺、文章書くのはキライでない。けど、どうも最近すすまん。

ふと、思う。そうだ、きっと、マックで打っているからだ。やっぱ、原稿は、「書かなきゃ」ダメなんだよ。

中学生時代。私は部活や趣味にも明け暮れていたが、学級新聞にも入れ込んでいた。担任の先生の影響大だったのだけれど、まぁ、けど、関東地方ではそこそこ名の知れた学級新聞を作っていた。

「302タイムス」

私は編集長を務め、ライターには「某ゆきこ」さん。もう結婚してるだろーなぁ。彼女は天才的な文字を書くライターで、読売新聞主催の学級新聞コンクールや、その他のなにがしのコンクールで、各種賞を貰うに至ったのは、編集メンバーの力もさることながら、誌面を書く彼女の功績大であったと思う。

当時の私は、企画にしても、レイアウトにしても、紙に書いていた。当たり前だな。当時私がいじっていたパソコン(マイコン)と言えば、TK-80 など、文字なんてまだまだ扱えないものだった。

原稿を書いて、うまく行かないとき・・・・そう、作家のごとく、紙を丸めて、後ろにポイ。

これだよ、これ。

いまはどうか。テキストエディタで打っているので、コマンド+Aでデリートキー。

紙を丸めてポイ。やっぱ人間、バーチャルで代用できないもの、あるね。
7月7日夜。天気:曇雨


七夕。家にいる。久しぶりにギャラリーをパワーアップ。最近デジカメしか使ってないのでデジカメのコーナーを新設。題して「RICOH DC-1S が見た季節」。

こうして時系列的に整理してみると、案外いいね。あ、自己満足。
7月6日夜。天気:快晴


うかつにも夕食後うたた寝。19時から23時30分まで寝てしまったようだ。

植物
今日は下にも書いたけど、天気がいいので植物をバルコニーに出して日を浴びさせる。けど、こうしてみると、なんか侘びしいね。賃貸マンション暮らしも。さんさんと降り注ぐ太陽なのに、あんなちょっとの幅でしか太陽光線をゲットできないなんてね。虚しすぎる。

気を取り直して・・・・

ハーブ
ハーブは、一応育っているけど、聞くほど成長著しくない。ちょっと心配。もう一箇月経ったのに、こんなんで、あと一箇月で収穫できるのだろうか。うーむ、である。

パキラ

パキラは極めて順調にすくすくと成長。成長著しく、一度枝を摘めたんですよ。これでも。ハイドロだったパキラもすっかり土になじみ、直射日光にも全然怯まない、丈夫な株になってくれたようです。


ソフトネタ。

ComeBackImage といえば、私が作っているレタッチソフトですが、これの次期バージョンを随分以前から考えているんだ。ComeBackImage とは違うパッケージにして、新しいラインナップにする予定。いまの構想としては、
ってさ、構想膨らむんだけど、全然時間がないんだよなぁ。

私はあちこちで書いているけど、仕事でもマックのソフトエンジニアで、マック開発チーム(と言っても3人)のプロジェクトリーダー。仕事の工数見積なども私の担当なんですが、仕事の調子でこの新規プロジェクトの見積をすると・・・ てな感じかな。まぁ、趣味は楽しんでやってる分、仕事と違って開発しながら仕様を追加/削除してるので、急にxxをやめれば100時間ぐらい減ったり、あれもいれれば50時間増えたりするな。なので、あくまで目安のお遊び見積なんだけどさ、どんなんになるかなーって思って、試しに遊んでみたわけ。ちなみに、仕事では、私の「時間の値段」は、一時間あたり1万数千円なので、上記見積は金額にすると、1000〜1200万円ってとこ?

案外安いのね。


7月6日昼。天気:快晴


すさまじい快晴。昨日は抜歯でうかつにも酒がのめなかったので、今日は昼からビールをやる。

妻が昼飯を作っている音が聞こえる。

12:38 FM東京を聞きながら、バルコニーに面した和室の窓際で、なにをするともなく外を眺めながらビールをのむ。

明日は七夕。

俺は小学生のころ、星に興味を持って、すでに地動説も、「天文単位」なんて言葉も知っていたが、七夕には織姫星とひこ星が年に一度だけ会えるという話を聞いて、てっきり七夕の晩に星が移動して、星食みたいにくっつくのかと思っていたことがある。たった一晩で、ベガとアルタイルが、例え視覚的にもくっついて離れるなんてことがあったとしたら、そりゃすげー現象だ・・・と、思った。

すっげーなぁ、世の中にはまだおいらのはかり知れない不思議な現象があるんだなぁ。

なんて思ったかどうかは覚えてない。

0706

空腹でのビールが作用してかどうしてか、昼からいろいろなことを考えてしまう。

もっと真剣に生きよう。充実した時間は大切だ。バルコニーに面した和室の窓際で、なにをするともなく外を眺めながらビールをのめるような充実した時間を、「ひととき」でなく、もっと欲しい。


6月29日。天気:晴れ


いつものごとく、休日は朝から植物の世話。3週間前に我が家にやってきた、ハイドロ出身のパキラも、体質改善のため先週土に戻したのですが、元気に育っております。ボチボチ大丈夫だろう・・・ということで、少し日に当てております。もともと熱帯ジャングル育ちのこの木は、木漏れ日ぐらいでちょうどいいハズなので、あまり強く当てないようにしないといけなそうですね。

さて、本業のサラリーマン業も、ようやくプロジェクトとして本格稼働できるような状態になりました(業界用語では、「仕様が固まる」といいますが)。あとは、工期との戦いですね。それはそれで、どーでもよいっていっちゃぁなんですが、休日に考えることでもないのでおいておきましょう。

つぎに、某SBさんから出ているマック使いの雑誌に私、連載を書いてますがこれが案外人気なようです。読者の皆さんありがとうございます。いやぁ、フォトレタッチっていうと、普通はギンギンに画像処理入ったハデ系記事が多いので、あのようなジミな主旨の記事が受けいれられるのかどうかかなり心配で、連載6回予定が3回で打ちきりになったらどーしよう・・・なんて思っていたのです。ところが先日、今回の連載が終わったら、また次に同じ関係の連載を書かせていただけることになりました。あー嬉しい。今度は、誌面上ではもっとハデに展開する予定ですが、内容はやはり、流行に左右されないようなコアな部分をライトに楽しく扱っていきたいと思っております。

