ヨタ話
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不定期に追加更新されるまさに「ヨタ話」。お忙しいかた、無駄が少しでもキライな
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ヨタ話はほんとうは、1997年1月9日で一周年なのだが、新年キリがいいところ
で、1996年を追い出した('97,1/2)。このページの最後を参照のこと。
1997年2月26日
昭和史最大のクーデターが起きた日。今年もなにごともなく無事に終わりそうですね。
ここ数日の私の近辺は、実にめまぐるしく遷移しておりまして、まるで『革命前夜のよう』であります。しかし時代はオンライン。昔であれば、あっちこっちかけずり回って要人と面会し、話のとりまとめに奔走しなければならないところですが、机に向かって、はげしくキーを叩くことにより、話は進行します。
私は今、非常にわくわくし、充実しております。このような激動の渦中にあって、それを自ら体験できることが、私にとってはなにものにも代え難い有意義で充実したことなのです。
ところで最近私が欠かさず見ているTV番組ねた。まずは、再放送ですが、読売系16時からの『静かなるドン』。これ、いいっすね。かっこいいね。いつも朝から仕事して昼飯喰って、午後1時か2時ぐらいからまた仕事始めますが、午後4時でちょうど休憩がてらリビングでTVを見ます。
私は随分昔から、読売系16時からの再放送枠って好きな番組が多いですね。『俺たちの旅』『日本沈没』なんてのもやってた時代あったような記憶があります。
超常現象とか宇宙人ネタが好きな私は、『X-Files』もたまに見ます。モルダー捜査官のキャラクターはなんだか好きです。しかし、許せないのが『特命リサーチ200X』です。私はこないだの、エリア51ネタの時に見ようと思って見たのですが、なんだかなぁ〜でした。
2000年問題も、まぁ大げさですし、だいたいとっくの昔にわかっていることを今更ながらにまるで『真実暴き』的に作り上げるのは見るに耐えません。しかしエリア51ネタはすごかったです。エリア51にある米国防総省の研究所が宇宙人から UFO (けどさぁ、UFO って、未確認なんじゃないのか?)もらったって話。まぁ、宇宙人が2千人働いているとか、毎週水曜日に飛行実験しているとか、そんなんはどうでもいいんだけど(私は高校生の頃からそんな話は知っていた)、UFO の燃料と言われている未知の物質『エレメント115』というのが出てくる。原子番号が115もあって、空気中に手でもって大丈夫なのかなんていう突っ込みをする前にだ、ナレーションがだな、『地球上では103番までしか作れない』なんて平然と言ってのける。ぉいぉいぉいぉい。www の基礎を築き上げた CERN の研究成果や、ドイツのイオン研の成果はどーなるんじゃい。すでに、112番までは作られているんだぞ。しかも1年ぐらい前にだ。108番ぐらいならばもっと前に作られている。ちなみに、この108番ってのは寿命が長いので、安定な島か? って言われているんだぞ。
東大の教授とかなんだとか、偉い人がたくさん出てくるわりには、なんだかぼろぼろなような気がするんだけど。
たのむからちゃんとやってくれ。
それともあれは、矢追スペシャルの毎週モノなのかな?
最近予定がめちゃくちゃにクロスしてきて、外出時にアポセッティングしようと思ってもなにがなんだかわかんなくなってきちゃったので、PIM を買おうかなって少しだけ思いはじめております。
社会人はじめての仕事がばりばりの営業マンだった私は、手帳には少しばかしうるさいです。営業時代は、いろんな手帳を試しましたが、俗に言うシステム手帳というものに最後は落ちつきました。側だけで1万円以上する本革製のやつで、今でもしっかりとあります。中身は別に買うのですね。今でも全然ちゃんと使えます。ただこれは、自分で組めるのでいいのですが、営業時代と違って今は価格表を入れたり新聞の切り抜き入れたりってことは必要ないので、ちょっと大げさですねぇ。
PIM 系は、PIM とまでは言えないですが、上の営業時代に、カシオの電子手帳を買ったことがあります。これは単にお客さんの電話帳として、システム手帳を補う目的で買ったのですが、ほんとに電話帳にしかなりませんでした。いちおうカレンダー機能などもあるのですが、どうもああいう定型フォームっていうのは、設計者と気が合わないと最悪ですね。これはザウルスにも言えることで、ザウルスも店頭で少しいじってみたのですが、どーも嫌いな部類のインターフェースですね。
私はマックユーザーですんで、Newton なんていいと思うこともあるのですが、あいつ、でかいっすよね。インターフェースや仕様はすごくいいんですけど。で、Pilot なんてかわいくていいなぁ・・・って、思ってます。秋葉原でも4万円でゲット可能ですしね。日本語がだめだって? いいんです。英語だけで。私はこう見えても、英語そこそこ通じるんですよ。相当すったもんだしますけどね(笑)。コミュニケーションは心です。心さえあれば、Pilot が英語だけでも大丈夫でしょう。
1997年2月24日
左の本は、今日午後に読み始めて2時間で一気に読破したほど面白い本。内容は誰にでもおすすめできるものではないが、今日のヨタ話を読んで少しでもなにか思うところのあるかたは、ぜひお読みすることをお勧めする。
この本は、前職の仕事上の上司であられる部長からお借りしたものであるが、久々に有意義な時間を過ごすことができた。この本について、私はなにかコメントできるほどの経験も資格もないが、あまりに思うことが多かったので、日を改めて別コーナーにて拙い感想を掲載しようと思う。
注意!!