さて、私は整理整頓が苦手ではありません。が、バーチカルストレージっていうのですか? 書類をファイリングしたりとか、分類分けされた箱にしまうとか..っていうのは、超イヤです。なぜって、私が興味感心を持っている分野の情報というのは、お互いが有機的に関係して、分野を越えた横の関連が実に緻密なんですね。だから、そんな「分野別カッチリ分類」は不可能なんです。
で、結果的にいつも机の回り(自宅・職場問わず)は、いつもいろんなものが分散状態で、一見「めちゃくちゃな状態」のようなのですが、そんなことはなくて、この状態こそ私流の、「水平分散型整理整頓方式」なのです。やはり、ものごとなんでもそうですが、階層が深くなると見通しがわるくなり、ロクなことありません。なるべくフラットで見通しがよく、かつ、実用的な情報管理がいいですね。
そんなわけで、今日は思い切って、私が自宅で使っているマックの、たった今のデスクトップの状態をお見せしましょう。16インチの画面キャプチャーを、1/2 してます。

desktop
青木流「水平分散型整理整頓方式」


たんにみんなバラまいているだけじゃねーのかぁ?という疑問は無視することにして、まぁ、これはこれで使いやすいわけです。私にとっては。

6月22日。天気:曇り


ちょっとパニックな今日このごろ。まずは本業が超パニ。昨日勤務先のフロアの「自力」引越で、5Fから16Fに。見晴らしは最高にナイスだけど、冷房が寒い。回りとの空間が5Fの時よりかなり広くてグッド。頑張って仕事せんとね。音がうまく出ないのよね。あー大変。

そして趣味の世界。なぜかこのごろ雑誌などの原稿執筆依頼が集中。インターネットでは有名な「特に名を秘す」写真マガジンからも連載の依頼が。タイトル云々考えないとね。なに書くかとか。
6月10日。天気:曇り後雨


お仕事&電脳仲間のナイスなジェントルマン氏秋谷さんとこのページを読んでいたら、ななななんと、秋谷さんの奥方様(とみちゃん)が、ハーブに凝ってらっしゃるとか。

むむむ・・・早速チェックを入れさせていただきましたが・・・・

イケマセンナァ・・・・

> 最初に細君がラベンダーの苗を購入してきて、


種から育てましょう。種から。あ、種をまくときには、充分注意してくださいね。
それと、下の話しですが・・・

> それが50個ぐらい、コンビニ弁当の山椒みたいな


ですが、結局16鉢に平均6苗植えて、さらに本体の鉢に
まだまだ20苗はあるので・・・種は全部で・・・

16X6+20=116個!!

程度は 余裕で ありますね。
6月8日。天気:曇り


今日は久々に植物ネタ。と、言っても今までもいろいろ植替などはやっていたのだけど、ここで取り上げなかっただけね。サボっていたわけじゃないのよ。

実は一週間前だったか、ペパーミント(ハーブ)の栽培セットを買って、種まいたのであるが、ペパーミントの種って、超小さいのね。一個が 0.5mm ぐらいで、それが50個ぐらい、コンビニ弁当の山椒みたいなアルミっぽい色の袋に入っている。それを、「鉢の中に均一にまく」と、あるのだが、種まきの際にちょっとしたおおきなオペレータミスが。

種の封を切って、鉢の上に種の袋をもっていって、さてまこうと思った瞬間・・・・

「あーっ」。思わず種がこぼれて、一箇所に集中して山のようにまいてしまった。

発芽 仕方がないので楊枝でつついて適当にならしておいたのだが、そいつらが発芽して、想像通りの状態に。
鉢の一部分の発芽密度が異常に高くなってしまい、それ以外のところはまるで「過疎」。

植替 こいつらをほっておいたら成長して大変なことになることは容易に想像出来るので、それでなんと、今日はこいつらの引越というか、植替というか、移植作業を行う覚悟を決めたの図が右の写真。
右端に写っているのが問題のハーブの鉢で、中は上の写真のような状態。左の苗ポットは、土を入れて充分に水を与えたもの20鉢がスタンバイ。で、ピンセットで例の発芽苗をひとつひとつ、苗ポットに移すという気が遠くなるような作業。ひとつの苗ポットには、5〜6本見当で発芽苗を植えることとし、作業すること1.5時間、無事終了しました。

あとは、無事に根付いてくれることを祈るばかりであります。

パキラ それと今日は、「パキラ」が我が家の仲間入りしました。あっと先週にまいた、矢車草の種も順調に発芽成長中です。

矢車草



このずーっと下の、3月16日に取り上げられている木端微塵のポトス(下の写真)の今ですが、全部健在であります。

ハイドロモドキ 花瓶

3月16日にバラバラになったポトス達


ちなみに、今の姿は・・・

最近のポトス 最近のポトス


5月26日。天気:晴れ


俺の生きるにおいての目標、信念ってなんだろ(おっと今回はいきなり重いぜ。この段階ですでに数名「Back」ボタンクリックだな)。

今ってサラリーマンで、こないだ結婚して、まぁ普通に生活できている。特に不自由ないし、まぁ、なにも「下手な考え起こさねば」このまま多分、穏便に生活は続くし、会社での生活も、なにも「下手な考え起こさねば」このまま多分、とーぶん安泰に続くだろう。

で、何年かすれば、まぁ、あくまで予想で希望でもあるが子供が生まれて、そいつもグレたりするかもしれないけど大きくなって、そのうち何十年かすれば大人になって今の俺ぐらいになる。

そんとき俺は、年金でも貰っているかもしれないし、なにしているかわからないけど、なにも「下手な考え起こさねば」理論を前提にすれば、30年後の自分ってどんなんか、アバウトな「こんなんだろう」的推測は案外容易であるような気がする。

やっぱりね、よく、人生一度きりだとかいうけど、これって確かだと思う。前生がどうのこうので、人生は何度かある云々なんてはなしも聞くには聞くが、しかし今の俺に前生の記憶はないし、現存する意識の中の俺は俺だけで人生もすなわち現在歩む今だけなんだよ。文句あるか! そこでブツブツ言っているきみ。

まぁいいや。せっかく生を受けて、この世で活動していられるのだから、なんか有意義なことしたいよなぁ。こんなこと言うと、「きちんと会社に務めて、与えられた責任をまっとうすることが大きく見れば世のためになっているのじゃ」なんてヲヤジ、おふくろあたりから言われそうだがそれは正しいと思う。

けども、それだけじゃないだろうし、他にもっと、なにかないかな。
5月25日。天気:晴れ


件のやや二日酔風邪ひどい状況は見た目昨日で完治したのだけれど、どうも体力的に随分負担だったらしく、今日も昼間3時間ほど昼寝。ぉいぉい、すっげーぐうたらだなぁ。

このヨタ話って、誰か読んでくださっているのかなぁ・・・と、思いきや案外読者のかたが多いようで、たまにメールをいただきます。ありがとうございますです。で、最近、このヨタもアペンドしすぎか、だいぶ重くなってきました。ヨタもたまればゴミになる・・・って初めからゴミですが、ここに来て分割するか、あるいはこのままアペンド路線でいくか、ちょっと悩む。