本日のヨタ話は久しぶりにぶっちぎった内容になる予定。長文はもとよりだが、私は特定の宗教や精神集団に組み入るつもりは全くないので、そこんとこよろしくである。
『思考は現実化する』
これは私が日常の信念として持っているものであるが、初めてこの言葉をしったのは、どこかの本屋さんの店先であった。イギリスかどこかあっちのほうにあるらしい、ナポレオン財団というような名前の財団が出しているものの和訳本であった。背表紙に書かれたこの言葉はそれだけで私に非常な好奇心を抱かせた。大学生の頃だったと思う。思わず手にとって立ち読みすると、みるみるうちに引き込まれていって、かつ、自分の過去の経験と照らし合わせても納得するところが多く、それ以来、『思考は現実化する』・・・・すなわち、よくも悪くも自分が思っているようになってしまうというこのひとつの現象を、肝に銘じるようになったのだ。
最近の例でいけば、私は今年から独立したが、はじめは『シェアウエアやオンラインソフトで喰っていこう』と考えていた。したらば、まぁそのような雰囲気で仕事も進み、そこそこ順調であった。が、今月の上旬であるが、なにを思ったか『これからは青年実業家を名乗ろう』と思い立ち、妻と話して『すごいねぇ・・・』なんて笑っていた。
ところがどうだ。そう思ったとたんに、いろんなメーカーからいろんな問い合わせを受けるようになり(主にデジカメネタやパーソナルなデジタル画像環境のことだが)、市場の規模もオリジナルソフトで喰っていくと思っていたころの+2桁って感じだ。話の内容もなんだか実業家っぽくなってきたし、まさに世の中『思考は現実化する』のだ。
私は仮にも学生時分は化学畑を専攻で、今はパソコンソフトのエンジニアだ。この現象を科学的に考察してみる必要があるだろう。すなわちこうだ。
私の意識の変革に伴う波動が空間を伝搬して、関係各位に伝達された。さらには、世の中の運命を司る時間軸に作用し、私の未来が変わった。
ということに他ならないだろう。気が狂ったと思われるのならそう思ってくれ。
しかし、このように、『常に希望し、思っていたらそうなった』ってことは、私の場合過去の例を上げればいくらでもある。
例えば通信を初めて始めた時、オンラインソフトっていうものの存在を知った。俺もあんなの作れるようになりたいなって思っていたらいつのまにか作っているし、通信で見かけた『あの人』(『あの人』は有名人で、当然全然面識もない)といつか会いたいなぁ・・・って思っていたら偶然か必然か
まるで誰か宇宙人がセッティングしているかのごとく
会える機会が発生したりなんてことは数回ではない。『あの人に会って、あの仕事を一緒に出来たらいいなぁ・・・』って思っていたら(『あの人』は有名人で、当然その時点では全然面識もない)、ほんとうにそうなってしまったのが前職だ。
信じられないかもしれないが、事実だから仕方がない。
『宇宙人を知っている!?』
ここ2、3年やってこないが、結婚する前までは、たまに就寝中の私の枕元に、小さな手おけぐらいの小型の宇宙船(いわゆる UFO だけど、私は正体を知っているので UFO ではない)がやってきて、私の状態を観察していくことがあった。その時の私の精神状態は、深い睡眠中に彼らがやってくるせいか、もうろうとしていてはっきりとしない。だから夢なのかもしれない。いや、たぶん、夢だと思う。いくら俺でもそこまでプッツンした発想は出来ない。
ただ、その夢かもしれない(いや、たぶん、夢だと思う)彼らは、やってきてなにをするでもなく、近くに浮揚していてそのうちどこか宇宙に帰ってしまう。私はなんら恐怖感はなく、むしろ、昔からの友人と定期連絡の電話をしているようなそんな感覚である。
もちろん窓はいつも閉めて寝ているし、鍵もしっかりかけている。
ひとつだけ不思議なことは、夜寝る前に、『今日は彼らが来るな』っていうのを予感することだ。
もし夢だとしても、その日に見る夢を予測できるものだろうか。
『植物と会話したころ』
私は小学校高学年のころ、植物と会話することができた。きっかけは、テレビ番組か本だったか忘れたが、『植物には意識がある』とかないとか言っているのを聞いたことだった。
『ふ〜ん』と思って私は庭でオヤジが育てていたサボテンに向かって『やぁ』と声をかけてみた。当たり前だが反応はない。そこで、当時ラジオ少年だった私はサボテンの葉にテスターの電極を差して、電気抵抗を調べてみた。電気抵抗がどの程度あったか忘れてしまったが、案外電気が通りやすくて驚いた覚えがあるのでたぶん、100K のレンジで計れたぐらいだと思う。
で、『やぁ』と声をかけると、数秒遅れてほんの少しであるが針が動いたような気がした。『えっ!』と驚いた私はその後いろいろ話しかけるが、どうやら手をかざして伝えたいことを念じると、針がよく動くことがわかった。『元気かい?』と聞くと、しばらくして針が動く。この針の動くまでの数秒の遅延と、針の変化により、Yes/No を判別しているかのような気になったこともあった。その時は、『ふ〜ん』と思ってそれっきり、別になにを追求することもしなかった。
中学生になって、非常に仲のいい友人にこのことを話したら興味を持ってくれて、再度実験してみたのだけれど、なぜかもう動かなかった。あの時だけ私が持っていた能力だったのだろうか。謎だ。
もちろんあの針の動きは偶然かもしれないが。
『しかし守護神?はいた』
その友人と植物実験をやった日、私はもうひとつの不思議な現象を彼に告白した。それは、『家と会話できる』ことである。