分割するってことになると、ある程度期間などで区分けせねばならず、うーむ、ヨタっていうにはあまりにちゃんとしすぎてないかい? そんな怠惰な理由で、当面はひたすらアペンド路線でいくことにしました。
5月24日。天気:薄曇り晴れ


これがまた今日は金曜日であるにもかかわらず、思わず有休なのだ。実は先週の土曜日日曜日に、デジカメ12台をテストしなければならないという嬉しいような、悲しいような状況に陥ったのですが、土曜日が寒くて風邪を引いてしまったよう。モデルさんも寒むそうだったし・・・。それがずーっと引いてて、昨日実は私の勤務先の部長の歓送迎会(部長が入れ替わったのね)があって、酒を「ほんの少々」飲み過ぎたのとあいまって、風邪最悪体調不良で休み。

余談だけれど、元私の部長は私が今の会社に入社する際に直接、大変お世話になったかたで、今どきの部長とは思えない、ある意味で非常に信頼出来るかたでした。会社の経営陣を指して『経営なんかしちゃいない。おおバカだ』と、取締役の目の前で平気で発言されるかたでした。まぁ、真実なので誰も反論できないわけですが。

そんな頼もしい部長だったですが、今度の仕事も頑張ってくださいね。私は相変らず、戦うサラリーマンですが、これもいつまで持つかわかりません・・・・・


さて、我が弟氏は無事、デトロイトで生活しているようであります。何通かメールを貰ったのだけれど、さすが着眼点がいい・・・と思われる箇所を勝手に引用。

>日本人が多
>いと言うのも善し悪しは人それぞれだとは思いますが、やはり日本人は
>どうも集まって見えます。それはデトロイトでも同じだと思いますが、
>どうも集まる習性があるようです。どちらかというと日本的な付き合い
>の好きではない私は、日本人の少ない町の方が海外で暮らすには良いと
>思いますが。デトロイトでも極力日本社会に集まらないように一年すご
>したいと思います。

そうなんだ。集まるのだよ。農耕民族だからね、一人じゃ田圃耕せない。狩猟民族は集まっちゃぁ獲物が減って食って行けないので適当に、まぁ家族単位ぐらいでバラけるのだけれど、日本人は違うね。で、あちらの人々はみな付き合い上手で社交的で、とにかくなにをするにもハッキリ自分を主張するね。もともとバラけているわけだから、むしろ近所付き合いは非常に大切なコミュニケーションだったりする。パーティーに誘われれば喜んで参加するけど、急になにかあった時などは、自分の都合を優先する。日本の社会って、偉い人から誘われたりすると行きたくもないのに仕方無しに行く人って多いよね。私は日本人のハズなんだけど、俺も同じく日本的な付き合いかたってのはあまり好きでない。平気で自分の都合を優先して断わっちゃうなぁ。文化の違いっていっちゃぁそれまでだけど、けど、最近の日本も、一部の人間達は確実に変わってきてると思う。ただ、それを表に出すのは、まだまだ封建社会である日本の大きな会社では難しいだろうな。

サラリーマンは戦うのだよ。

一年間アメリカに住むということの重大さがわかって来るのは多分今ごろだと思うけど、非常にいい経験だと思うよ。きっと今ごろ、現地で転職活動している・・・んじゃないか?

俺が居たのは SFO にたったの一週間だったけど、それでも随分ショックで日本に戻りたくなくなったもんなぁ。
4月30日。天気:薄曇り。


世の中はGW真只中で、どこもかしこも混雑である。私は一昨日の28日、妻と奥多摩まで出かけてきた。春・・・というより初夏を思わせる汗ばむ陽気であった。

今日は、妻と2人で、私の実家に夕飯を食いにいく予定である。と、いうのも、私の弟が今度、仕事の関係(ちなみに一部上場自動車会社勤務)でアメリカはデトロイトに何年だかわからんが(本人曰く1年間)渡米することになった。で、出発が5月1日なので、私は手元にある大量の1$紙幣を渡しにいくついでに、飯でも食ってくるか・・・というわけだ。たぶん、弟は弟でいろいろ調べていると思うがなんせ初めての海外渡航である。初めにあちらについて、まず必要になるのがチップ用の1$であるわけで、数枚オーダーではすぐなくなる。そこをわかっているかどうか? まぁ我が弟氏のことだから、用意周到順風漫歩だろうけど、まぁ餞別代わりに・・・・ってとこだな。

海の向こうの話がでたついでに。ついに yaoki も、海外に進出!! と、言っても、サーバーだけで、只今準備中の Under Construction 状態だが、今日はヒマついでに ResEdit で、簡単なロゴを作ってみた。 kani logo
「なんじゃこの物体はぁ?」であるが、かろうじてなんなのかわかるハズである。

ぅうむ、気合いが入ってきたぞぉ。今年は、なにか激しい年になりそうだ。
4月22日。天気:晴れ。



数日前、非常に美しい夢をみた。



私は高速道路を、乗り合いバスのようなものに乗って南下している。どこかに気ままな旅に出るような雰囲気で、バスに乗っている。一人である。ふと、「なんで俺はこんな無意味なことをしているのだ。次のバス停で降りて、電車に乗って家に帰ろう。」と、思う。

バス停を待ちながら車窓を眺めると、山岳地帯だった風景が一変して海岸線に出た。遥か水平線まで見渡せる展望、まぶしい日差し、そして、眼下にはエメラルド色したそれは見事な海面がさざめく。

「ぁあ、やっぱ旅に出てよかった。生きててよかった・・・」



目が覚めた。一体なんだったのだろう、この夢は。私はたまに夢を見ることがあるが、たいがいカラーの概念のない夢で、しかも2日も経てば細かい内容など忘れてしまう。しかし、この時に見た夢は完全にカラーの感覚があり、しかも綺麗に、私の記憶にストアされてしまった。

忘れることの出来ない夢はほかにもある。これは実に不思議なのだが、小学校の低学年のころだと思うが、そのころよく見た夢だ。実体のある夢でなく、不思議な幾何学図形が頭の中で展開したり、一本の極めて細い糸のようなものが、なにもない、「無」の空間にまっすぐに張りつめるだけのような、そんな抽象的な夢だ。どうしてあんな夢を見たのか自分自身全く謎であるが、なにか不思議な、恐怖に近いような感覚に襲われたのだけは覚えている。

数日前に見た夢は、完全に現実に存在する実体が登場しての物語である。あんなに美しい海岸線があるかどうか、これは謎だが、登場した物体はいずれも、実体としての存在が現実にあるものばかりだ。

余談だが、私は一時、夢に興味をもって、いろいろ調べてみたことがある。人間、必ずといってよいほど毎日夢は見ているが、記憶に残る、すなわち、目が覚めて「夢を見た」と自分で認識できる夢は、目覚めのわずか数秒以内に見たものだけらしい。だから、夢を見ても、それが目覚めの直前でなければ、見たことすら覚えていないのだそうだ。また、どんなに長いと思われる夢でも、夢を見ている連続時間(ワンストーリ)は1秒間にも満たないらしい。そんなもんかいな? って感じである。



あの夢は一体なんだったのか。実に目覚めのよい、美しい夢だった。
4月6日(朝)。天気:晴れ。花見日和・・・・

で、あります。昨日の二日酔もどこ吹く風(笑)、実に気分爽快花鳥風月ですね。今日はこれから花見に出かける予定なんですが、  どこもちょー混雑  でしょうね。デジカメもってくので、いい絵が取れたら登録しまっせ。

そうそう、昨晩、ちょっとイタズラってほどでもないけど、 こんなのをしかけました。
アニメジフって、結構おもしろいですね。表現の幅が広がる。ちなみにこのムービーは、何年前かな? 4年ぐらい前かな? ジムニーで林道激走シーンをビデオ撮影してそれを QuickTime Movie にして遊んでいたヤツをトラックダウンしてジフにしたもの。あの頃は、いろいろおもしろかったなぁ・・・・今は、なんかこう、OpenDoc にしても、コープランドにしても、 QuickTime の時のようなワクワク感を感じないね。

アニメジフを簡単に作れるツールが欲しい・・・・・な。自分で作るか ^^)。
4月5日。二日酔で有休・・・・・

勤務先の10周年記念式典が4月4日にあり、そこでちょっとばっかし飲み過ぎたようだ。二次会含めて全部で、ウイスキー水割りで6杯、日本酒を桝で7杯(180ccの容量のうち、X0.8だとしても1リットルか・・)、ビールは詳細不明、カクテル4杯(ジンビターズ(但しこれは偽物で、ぜんぜんジンビターズでない。あそこのショットは二度といかんぞ)、ギムレット)ぐらいは記憶にあるのだが・・・・・。
横浜で二次会のんで、その後店がラストオーダーになって、カネ払って東急に乗ったまでは覚えているのだけれど、その後明朝まで記憶なし。妻曰く・・・

『手の付けられない状態だったわよ、もう・・・・』

家までは勝手に帰ってきたようだ。実は私は、なぜか年に一度はこのようにわけわからなくなるまで酔ってしまう。酒に弱いわけでもないし、自制心がないわけでもないのだが、なにかとなにかの作用でこうなるのだろう。ストレスか? いや違う。必ず春先におきるのだ。ちょうど一年前も、妻との新婚旅行先のイタリアで、カンツォーネのコンサート流れるレストランで、夕食食いながら妙にその場の雰囲気に意気投合してワインガブのみ。妻の報告では「2リットル以上」飲んだらしいのだが、それからホテルに帰ってきてからがやっぱひどかったらしい。ちなみに記憶はあまりない。次の日はなんと二日酔で、新婚旅行先で二日酔なんて、これまたひどい・・・・もとい、思い出深い旅行になってしまった。おかげで妻は酒を目の敵にし、今でも私が酒を飲もうとすると、あまりいい顔しない。

今回の泥酔は、「新婚旅行のときよりもひどかった」というらしいから、相当だったのだろう。

別に私はマジメな人間であるつもりは全然ないけど、人間、「打つ」「買う」「飲む」は、男の甲斐性、そして、男なら誰でも一つは仕方がないっていうが、しかし、身を滅ぼすのも、「打つ」「買う」「飲む」のどれかだと言われる。私は、「打つ」「買う」はやらない。が、「飲む」はご覧の通りである。マジでこれは、身を滅ぼしかねないレベルである。別に飲まないでいられないわけではない。なければないで平気なのだが、あると飲む(笑)。普段は仮に、ボトル一本(最近実験してないのでわからないけど)飲んでも、別に記憶なくしたりしないし、自宅でもボトル半分ぐらいならよくある。なにが原因でああなるのかなぁ。うーむ不思議だ。しかも、必ず年に一回なんだよなぁ。二回は絶対にない。同じぐらい飲んだとしても。

うーむ不思議だ。しかし、私は、

とーぶん酒は自粛(止めるんじゃないよ。量を減らすだけ)することにした。

身を滅ぼすのイヤだし(笑)。それに、会社の健康診断で、カロリーとりすぎだって言われたし。

でも、一年前も、同じことを思ったような・・・・
3月31日。ブライダルベールの散髪を行う。

b-veil photo ほんとは先週ぐらいに行う予定だったのだけど、ちょっといろいろあり、また先週は寒かったので散髪は延期。そして今週、散髪を行ったのでした。

もちろん私はこのようなことをするのは初めてなのですが、まぁ、そんなに細かいことは気にせずにじゃかじゃか切りまして、もさもさだったブライダルベールもさっぱりしました。
b-veil photo

b-veil photo

そして切り落とした枝は、元気のよさそうな葉っぱのある部分を適当に切りそろえ、差し枝にしました。今後に期待であります。ぅう、写真だと枝が沈んじゃってよーわからんね。

ivy photo


そういえばアイビー なのですが、ついに運命の別れ道を通過して、2つの鉢に差した5本の枝のうち、3本は残念ながら枯れてしまいました。しかし、2本は極めて順調血色良好で、これは今後、いい線いきそうです。期待しましょう。

ivy photo

ヘゴに移したポトスですが、なんだか葉っぱの色がよくありません。黄色っぽくなって、1枚落ちてしまいました。ちょっとまだ、寒かったかなぁ。根が回復/付いてないですね。葉水は結構与えているので、多分、根が付かなくてよわってしまっているのでしょう。

最近随分あったかくなりましたので、今後、順調に育ってくれるといいのですが・・・・


いよいよ4月じゃないか

というわけで、明日(というか、もう今日だな)は、4月1日です。新人さん達が、街に行き交うその様は、毎年見ていますが何回見ても、すがすがしくていいものです。

さて、春と言えば、なに? 恋する春か? 新たなる期待に胸ふくらます春か? 人事移動の春か? 給料が増える春か(頼むからたまには「ぶったまげる」くらいベースアップしてちょ)? ・・・・・・・・・・・



春と言えば

遥かなる野望を実行する第一歩。



そう、自分の内にじっと秘めていた野望、日頃思いつつも、なかなか表出しない野望が、桜のつぼみがほころびるがごとく、春の陽気に希望とともに大脳皮質の遥か深海より、溶出してくるのであります。


ふっふっふっふっふっ・・・・・・始まったばかりじゃ。



3月30日。実家の押入れの片付け。

なのです。一年と+α前に結婚して実家から今の新居に移り住みましたが、今日は実家の私の部屋の押入れに、ずっと居座っていた「引伸機」を片付けてきました。随分以前から、おふくろより「布団を片付けるから、ここ(押し入れ)を開放せよ」という指令が出されていたのですが、この度ようやく私も重い腰をあげたというわけです。