当時の私の部屋には、なにかが居て(なんだか不明)、たまにアルミサッシでしっかりしまった窓を『ばたばたばた』と音を立てて意志表示するのである。アルミサッシの窓で鍵を閉めていれば、普通どうやったって自然には音は出ない。ところが、私が意識を集中して、『やぁ』と言えば、団扇をばたつかせたような音をアルミサッシの窓から発するのだ。さすがの友人もこれにはビビっていたが、まじで真実である。私の母親も知っているが、母親曰く『別に珍しいことではない』(母親は栃木県の田舎町出身で、小さいころから、いわゆる霊魂のようなもの、あるいは、『きつねの嫁入り』(天気雨じゃないよ)などの現象を自分の目で見ていたのだそうだ)とのこと。
『ふ〜ん』と思った。
『私の直感は当たる』
私は常に、新しいことを自分の知識経験能力だけでものを判断することは絶対にないように気を付けている。自分ひとりの力量なんてたかが知れていることは明らかだし、世の中自分の知識レベルを上回ることなど、いくらでもある。なので、基本的にはすべてのことを肯定するスタンスから新たなことに向かう。『そうかもしれないね』『あるかもしれないね』である。で、時間をかけて考察し、やっぱどう考えても無理そうであれば、その時に『どうやら違いそうだ』と準否定すればいいのだ。頭から否定していては、進歩発展はあり得ない。
しかし、たまに、新しいことに向かった時、なんとも言えないまさに直感がひらめくことがある。これは例えば、企画書を見た段階で『失敗しそうだな』と思うプロジェクトだったり、新製品を見て『こりゃ売れるぜ』って思う直感だったり。あるいは、初めて誰かと会った時に『この人はなんだか成功する気がする』って思う直感だったり、その逆だったり。
人間の成功の正否についてはそのひとが死ぬまでわからないし死んだあとに結果が出る場合もあるのでなんとも言えないが、それ以外の、比較的近未来に結果がわかる直感は、たいがい・・・いや、全部と言ってもいい。当たっている。
しかしそれでも私は自分の直感を信じない。参考程度にはするが、いつなんどき、感が鈍るかわからないし、だいだいが『自分の知識経験能力だけでものを判断することは絶対にないように』気をつけているからだ。
『しかし私は未来は予知できない』
私の妻は、小学生の頃不思議な能力があったそうだ。ある授業中、その時間にクラスメイトがどういう順番で誰が先生に当てられるかを、授業開始の時点で見事に予知したそうだ。これがハンパでない。例えば10人の当てられるメンバーと順番がひらめいたとすると、これがほぼ全部、あるいは、まれに9番目と10番目が入れ替わるぐらいの誤差で的中するそうだ。しかし妻のこの能力も、いつのまにか無くなってしまったそうだ。
しかし私は、高校生の頃の妻の母上の言葉を思い出さずにはいられない。
私の妻は、高校時代のクラスメイトであるが、あるとき、今度みんなで遊びにいく予定を立てるために、妻の家に遊びに行ったことがある。当時は私も妻も、いわゆる『つきあっている』間では全然なくて、お互い別々のボーイ/ガールフレンドがいた。それを妻の母上が知っていたかどうかわからないが、私がその高校時代に妻の家に遊びに行ったとき、食事をごちそうになったのだが、母上は、『今度ハタチをすぎて来た時にはビールを出してあげるからね』と言った。私はその時は、『そんな先になんでまた来るんだよ』って思ったが、なんと今結婚しているじゃぁねーか。
妻の母上曰く、『将来またやってくるであろう』俺の姿が確かに見えたのだそうだ。
残念ながら、私は未来に対するこのような予知能力は全くないようだ。未来に対しては、なんとも感じたことがない。ただ、『思考は現実化』するのである。
こんなこと書くと、『じゃぁ日本が沈む』とか思ったら沈むのかぁ? なんて言われるいじわるなかたもいるかもしれない。残念ながら、そうなる可能性は否定できない。しかし、まず、ここでいうところの『思考』とは、かなり具体的であり、かつ、自分で『そうなりたい。なって欲しい。』って真剣に、常日頃、ひまさえあれば思っていられることに限られるのだ。なので、『じゃぁ日本が沈む』なんてことは、『思考』できないので無理だ。また、やっぱいくらなんでも個人の影響できる環境範囲には限りがあるので、私と全然関係ない外部の要因に対してなにか作用することは、いくらなんでも無理なような気がする。
私は以前は、『思考は現実化する』という現象は、いつも思い描いていること、自分が執着していることについては日頃から敏感になるから、情報もあますとこなく収集できるし、なんせ、『好きに勝るものなし』の原理でとにかく通常自分のもつ実力を越える能力が発揮できるからだろう・・・・と思っていた。
しかしここに来て、『実は運命は決まっているのかも論』や『その運命を変えることの出来る人がいるかも論』などを知るにおいて、自分のささやかなる過去と照らし合わせてみてもかなりつじつまが合うので、少々混乱している。
しかし、私の基本姿勢はひとつ。『自分に正直に、そして、なにがしか世のためになるべく努力すること』である。理不尽と戦い、理想を追求しつつもバランスよく日々生活することである。
1997年2月23日
とびまるソフト代表:青木康雄は今、重大な岐路にたっております。
『オリジナルソフトの開発・提供を通して、個人のパソコン文化の発展に寄与・貢献
する』という基本理念におおかた則ってはいるのですが、どの方面から関わっていくか・・・・いくつかの道の選択をしなければならない状態です。
実に悩みますねぇ・・・・・しばらく考えこむことにします。
2年後法人化、3年後には株式会社、5年後世界征服を目指すも、しかし明日のお米の心配をしていかねばならない弱小零細個人事業者としては、実に悩み深い問題です。
うむ。
1997年2月18日
ぐぅぐぅぐぅ・・・・
1997年2月15日
私のカンがカン違いならばいいのだが・・・・・
'96.12.30 日の Be のコーナーでちょっと触れた件。Apple と NeXTの合併で、NeXT のエンジニアがつまんね〜って思って辞めなければいいけど・・・のことだけど、なんと Apple 側のデベロッパチームが崩壊の危機か?