引伸機といえば、言わずと知れた、あの写真を焼く機械です。さすがに新居はそんなに広くないので、引伸機の持ち込みは断念したのですが、私は実家で独身生活のころは、黒白写真は6X6で自家現像を行っておりました。一時は、ゾーンシステムのデータ出しをやったり、簡単なネガ濃度計を作って、パソコンで露光管理をしようと実験したり、つまらんテストチャートばかりを撮影するようなことをしていたりしたこともありましたが、写真はそんなんじゃないな・・・と、このごろ少し、ようやく気づいてきました。

まぁそこいらの話はさておいて・・・・実はかなり、柄にもなく、哀愁よろしく漂ってます。
引伸機を片付ける。ただそれだけのことなのですが、一時は自分が夢中になり、かつ、今でも時間と場所さえあれば、継続したいと思っている自家現像。モノトーンの世界にこだわって自分なりに満足できる映像を求めて、一式そろえた現像器具達。それらをひとつひとつ片付ける。なにかこう、自分の中で、せつない気持です。別にこれで、自家現像を一生やめるわけではなく、あくまで一時的な休止であるのに、なんだかなぁ・・・・

無造作になげてあるコダックのグレーカードや、90mm 長焦点の引伸機レンズ、自作の露光タイマーなどなど・・・・また、そのうち取りだしてあげるからね。
3月16日。アイビーのその後とポトの植替え。 アイビー3

さて、さし枝後2週間経過のアイビー達でありますが、右側の鉢のなかの一本についていた葉が一枚落ちるという現象を確認しました。が、別にこれといって危機的状況のものはなく、今のところ枯れてはないけど成長してもないといった感じ。ボチボチ根が活動するころ・・・なハズであります。
ポトス そして今日は、今まで水苔で育てていたポトス(右)がもう、底から根がガンガンに出ていたのと、水苔の管理がうまくなかったのか根腐れしている気配を感じたので、こいつを植替えてヘゴ仕立てにすることにしました。
植替中 で、まずは水苔からポトを分離して、株を無理矢理分割して、根っこがちぎれて「痛い痛い」の木端微塵のバラバラ状態な写真が左であります。私も株分け(というよりも、ほとんどちぎっている)作業をしていて、「こんなんでいいのかなぁ・・・」という不安も抱きつつも、一応それらしい形に完成しました。

今度は、水苔はヤメて観葉植物の土にしました。うーん、どんなもんでしょうか? ポトさん。居心地はいいでしょうか? 今日は日陰において、一日に3回も4回もキリフキで水をかけてあげました。
植替終了


ポトをちぎっている時に、本体が案外根元で太く、かなり適当にバラバラにしてしまったので、いくつかかわいそうな株が出来てしまいました。捨ててしまうのはあまりにもかわいそうなので、取敢ずそこらにあった容器を使って、ハイドロモドキと長いものはそのまま花瓶につけてしまいました。さてさて、今後、どう育っていくか、楽しみです。
ハイドロモドキ 花瓶


来週は、ブライダルベールの番なんだよなぁ・・・・・

植物植替の週末は続く・・・・・


本業超忙し・・・・

なのです。仕事でやっているマックのソフトのほうが、ちょっとゴタゴタすったもんだしてますね。しかし、仕事は仕事、プライベートはプライベートな私は、プライベートもいろいろ雑誌の記事書いたり、ソフトの仕様考えたり、なんか忙しいなぁ・・・・

そうそう、ここだけのヒミツだけど、今、レンタルサーバーを検討してるんだ。今流行の、海外にサーバーおいて、そこでいろいろやろうっていう魂胆。昨日 rim さんにも、ftp で自分のディレクトリを公開できるか・・・等、質問メールだしたのだけれど、ちょっとあれこれ検討中であります。
3月11日早朝(すなわち10日の深夜だぁ)

まずいんだな、これが。一体なにがまずいかって、One Day 企画で有名なgomi's HOME PAGEのオーナー氏である五味川さんのこれまた知る人ぞ知る氏曰くの「駄文日記」コーナー。私は以前は週一でチェックして楽しく拝読させていただいていたが最近、いろいろと忙しくてメインのページを見ておしまいだったのだ。今日、久々にのんびりと、バックナンバーまで含めて拝読させていただくと、なんと私のことが書いてあって、しかも拙書の紹介までしていただいているではないかぁ。どうもありがとうございます。メールでお礼を書けばいいのであるが、かの五味川さんも、「落日」の感想(ありがとね)をメールで送るでなしに、なんと日記のコーナーに書いてあるという状況なので私もそれにならうことにした ^^)。おいおい。

以上、さっき発見したばかりの緊急ヨタ追加でした。
3月10日。アイビーのその後・・・ アイビー2

3月3日に、親元から切断されて独立したアイビーの切れ端達5枝でありますが、一週間経過した本日、どうやら良好であるようです。
しかし、各枝毎に成育状況に差異があるようで、枝のさきっぽのほうを切ってさしたのはかなり元気なのですが、枝の中間部分をさしたものは、心持ち元気がないようです。あと一週間ぐらい経てば、「生き残り組」と「力尽き組」に分れそうです。みんな、頑張ってくれぇ。

そういえば先日、来訪者数カウンタを設置しました。で、カウンタを付けると今度は、「何人のかたにお邪魔いただいたか」が妙に気になるもので、ついつい用もないのに見に行ってしまいます。すると、「自分が見た分もカウントされてしまう」わけです。当たり前と言えば当たり前なのですが、出来ればカウントアップしないで、来訪者数だけを知る方法はないか・・・・。telnet でログインして、カウント用のファイルを cat すればいいのだけれどそれも面倒なので、ついでに、来訪者数だけを知るためのページを作りました。これは完全非公開でしかも、自分のページからはどこからもリンクされていないのでよほどヒマな人か、なにかの偶然以外発見されるハズないページだったのですが「思わぬところに盲点がぁ・・・」。

なんと、リムネットユーザーならばおなじみの、RIM-NET YOKOHAMA Weekly Access にカウントされてしまっているではないかぁ。秘密の内緒のページとして密かに置いておこうと思ったのですが、思わぬところに盲点が・・・・しかしまぁ、別に見られたからって問題はないですし、よしとしましょう。

鉱石ラジヲを作ろう!!