Macintosh のデベロッパ達の間では有名人であるところのアップル、デベロッパーリレーションの担当重役だったハイジ・ロイゼン女史が辞任した。ハイジ・ロイゼン女史就任以後のデベロッパーサポートは、急にレスポンスもよくなり、情報提供も風のごとく吹いてくるといった実に軽快なものであった。将来の展望や、今後の計画など、従来ではあまりオープンにならなかった話題もごく普通にリリースされた。が、ななななんと、辞任である。まさか、彼女の辞任が、自分の『ユーザーやデベロッパに対して前向きな(しかし Apple にとっては負荷の大きい)』姿勢と、Apple との摩擦のせいだとしたら・・・・・しかもだ、これだけでなく、4名の上級副社長も辞任するとのこと(MacWeek Japan より)。なんなんだぁ、この偉い人たち大量辞任はぁ・・・・・
・・・・いやな予感・・・・
いくら外部から優秀な頭脳を集めても、足元固めないと、城は建たないよ。
1997年2月8日夜
今日は、96年フリーウエア大賞(fsp)の表彰式に行ってきました。拙作 ComeBackImage が入賞という実に信じがたい嬉しいことになったわけでありますが、これも今まで CBI を支えてくださったユーザーの皆様のおかげです。どうもありがとうございます。
私はマラソンって苦手なんです(ゲームのマラソンは得意だよ(笑))。たった一人、自分との戦いなんて、長続きしません。ですので、中学生の頃も無酸素運動でこなせる短距離系選手( 50m は 6.4 秒、100m は 12.2 秒だった。高飛びは 162cm)だったのですが、長距離は全然だめでした。しかしですね、応援されるとなんだか頑張ってしまうようなところがあって、不思議なものですよね。CBI の開発も着手してから今日でちょうど丸4年ですが、この間もしユーザーの皆さんからのリプライがなかったら、とっくに棄権していたでしょうね・・・・・。今後もがんばりまっせ。
今年の fsp は、大賞が win 版定番の al-mail で、以下、入賞が8作+特別賞として Win ソフトML の秋保窓(現:窓の杜)の計10作でしたが、マックソフトは私の CBI と六角大王の2作だけであとは全部 win 版だってのが時勢を反映しておりますね。
私は今年から独立してフリーエンジニアですが、今日お会いしました作者の皆様方も、最近独立されて会社を興されたってかたが数名いらして、なんだか少しばかり心強く感じました。がんばんべぇ〜
『それでは私は今日から旅に出ます』
(ヨタ話他私のページの読者より)
頑張ってください。旅立ちを決意した人間に対して回りの人間が出来ることは、声援を送ることだけですものね。このことは、旅を愛する者であれば誰しもが漠然とわかっていることだと思います。
旅と言ってもいろいろな旅がありますが、旅行会社のツアーとかそんなんじゃぁないですよ。ある時はぶらり一人旅。ある時はあてのないさすらいの旅。またあるときは、新しい青山を求めての旅かもしれません。ただ、言えることは、旅を愛する者、自分の進路は自分で決める。自分の進路は自分でしか決められないのです。ですから、旅に出る決意をした人間に対して、もはや回りがとやかく言うことは意味がないわけです。
しかし、同じ旅を愛する者として、心から応援したいと思います。頑張ってください。
私は今では全然ご無沙汰ですが、学生の頃は、テントと寝袋で山中にこもるという旅をしていた時期があります。大自然に自分が同化したあの時間の快感。人間なんて、全然小さい、無力な存在であることを身にしみて感じる時、私は、改めて自分を再認識することができるのです。
大自然は偉大です。せっかく苦労して建てたテントだって、たまたま強風が一瞬吹けば倒れてしまいますし、ほんのちょっと雨が多めに降っただけで山道の崖は崩れ、前進不可能になります。ムリして前進すれば必ず痛い目に遭います。自然の前には自分の力量を素直に認識して、ムリだと思ったら引き返す勇気が必要です。今回は通れなかったその旅のルートは、決して消滅しません。また次回、しきりなおしてやってくればいいのです。
人間、自分で『引き返そう』とう判断をすることは、非常な経験と勇気が必要です。会社勤めのかた、あるいは、そうでないかたがたも、身の回りを見渡せば、おろかな結論だってわかっていながら引き返せなかったがために、さらにひどい結果に陥っている事例を比較的容易に発見できるのではないでしょうか。
しがらみ・・・と言ってしまえばそれまでですが、あとでうだうだくだらん責任転嫁を見ていやな思いをするぐらいであれば、はじめから、途中で『引き返す』決断をしていればよかったと誰もが思うでしょう。なんでそれができないのか?
『引き返す』勇気のない、情けない意志決定機構だからなのです。自分達の行くべき道を自分達で決められないどころか、自分達の行くべき道すら見えていないのかも知れません。
そんなことにならないよう、私自身気を付けたいと思います。
1997年2月6日夜
下の今日昼に書いた部分で、嘉門達夫をご存じないかたにお勧めするアルバムで『リゾート計画』をあげましたが、この『エエトコドリ!』もいいですねぇ。うん、こっちのほうがいいかも知れない。でも、スピード感という意味では『リゾート計画』のほうがいいんだよなぁ。
1997年2月6日午後。天気:曇り晴れ
『いつもアグレッシブでポジティブで、見ていて気持ちがいいです。これからも頑張ってください』
(ヨタ話他私のページの読者より)
応援ありがとうございます。頑張ります。
けど、どうも最近ぱっとしないんですよね。こんなネガティブな気分の時は、www 更新を含めて極力対外活動を避けております。ということは、比較的活発な精神状態の時(年間350日ぐらいはそうなのですが)にしか www 更新なぞをしませんので、ポジティブな雰囲気しか伝わらないのでしょうね。せっかくですので今日は、こんな気分ではありますがヨタ話を書いてみましょう。どうなるか・・・(笑)
私は友人知人からよく、『相変わらず(よくも悪くも)極端だね』と言われますがまさにその通り。バリバリでポジティブな時はまさにそうなのですが、一度ネガティブに陥ると、それはもう深い深い一万メートルの海溝に沈んでいくがごとく、自分でも驚くぐらい暗く深くおちていきます。これって憂鬱病なんですかね?一体どのくらい暗く深いかと言いますと・・・・・
『生命所詮は AGCT さ。こいつらが組合わさってできる二十数種のアミノ酸が、さらに蛋白質を構成して、それがだんだんに高度に結合分化していっておいらになっている。それ以上でも以下でもない。そんだけなんだよ。生命活動って、ATP 回路でエネルギーが・・・・』
最近 CBI Neo の脳の限界に気が付いて、人間の学習能力や予測、認識能力に改めて感心する今日この頃。私は CBI を作り始めたちょうど4年前、色について勉強調査していくうちに、心理色、記憶色、色彩学などの分野の文献もいくつか読みました。直接 CBI には関係ないことであったけれども、画像処理という操作を考察するにおいて非常に貴重なことを知ることが出来ました。
しかしですね、上の生命の AGCT ではありませんが、物事真理って案外虚無だったりするような事が多いのでは・・・・? 画像処理についても、与えられた画像の中でいかに最適な解を見つけるか。しかし、所詮は RGB/0-255 じゃぁないか。なんだっていいんじゃないか、どうだって別になにがどうなるってわけでもない・・・・なんてね。
今日は酒があとボトル3本になってしまいましたので、酒屋に酒を買いにいきました。マインマートという安売りのお店に行きました。いつも車で行くのですが、今日はこんなんなので歩いて行きました。車で行けば数分なんですが、距離は結構あります。
私は歩くことは嫌いではありません。大学の頃、品川で酒飲んでいて、終電終わってしまったので、当時住んでいた川崎まで国道15号を4時間弱かけて歩いたこともあります。川崎につく頃には始発電車が走ってましたのでなんのために歩いたのか・・・って話もありますが、深夜にひとりで黙々と歩く。実に貴重な時間であるように思えます。
結局今日の酒屋行は、往復で約1時間、距離にして約5Kmの散歩ってとこですかね。
まぁいいや。
こんな状況になることがまぁ年に数回あるのですが、数日でケロっとしてしまいますので、どうかほっておいてくださいませ。ご心配には及びません・・・・
クラッシック音楽がお好きなようで・・・
(ヨタ話他私のページの読者より)
はい、好きです。ベートーベン、バッハ、モーツァルト、マーラーを非常によく聞きます。あとはジャズもよく聞きますね。けども、クラッシックばっかじゃぁないですよ。
今日みたいな日には、嘉門達夫さんの曲を聞いて景気つけるのがいいですね。あ、嘉門達夫の曲は私は好きで、なにもこんな時だけ聞いているわけではありません。
嘉門達夫のアルバムは4枚持っております。シングルも1枚ありますね。なんというか、日常に潜むさりげないシーンのするどい考察をおもしろおかしくしかも、ハイテンポでアレンジしているこのセンスが私は実に心地良いです。
ご存じないかたで、嘉門達夫に興味を持たれたかた、もしいらっしゃいましたら取りあえずはこのアルバムを聴いてみてください。
『リゾート計画』です。私の一番のお気に入りです。おすすめ。
これはシングルですが、『結婚しようよ』。ですが、真の目的はこれとカップリングされている『ドッチボール』。アナログのシングル盤でいうところのB面収録曲ですが、この『ドッチボール』という曲が、私が嘉門達夫を知るきっかけになった記念すべき曲であります。
あれは忘れもしない大阪営業時代。今から7〜8年前ぐらいのことでしょう。和歌山、大阪、兵庫、徳島、香川、愛媛が担当であった私はそのとき、大型台風接近も気にせずに車で和歌山入りしておりました。で、出張最終日に帰ろうとしますと、なんと、台風が直撃で国道42号が大渋滞で1時間たっても微動だにしません。JRをくぐるところが水没してしまって通行止めだっていうじゃぁありませんか。明日は朝一番で別件の商談があるというような状況で、今日中に営業所に戻って資料を作るつもりでいた私は超焦りました。そんな時、ふと、NHK-FM で流れてきた曲が嘉門達夫の『ドッチボール』。聞きながら私は車のなかで大爆笑してしまい、『こんな天災じゃぁ、いくら焦ったってしかたないなぁ、どうにもならん。自然は偉大だ。はははは・・・』なんて、おおらかな気持ちになることができました。
ぜひ聞いてみてくだされ。
1997年2月4日午後。天気:すごく快晴
デジカメを設計・企画している人たちっていうのは、デジカメを使っているのだろうか? と疑問に思うことというのはよくある。今日は構図の話。
例えば縦構図で撮影した画像は、デジカメ上では当然横に倒れて記録されている。これをね、なんで自動にたててくれないのだろうか。
『パソコン上で回転すればいいじゃん』
っていう発想を持っている以上、新たな発明は出来ないね。
たのむ。縦で撮影したら縦の画像で記録してくれ、横で撮影したら横の画像で記録してくれるデジカメを作ってくれぇ。斜めは・・・・相談しましょう(笑)。それが無理でも、撮影構図センサーを搭載して、それを画像に記録してくれるデジカメを作ってくれぇ。一日百枚オーダーで撮影した画像をいちいち縦横選別しながらひっくり返すの、すげーめんどくせぇ。
NHK 草野アナ辞職に関する放送総局長発言について思うこと
私はなにかコメントできる立場にいるわけではないけど、NHK 放送総局長氏曰く、『NHK の人材は受信料によって育てられたとも言える。それを、放送を介して視聴者に還元している。よって、今回の草野アナ引き抜きのような事態は実に遺憾であり、信義にもとる』そうである。また、ここ最近で4人も引き抜かれたともコメントしている。
こういう考えの偉い人がいる限り、その下を去っていく前途有望な人材は絶えないんじゃないかな。
受信料云々なんてのは、この場合全然関係ないことであり、へんなお角違いな方面に義理をきせるのでなく、もっと自分の足下を見たほうがいいんじゃないかな。
結局のところ、現場に若手を引き留めておけるだけの魅力がないってことじゃぁないの?
申し訳ありません。一庶民の若造が、なまいきなことを申しました。
1997年1月31日午後。天気:薄曇り
独立してみてどーですか?