そう、私は小学〜中学〜高校と、ラジヲ少年で電子工作少年でした。高校以降は、これから派生したハム(アマチュア無線)沼と、自作オーディオ沼の比率が大きくなりますが、このような分野に興味をもつきっかけになったのは、なんと言ってもあの、忘れもしない「鉱石ラジヲ」を作ったことでしょう。小学校4年生の頃だったと思います。レモン電池とか、方位磁石を使った電流計なんかで遊んでいた頃です。初めて作った鉱石ラジヲは、まぁ、鉱石ラジヲと言ってもちゃんとした鉱石を使ったものでなしに、ゲルマニウムダイオードという普通に売っている電子部品(@30円ぐらい)を使ったものだったのですが、いやぁ電池もなしに鳴るあのラジヲに、科学の偉大さ、宇宙の神秘、ロマンを感じずにはおれませんでした。その後、生まれて初めて「トランジスタ」なる能動素子を手にし、発明発見の先人達の功績と努力に感動し、その後、トランジスタ、ダイオード、真空管、CRTなど、今日の生活になくてはならない技術を発明発見したかたたちの伝記や物語を片っ端から読みました。そして私も「将来はなにかすごい発明をするぞぉ」と心に夢を描いたものです。

雷の日に「タコを上げるんだ」と言っては親におこられていた昔の記憶も懐かしいです。

私は自分が初めて作ったゲルマラジヲと、発明発見の図鑑に載っていた鉱石ラジヲと、形が随分かけ離れていたのに幼心ながら不本意を感じます。で、なんとかして鉱石ラジヲを再現したい。しかし、肝心の鉱石なんて、そこらに落ちてませんし、あのデカい、蜘蛛の巣状のスパイダーコイルも巻き方がわかりません。が、なんとかして鉱石を調達し(誰かに貰ったんだよな、確か)、コイルは蜘蛛の巣ではないにしても、プラのバケツの回りにエナメル線をまいて作って、なんとか自分で満足できる鉱石ラジヲが完成しました。ゲルマラジヲに比べれば、著しく効率の悪い「鉱石検波」ですので、なかなか音がでません。まさに蚊の鳴くような音がかろうじてイヤホンから聞こえたとき、それはそれは感動したものです。「なんで、こんな石が電波を音にするんだ??」。不思議でなりませんでした。もちろん本に仕組みは書いてあるのですが、その原理が目で見てわかるわけではありません。うーむ、不思議でした。

その後私は鉱石ラジヲにめちゃのめりこんで、いろいろな実験をします。鉱石は取敢ず鳴ったのでよしとして、ゲルマラジヲの効率を上げる試みをします。最初に導入したのは倍電圧検波。これで感度は著しく向上しました。次にアンテナに目を転じ、なるべく長いアンテナを張るべく屋根に登って10mぐらいの長さ、線を引き回します。次はアース。1mぐらいで直径1cmぐらいのネジ棒が家の回りに転がっていたのでそれを庭の植木鉢の下に打ち込んで線をつなげて完成です。これらを倍電圧検波搭載のゲルマラジヲに接続すると、もううるさいぐらいのパワーで鳴り響きます。私の家は、当時神奈川県川崎市の、国道15号沿いにあったため、ラジオ関東(今のラジオ日本)の送信所までわずか数キロです。1420KHzで送信するラジオ関東は強力すぎて、ゲルマラジオの同調回路では、ニッポン放送1240KHzと分離できません。ニッポン放送を聴こうとすると、完全にラジオ関東に潰されて聴けないのです。で、今度は同調回路の勉強をして「復同調回路」を導入します。これで見事に分離は成功。しかも、夜になれば、当時1250KHzで送信していたモスクワ放送(多分ウラジオストク送信所)の日本語放送までも受信できました。この後、短波用ゲルマラジヲや、長波用ゲルマラジヲなども作り、特に短波用ゲルマラジヲでは、北京放送、朝鮮中央放送、ラジオ韓国などが非常に良好に受信できました。

今、手元には鉱石ラジヲ一式を作るに足る部品が転がってます。そう、今年は私に取ってなにか大変なことがありそうな年です。少年の頃に見た夢を忘れないために、あるいは、自分を再度見直すためにかも知れません。もう一度あの懐かしい鉱石ラジヲを作ってみたくなったのです。作成顛末記は、折りを見てホームページに登録する予定ですのでお楽しみに!!(一体誰が楽しみにするのか・・・??)
3月3日。アイビーの差し替えをした アイビー

アイビーっていうのは、ツタ系の観葉植物です。実は先日来、このアイビーと思われるヤツが、食卓の上をもうはいずり回って大変でした。で、ほんとうは本体を植替るのが望ましいのですが、今は植替に適さない時期なのですね。仕方がないのでツタを切って本体を小さくするとともに、切った枝を差し枝にして、仲間を増やすことにしました。

さて、無事に仲間が増えるか・・・・? また後日、ここでご報告しますね。

3月2日。なんか春みたいだぁぁ

今日(土曜日)は天気もよく、たいへん穏やかな一日でした。私は毎週土曜日、自宅の植物達に水をあげます。晩秋〜初春の間は植物達も新陳代謝が低下しているので、一週間に一度程度水をあげれば充分ですね。夏になると、さすがに2日に一度ぐらいあげなければなりませんが。

この賃貸の新居にも移り住んで、はや一年が経過しました。去年の3月に結婚したのですが、それに伴う新居ということで、私は一人で2月末ぐらいから住んでいました。その当時、手のひらに乗るような小さな鉢植えで売っていた「ドラこ」(ドラセナのこと)と「ポト」(ポトス)も、その後何回か植替を行って今では随分大きくなりました。だからどうしたって言われても困りますが、まぁ、ヨタ話ですからねぇ・・・・・

どーも、春先というのはぐうたらな気分になって、仕事をする気もなくなり、はてさて、家に居てもなにをするでもなく、ぐうたらな気持になってしまいます。今日も、昼飯食ったあと、ポカポカ日のあたる和室で、布団の上で横になるとうかつにも「4時間も」昼寝をこいてしまいました。これが4月になると様相は一転し、街には新人が溢れ、みな、ビシっと決めたスーツに新鮮な笑顔がこぼれます。自分にもあんな時があったのかぁ・・・・と、思えば懐かしいですが、それだけでは済まされない、なにか大きなものを感じるのは毎年のことです。

ふと思う。宝物はどーした?