'97 年元旦に独立するというめでたい性格の私ですが、早くもはじめの一ヶ月が終わろうとしております。最近、友人知人に会うたびに、あるいは、e-mail での友人知人に会うたびに、よく聞かれます。せっかくのヨタ話のコーナーなので、正直に言いますと・・・
むちゃくちゃいいでんがな。
まさに私の性格・スタイルにばっちし合ってまっせ。
です。生活は案外規則正しいです。朝7時とか7時半に起床して、飯喰って朝8時すぎぐらいから活動します。午前中はメールの対応やオンラインでの情報収集で終わります。で、昼飯喰って夕方まで仕事というか、なんつーか、Mac に向かってます。
その間、気分によってはBGMにFM横浜流したり、モーツァルトのP協聴いたり、バッハのブランデンブルグ協奏曲流したり・・・紅茶飲んだりね。
週に2、3日、仕事の件で打ち合わせが入りますんであっちこっちに外出します。主にプレゼンが多いんですが、なかなか受注には・・・・(泣)
『むちゃくちゃいいでんがな。まさに私の性格・スタイルにばっちし合ってまっせ。』
なのですが、それと『喰っていけるか』ということは当たり前ですが全く関係ない話なのです。
『喰って行けそうですか』と聞かれますと、『う〜ん、まだなんとも・・・・がんばるしかないですねぇ・・・』です。
現に今、ある程度継続してある収入と言えば、ComeBackImage のシェアウエアフィーだけであり、あと、たまに、雑誌の原稿依頼があったりで、これだけじゃぁ到底喰っていけません。家賃が払えるかどうか・・・っていう額ですんで。ただ、あと半年〜ぐらいは喰っていけるだけの備蓄がありますので(それだけしかないともいう)、その間に、何本かソフトをリリースして収入を増やすとともに、なにかコンサルタントとか、アドバイザなどの仕事を見つけようかな・・・とも思います。
しかしですね、今の日本で、まじめに生きようと思って生きれないってことは、滅多な事情がないかぎりあり得ないと思うのです。私は、とにかく自分で作りたいソフトの構想がいくつかあります。それを実現したいために独立したと言ってもいいのですが、それを実現するまでは、意地でも頑張らねばなりません。カネがなくなって仕事も無かったら、家の近くのコンビニでバイトしてもいいですし、どっか近くのパソコン屋さんでバイトしてもいい。とにかく自分の構想を実現するためにはなんでもする覚悟です。もちろん家族のことも考えております。
すなわち、生きるも死ぬも、自分次第。一日仕事しないで寝ていればいつまでたっても収入無しで飢え死にですが、なにかすれば、まぁ、したことに応じて収入はあるでしょう。
こんなシンプルでありますが厳しい、そして、普通に考えたらごく当たり前の摂理が現実のものとして存在するこの自由業状態。私にはとっても合っていると真剣に思います。少なくとも、くだらん理不尽の世界である会社勤めに比べれば、まさに百億倍快適です。
随分思い切ったことしたねぇ・・・
過去に『明日がないかもしれない日々』
を過ごされた経験のあるかたには理解していただけると思うのですが、まさに、『命あればそれでいいじゃないか』なのです。生きていられること自体の満足感、その幸せさというのを私が初めて知ったのは皮肉にも入院の経験でした。盲腸で数日ぐらいの入院じゃぁ人生観変わらないと思いますが、へんな生命維持装置を用意されて、信頼できる主治医の先生にめんと向かって『完治する保証はありません・・・』と言われた時の必死さ。まぁ私の場合は、最悪でも死ぬことはないっていう話でしたし(けどね、当時はもしかしたら・・・・とは思いましたよ)、幸いほんのわずかな後遺症を残してほぼ100%治り、その後も普通にサラリーマン生活して普通に生活できておりますが、あの入院生活でいつも考えていたことは、『絶対に治るぞ』ということと、『退院できたら、正直に生きるぞ』ということでした。
ですから私にとっては、全然思い切ったことではなく、『そうしたかったからそうした』というそれだけのことであったりします。と、言ってもやはり決断は必要ですけどね。それは、自分自身への内への決断というよりも、むしろ周囲への外への要因に対する決断だったりします。
- 会社辞めたらそのあとどーなるかなぁ。またいろいろ組織上のことなどで迷惑かけるなぁ。
一応プロジェクトリーダー役だったので、まぁ、ソレナリに考えるわけです。別にたいしたことしてなかったので私が辞めたぐらいじゃなにがどうってことはきっとないのですが。
- 親類縁者に報告するの、気が引けるなぁ。
自分の両親はどうでもなるとして、やはり、妻のご両親への報告には気を遣います。だって、自分の娘の旦那が会社勤め辞めて自由業になるなんて、やっぱ心配ですよね。私がもし娘の親だったら心配だもんなぁ。しかし、実際にはとても理解していただけましてなんの問題もありませんでした(ちなみに私の両親は、心配もなにも、『あ、そう。頑張ってね』以上って感じで、おめーなぁ、少しは心配しろよ)。
前職の関係で何度か渡米して、U.S.のエンジニアとそれを取りまく環境を肌で感じたということも、私の決断を早めた要因でもありますが、決定的だったのは妻の妊娠のニュースでした。あれは忘れもしない去年の10月22日。その日に私は、生まれでる自分の子供には人生思いきり生きて欲しい・・・と思うと同時に、その前に親がそれを実践しないでどーする・・・と思ったわけです。ただ、衝動買いの多い私です。衝動辞表なんてのはしゃれになりません。一週間様子を見て、会社に辞意を伝えました。もともと過去にも一度(96年2月頃)、その当時の上司に辞意を伝えてはいたのですが、社内の組織移動に伴うすったもんだで完全に宇宙の彼方に吹っ飛ばされてしまったのですね。ある意味で独立するための退職というのは、転職と違って次へのアクションのリミットが自分の意志である程度自由になってしまうために、どーも流されがちですね。
まぁ、よくも悪くも自由業です。自由とは厳しいものなんですよ。ほんとに。
痛感してます・・・・これからもっと痛く感じるんだろうなぁ・・・・
1997年1月26日夜。天気:晴れ
昨日某所で行われました謎の会合(今更伏せてどーする?)では、参加者全員に非常にいろんなグッズのプレゼントがありました。一人3点までということで、希望者多数の場合はじゃんけん勝ち抜きで決めるというシンプルなルール。
で、多くのものは非常に実用的な時計や、フォント集、市販オーサリングソフト、ネックストラップなどなどまさに豪華なおみやげだったのですが、もともと変わり者の私は、お金では決して買えないレアなアイテムばかりを狙ってゲットしました。あまりにレアすぎて希望者が私だけだったりで、一度もじゃんけんをせずにゲットできました(笑)。
へへへへ〜ん。原田志乃ちゃん販促ステッカーだぜぃ。いいだろ〜。志乃ちゃんを販促するのでなく、志乃ちゃんが出ている DC- シリーズ販促ステッカーだよ。念のため。今はまだメジャーとは言えない志乃ちゃんですが、将来ブレイク間違いなし。
なはなはなは・・・・こんなんもらってどーすんだぁ? という声も多いでしょうが、
カネで買えないグッズっていうのに価値を見いだす私
にとっては、ぜひとも手元においておきたいアイテム。アキバに着ていけばリコーさんの販促員に間違われること請け合いだぁ。これも将来ブレイク間違いなし。
これはすなわち、DC-1S はこーゆーところがすごいので、こうしてアピールしなさいとかいうことが書かれている、営業さんが読む資料であ〜る。当然参考になることも多く、なかなか興味深いであ〜る。
1997年1月26日夕。天気:晴れ
ついに私の面が割れてしまいましたぁ・・
って、別に隠していたわけじゃぁないけど。これは、昨日行われたリコーでのユーザー交流会でのワンシーン(はんちゃんダイレクトリンクでごめんね)。私、昨日、誕生日だったのですね。で、リコーさんでケーキを用意してくれておりました。もちろん全然そんなこと思ってもいませんでしたので、いや〜、照れた照れた(笑)。綺麗な女性のかた@リコーさんから手渡しでケーキをもらったなんて、生まれて初めて・・・・かな?
そんなこんなで、実にたのし〜会でした。
私は思うのですが、昭和25年にリコーフレックスを発売し、記憶に新しいところでは、20年ぐらい前ですかね? 398の一眼レフと、市場をオリジナリティー溢れる商品でリードしていくリコーさん。こんな会が実現したのも、リコーさんならではではないでしょうかね。日本の技術系のメーカーらしかなぬアットホームなものを感じるのは私だけではないでしょう。だって、カメラで有名なあの会社や、カメラとコピー機なんかで有名なその会社じゃぁ、ちょっと考えられませんものね。私のような一般のただの庶民ユーザー層と、実際に商品を企画設計したメーカーサイドが本音をブレストする場なんてね。実現の可能性は、きっとメテオが地球に激突する確率より低いでしょう。
がんばってください。
運命の効果
私は昔昔、毎日音楽を聴いていたころは、ベートーベンの運命をBGMにすることも多かった。
なんつーか、この、流れというかなんというか、曲の構成など全ての要素が生理的に合うのだ。車を運転する時も運命の時あったし、勉強する時も運命。もちろんまじめに聴く時もあるけれど、そうでないことも出来る。作業にメリハリがつくし、なんというか、うまく言えないけども生理的に合うんだな。
音楽好きの先輩が昔、私の車に乗った時、『おめー、よくこんな状況で運転できるなぁ・・・』。運命のBGMを指してそう言った。
しかしやはり、音楽は素晴らしい。FMをメインにするつもりが、すっかりCDばかり聴いている。いいねぇ・・・・・
1997年1月24日昼。天気:晴れのち曇り
すごく恥ずかしいことに、
この下、1997年1月22日分のヨタ話の以下の一節・・・
・・・モーツアルトの P 協 40 番(ワルター指揮)を聴きながら・・・
ですが、P 協が 40 もあるわけなく、これは、交響曲40番の間違いでした・・・・お恥ずかしいです。訂正します。
で、今日は、先日BGM(FMリスニング)用に導入したミニコン『ビクターFS―1』ですが、CDも鳴らせますので今日は、取りあえず『リスニングリハビリ』と称して、9枚ばかしCDを買ってきました。BGM用に導入したハズのミニコンがきっかけで、再びリスニングに目覚めてしまったであります。
今日買った音楽CD
- モーツァルト レクイエム/ワルター指揮/ウイーンフィル
1956年7月26日、ザルツブルグ音楽祭でのモノ録音。私はモツレクはカール・リヒター指揮のものをLPで愛聴していたのですが、ワルター/VPOも、言うまでもなく素晴らしいですね。聴いていて思わず体に力が入り、聴き終わるとしばらく休憩が必要なほどです。これでも高校生の頃は、モツレク〜運命〜大地の歌・・・なんていう聴き方をしかも連続でやっていたりしたものだから、信じがたいですね。
- J・S・バッハ 音楽のささげもの/カール・ミュンヒンガー/シュトゥットガルト室内管弦楽団
1966年の録音なので案外新しい部類。ミュンヒンガー/シュトゥットガルトと言えば、バッハの宗教曲では定番とも言える演奏ですが、時と場所を選ばずに心地よく聞き入ることのできるこの曲は、実に好き。仕事中のBGMにも最適ね。
- モーツァルト 交響曲38番、41番、アイネ・クライネ・ナハトムジーク/ワルター指揮/ウイーンフィル
38番は1936年12月の録音、41番は1938年1月の録音。こんなにすごい演奏、私にはコメント不可能。このワルター若かりし時代にもしPCM技術があったらなぁ・・・とも思いますが、しかし、メディアの性能を越えてその力強くデリケートな感情は充分すぎるほど感じることが出来るので、このぐらいの情報量でちょうどよかったのかもしれませんね。
- モーツァルト P協20番、21番/クラウディオ・アバド指揮/ウイーンフィル/グルダ
いまさらなんの説明も不要ですね。P協20番はモーツァルト29歳の作品であるが、これを聴いてしまうともうなんつーか、なんとも形容しがたい心境になってしまい、このまま世界が終わってもいいとすら思ってしまいます。いまさら言うまでもないことだが、モーツァルトって天才だよなぁ・・・ニ短調ってのもすごい冒険だけど、もし、モーツァルトが50歳ぐらいまで生きていたら、果たしてどんな曲を残したのでしょうか・・・・。21番は、20番のあと一ヶ月とかからず完成された曲。すごいなぁ・・・・・
1974年9月、ウイーンでの録音。
- マーラー さすらう若人の歌/フルトヴェングラー/フィルハーモニア
亡き児をしのぶ歌/ルドルフ・ケンペ/ベルリン・フィル
どちらもディースカウがバリトン。
- ベートーベン 交響曲5番、7番/カルロス・クライバー/ウィーンフィル
実はLPで同じマスターを持っていて、愛聴盤だったのでCDでも購入。5番は1975年、7番は1976年の録音。私はベートーベンの7番って、好きなんです。もちろん他のも全部好きですが。
- J・S・バッハ 管弦楽組曲2番、3番、ブランデンブルク協奏曲3番、5番/カール・ミュンヒンガー/シュトゥットガルト室内管弦楽団
フルートはジャン・ピエール・ラン・パル。管弦楽組曲が1961年6月、ブランデンブルク協奏曲1963年10月の録音。
- ドヴォルザーク 交響曲9番/バーンスタイン/ニューヨークフィル
『新世界より』の愛称で親しまれる曲ですね。輸入盤なため、ちょっとよくわからんのですが、たぶん、オリジナルマスターが1962年の録音で、あと、1992年に、20-bit デジタルサンプリングでリマスタリングされました・・みたいなことが書いてあるような雰囲気です。1962年に、20-bit PCM マスターでレコーディングなんてなしですよね?