先日、妻とヨタ話をしていた時、「昔、宝物ってあったよね」などと、なぜか突然妻がシュールな話題を振りました。「ぉお、あったなぁ・・・」などと私は返答しましたが これは実にシュールなテーマで私の脳裏にこびりつきます。小学生の頃だったでしょうか? いえ、もっと幼い頃の話だったかもしれません。私はいつも、自分で勝手に「宝物」を決めてそれを大切にして毎日を送っていました。ある時は、どっかで拾ってきた綺麗な石だったり、あるときは、両親に買って貰った、単5電池2本で走るオレンジ色のプラスチック製ミニカーだったり(よく覚えているなぁ)・・・・・いつも身近において、寝るときは枕元において、意味もなく眺めていたものです。幼いころ、私が大切にしたあの宝物は一体その後どうなったのでしょうか? 私自身捨てた覚えはありません。幼いからゆえ、きっとそのうち飽きてしまい、全然感心を示さなくなった私のみて、両親がどっかに片付けるかなにかしてそのまま消失してしまったのでしょう。私は今、なぜ、あのような一種の具象崇拝のような、宝物を自分で定義してそれを生活のよりどころにしていたのかの考察を試みます。が、なぜそんなことをしたのだか自分でもわかりません。そのうちだんだん宝物崇拝の信仰はなくなり、中学生にもなれば部活や課外活動で忙しく、そんなの忘れてしまったようでもあります。

人生半分ぐらいやってきた今、「宝物はなんですか?」と聞かれて、私は答えられるだろうか・・・・?

試しに、妻に聞いてみよう・・・・・(ぉーい、きみの宝物はなんだい?)

「え〜、なに〜、急になに〜、なんだろう、難しいねぇ、わかんない。なんだろう、やっちゃんだったらなに?」(注:「やっちゃん」とは私のこと)

とのこと。実は私もたいしてかわらず、急に言われても思いつかない・・・というよりは、なにか、こう、物理的な実体を伴うものに、「宝」という感覚をすでに持てなくなっているような気がします。

あまりにヨタな話題ではありまが、よく考えていくと、なんだか自分が乾いてしまっているような、つまらない生き方を当たり前と思ってしまっているような、そんな一面を垣間見ることが出来てそれはそれで楽しかったりします。

子供の頃の夢


小学校の卒業文集かな? 自分が将来なりたいものを書く欄がありました。私はそこに、「技術者」と書いたようですが、今、自分の姿を見てみると、夢は随分現実に近い状態のようです。なぜ「科学者」と書かなかったか? 小学生には少なくとも、意味はわからないにしても「技術者」よりは「科学者」のほうが、一般的であったハズです。
当時の記憶は私自身定かでないですが、恐らく・・・・こんなふうに思っていたのでしょう。
  科学者:研究所で白衣を着て、ボサボサ頭の無口なヲヤジ
  技術者:作業着を着て、普通の人間だけどすごい技術を持っ
      たテレビを修理したりできるひと。
うーむ、小学生のころ、すでに私は自力で真空管ラジオを設計したり、6石スーパーを作ったりしておりました。ですから、将来は、電気屋さんになりたいと思っていたようですがなぜか、高校ぐらいから、化学/生物(遺伝子工学)にも興味を示すようになります。中学生の頃に、すでにTK−80とか、PC−8001、ベーシックマスターレベル3なんてのをいじって、自分でプログラムを組んで遊んでいたこともあって、大学の進学は、学部で大変迷いました。当時は、絶対に情報処理の分野には進みたくない・・・と、思っていたのですね。なぜなら、パソコン相手にソフトを組んで走らせるのは趣味では楽しかったですが、これを仕事で・・・なんて、イヤだったからです。趣味で楽しく遊んでいたかったのですね。ちなみに、当時の開発環境は、「機械語」でした。そう、あの、16進で打ち込むヤツですね。
で、情報処理が却下され、残されるは電子工学と化学(応用化学がよかったのだけれど、実際は工業化学になってしまった。遺伝子工学だと分子生物学で医学部なんだけど、全然無理なので初めから却下)。結局、化学を選んで工業化学化に進みますが、卒業後は水処理会社のセールスエンジニアで、その後転職してコンピュータのソフトのエンジニアになってしまいました。結局、学生のころ、絶対に進みたくないと思っていた分野で飯を食っております。皮肉なものですが、やはり、好きな分野であったから、こうなったのでしょうか? まぁ、偶然・・・ということにしておきましょう。

好きなこと仕事でやれていいねぇ〜

と、たまに友人から言われます。が、これはだいぶ勘違いですね。仕事で組むソフトっていうのは、正直言って全然つまらないです。だって、まず、「コストの概念」がありますから。「こんな機能入れたら便利やな」とか「こんなことも出来るようにしよう」と思っても、工期と予算で合わなければ削らねばなりません。ましてや、仕事の内容は受託ばかりなので、クライアントが「いらねー」と言えばそれまでです。私は最近は、プロジェクトリーダー役ばかりなので特に進捗管理や、工期/予算管理の仕事が多いですね。その点、趣味だと、まぁ、お気楽ですからとんでもない機能を入れることも出来ます。なんせ、予算とか工期なんていう制約がないですからね。

趣味でも仕事でも、同じようなことをやっているので、よくもあり、わるくもありますね。下のヨタでも少し触れてますけど、考えものです、ホント。

このコーナーって、ロクな話がないね

って感じだけど、よくよく考えたら当たり前で、ヨタ話のコーナーなのだから、私がヨタっている気分の時しか書かないもんね。例えば、ヤル気バリバリの気分爽快明朗会計の日に、「今日はいっちょ、ヨタでも書くかぁ・・」なんて気になるハズないし、そんな快活な日は、他の健全なコーナーの更新をしているハズやもんなぁ・・・・
2月12日。ぁあ疲れたぁ・・・

別になにをしたというわけではないのだが、なにかこう、疲れたというか、虚脱感が漂う今日このごろ。以前、写真展に作品を出展した時、写真展に向けてがむしゃらに準備その他していた緊迫感が、写真展終了とともに静かに退いていったあとにきた虚脱感に似ている。あるいは、過去、合唱団で活動していた際、定期演奏会が終わったあとの、同様な虚脱感。今年は新年早々超忙しく、書籍の原稿執筆やバンドルソフトの詰めなどで緊迫していたからか? そんな緊迫感からも、出版を間近に控えたここにきてようやく開放され、それに伴う虚脱感だろうか・・・・??

ここでいう虚脱感というのは、「くだらねえ会議に出た後の」ような不健康な虚脱感ではなく、あくまで文化的、創造的な活動による精神的な高揚から開放された時の虚脱感で、至って健康的な、心地好いものである。

こんな時、私はよく「我に返る」。我に返るというのは実にキケンかつ必要な現象で、遺伝の世界でいうところの「突然変異」の前触れのようなものでもある。普段の生活を真剣に振り返ってしまう瞬間。そう、私はサラリーマンで、主な仕事の内容は、受託業務の遂行。一応マックチームのプロジェクトリーダーを務めるが、肩書きはなにもないのでヒラ社員と変わらない。普通、プロジェクトリーダーは主事補以上の人が担当するものであり、プロジェクトリーダー手当てというのもが支給される。私はヒラ社員なので当然給料は一円も変わらない。別に手当てが出ないことに不満を抱いているわけではなく、逆に手当てが出たからと言って、私の仕事に対する姿勢が変わるわけでもない。仕事自体は、わくわくするとか、文化的だとかそういうものではなく、「受託」である。

今まで私は、自分のやりたいことや、文化的活動は、あくまでプライベートな時間に行うことにしてきた。故に、サラリーマンである私は、常に仕事を責任持ってこなし、プロジェクト管理にも随分労力を割いた。これは社会人、あるいはリーダーとして当然のことでもあるが、確実に余暇を確保するためでもある。仕事が詰まっての休日出勤もたまにはいいが、それが通常になってしまっては余暇もなにもあったものじゃない。が、ここに来て、自分の趣味での文化的活動と、仕事との間に割り切れない問題が生じはじめている。

私の趣味での文化的活動のなかの重要なものに、フォトレタッチソフトの開発がある。ComeBackImage というそのソフトは、私がなんの画像処理の知識もない頃に、独学で全部を勉強して作ったものである。好きでやっていたのだからそれはそれでよく、別に威張るわけでもなく、自慢する気もないが、「個人の資産」なのである。そして、私の仕事は、マックのソフト開発だけど、最近この、「画像処理」がからむ内容が増えてきた。もともと、スキャナなどの電子画像機器に関係するソフトを作る仕事であったので、いずれこうなることは予想していはしたが、いよいよその予想が現実のものとなりつつある。

ComeBackImage には、3X3画素でのラプラシアン変換による高周波強調という機能がある。簡単に言えば、輪郭強調機能である。例えば今度、仕事で、「3X3画素でのラプラシアン変換による高周波強調機能を作ってくれ」と依頼があった場合、さてどうする? 私はすでに過去、趣味のソフトで経験があったから、こんなの一日もかからない。かと言って、仕事では誰も経験なかったとする。通常こんな時は、「調査」と称して2週間分ぐらいのおカネを貰って調査するのだが、さて、どうしたものか?
上記の問題に目をつぶるとしても、もし、その理論をコード上で実現するためのアルゴリズムにオリジナルのものがあった場合、それを仕事で使ったら一体俺の著作権は? 知的財産権は? というグレーな部分が残る。まぁ、仕事で自分のものを使うのはなんら構わないが(俺もそんなケチじゃない)、仕事で使ったことにより、今度は逆に自分が使えなくなる場合が想定される。ましてや、そのコード自体が守秘義務に該当する場合などは、問題は複雑怪奇である。

残念ながら、この業界においては、ここらのグレーな部分に明確な見解を示すトップはいないだろう。私もなんどか上申してはみたが、明確な回答は得られなかった。

一番明快な解がここにある。それは、そんな紛らわしい趣味、あるいは仕事を辞めることだ。

私は会社という世界にはあまり価値を見いだせない人間のようだ。



1月9日。熱病(只のインフルエンザと思われる)に伏してから4日間経過。

今日も未だ少々熱があるので安を取って有休。と言っても本人はいたって元気(39.5度をマークした時にも、「腹減った」などとわめいて晩飯を食っていた)なので、ホームページにヨタ話コーナーを新設。いっくらなんでもヨタなので、新着情報のところには載せないで、こっそりとオープンさせとくことにする。第1回の今日は、そんなわけで偶然発見され、しかも私と同じく無駄を愛する諸兄のために、少々長く綴ることにしよう。

日記をつけるほどマメでなく、しかしテーマに捕われない徒然なる思いを記したいコーナーが欲しい私に、「ヨタ話」ってのはまさにピッタリだ。今までは、なんと無謀なことに、ComeBackImage(趣味のソフトライブラリ参照)のアーカイブに勝手にバンドルしてパブリッシュするなど、迷惑千万な行いをしてきたが、これで少しは被害に遭われる方々も減ろうものだ。

ところで先日7日の夜、あまりの高熱に耐えかねて(過去に高熱をほっといたら四肢麻痺になってエラい目に遭った(2箇月入院)ことがあるので多少のビビリあり)救急病院に「自分で車を運転して」行ったのだが、あの、病院で打ってくれる注射ってすごい威力があることに驚く。39度で打ってもらって、家に帰るまでの30分間で、早くも37.5度まで低下。そのあとあれよあれよで2時間後には35.2度まで下がって「キキスギの恐怖」を少し感じるも気分は爽快。そのあとすぐに36度台と安定。私は元「化学」畑の人間だったせいか、自分が熱を出すとかなり正確に体温の変化を観察する。熱を出して病院に行くこと自体、何年ぶりだかわからないぐらい久しぶりなのだが、そもそも、どうして風邪にかかると「発熱」するのだ? 誰か、もしご存じのかた、あるいはお医者さんがおられたら、その原因を教えてくらはい。ちなみに、私はいつもは風邪を引くと、原始療法(リンゴとイチゴを食って寝る)で治してしまいます。これでも一日でだいたいなおってしまうのだが、今回はダメだった。

さて、先ほど Eudora でメールを見てみると、奥村さんから「書籍ですが,そろそろ大詰めです」とのメールあり。まずい。こんなものを書いている場合ではなくて、はやく「著者プロフィール」を考えなければいけないのであるが、しかし、いざ、「プロフィール」と言われても困った。慣れないことをするものでないな。何を書けばいいのかな? ぎょうざが好きとか、酒は月にボトルで6本最近随分減らしましたとか、マックとカメラと家賃でビンボーですなんてことを書けばいいのかしら。カタカタ・・・・・一応4案出来たので、あとは妻と相談してどれか一つに決めよう。しかし、奥村さんはやさしいかたで、「病気が直ってからお願いします。」とちゃぁんと最後に一言ある。え! 違うって!?

まずい(その2)。そういえば今日、会社に休む旨電話するの忘れた。無断欠勤だな、こりゃ。まぁ昨日、「謎の熱病で40度の高熱にうなされているので今日明日ぐらい休みます」的ことを言っておいたから、「大げさなヤツだ」と思われながらも問題なしでしょう。15時過ぎた今ごろ電話しても、きっと逆効果だな。

うーん、こんなとき、家と会社とでリモートログイン環境があれば、在宅状態で仕事ができるのに(過去の私の在宅勤務へ向けての取組参照。「更新ではずされたコーナー」にあり)。メンバーとの連絡はパワートークでオッケーだし。納期だって近いんでしょうに。こういう病弱時ってのは、通勤で疲労するし、会社に行くと他のメンバーに風邪うつすしで、在宅で仕事ってのが、ベストだと思いますですはい。

今年は私にとって、なにか大異変のある年になりそうだ。天王星の運行がそれを物語っているし、年始早々高熱出すし2月には書籍出版と、早くも波乱万丈を示唆している。ううーん、楽しみ。安定を嫌い、常に変化の中を泳いでいたい私は、よくも悪くもまぁなにもないよりはいい。

平和で安定おコタでみかんを愛する我が妻と「全く正反対」の性格なのです。