- オスカー・ピーターソン トリオ
1965年。突然ジャズですが、私は小編成ジャズも大好き。デューク・エリントンやホッジスも好きですが。これは同じマスターをLPでも持っていて、そりゃもうすり減るぐらい聴きました。CDは減らないのでいいですね。
仕事BGM用に導入したハズの
ビクターFS―1だったですが、おかげでこんなありさまです(大笑)。当分仕事の時間を削ってでも、音楽に耳を傾けたいです。
しかし、やっぱ、いいですね。なにか、忘れていた大切なものを思い出した気持ちです。この気持ちを、仕事にも、遊びにも、活かしたいと思います。
1997年1月23日昼。天気:晴れ
今日は、インディペンデンス・デイを見に行きました(with 妻)。平日の朝一番の回に行ったにもかかわらず、案外混んでいたので驚きです。あ、もちろん立ち見ほどじゃぁないですぜ。
久々に、心の底から楽しめる映画でした。うん、一般にお勧めできます。ノリとしては、ゴーストバスターズ系にやや近いかなぁ・・・ちょっと違うなぁ・・・まぁそんな感じですね。
映画の中にはやたらと Macintosh が出てくるので、マックファンなら楽しさ倍増です。しかも、パワーブックが地球を救う。あの、名前忘れたけど、MIT卒業有線放送修理エンジニアのかたは、相手の宇宙人が使っているコンピュータの実行コード形態とか、CPUスペックを知っていたんですかねぇ・・・・なんて、野暮なことを言ってはいけません。
墜落したエイリアンを殴ったり、いきなり戦闘用のエイリアンクラフト操縦するし。
最近独立自営業になったばかりの私にとって、インディペンデンス・スピリッツとしてはかなりオーバーラップするものがあり、モリワキ手曲げマフラーオヤジストーリーの影響もあって、明日への活力倍増です。
ところで今日、実は久々に映画を見たのですが、驚くべき技術を知りました。その名は
デジタルドルビーシステム
一体デジタルドルビーってどんな効果があるんだぁ?? 映画館の入り口には、このデジタルドルビーシステムの効果がいくつか書いてあるのですが、いくつか思い出してみますと・・・・
何回上映しても音質劣化しない。
チャンネル間のセパレーションがいい(音がまじらない)。
音質がいい。
とかなんとか書いてあるけど、これってデジタルだからのメリットであって、ドルビーとは無関係じゃないのかぁ?
ドルビーシステムってのは、もともとはテープとかフィルムなどにアナログで音を記録する際に、そのメディアが静的に持っているヒスノイズを低減するために、録音時に高域を対数曲線で強調して録音して、再生時にはその逆の特性で高域を減衰させて再生し、メディア自体が持っている高域ヒスノイズを減らすっていうものじゃぁないのか? と、なると、記録方式がデジタルになった時点で、もうドルビーは不要なはず・・・・
謎だ!!! しかし私は、ドルビーよりも、dbxのほうが好きだ。
1997年1月22日昼。天気:晴れ&激寒
『なんだぁ・・・?』
おいらはいつも、朝7頃起床して、パン喰ったり新聞などを読みながらうだうだ過ごし、朝9時頃にその日一発目のメールチェックに行きます。まぁ日によってばらつきはありますが、この時に平均40通程度のメールが来てます。内訳は・・・・
いろんな mailing list から・・・30 通
私個人宛・・・・・・・・・・・・10 通
ぐらいな感じで、以後、1〜2時間おきに不定期にメールチェックし続け、毎日合計 90 通程度のメールを受けております。私個人宛メールは、仕事含めて昼間に活動されているかたから受けることが多く、最終的には、個人宛メールは 30 通/日ぐらい届きます。
これって多いんですかね?
今朝の私個人宛メールは、いつもよりなんだか多めで、なにかあったかなぁ(多いときって、仕事のトラブルだったり、催促だったりすることが多いので(笑))・・・と、思いつつあけてみてびっくり。なんと、下に書いた某業界(今更伏せても遅いか(笑))ネタに関する感想励ましのメールが何通も・・・
『ヨタ話って読まれていたのか・・・』
なんて感心している場合ではない。なかには、『どこの出版社なのか、明らかにしてくれ』『中村正三郎さんもマイクロソフトから圧力かけられたそうですね』という具体的なコメントもいただきました。メールをいただきましたかた一人一人にご返信差し上げるだけでもよかったのですが、これだけメールをいただくと、他にも同じように感じてらっしゃるかたも多いかと思い、ここに少しコメントしたいと思います。
中村正三郎さんは、とても立派なジャーナリストであり、私はただの流れ者ですので同じ次元で考えてしまっては中村正三郎さんにちょー失礼でありますが、
中村正三郎さんのホームページ
は私も楽しく拝見させていただいております。みかん星人ネタには、爆笑させていただきました。あ、ごめんなさい。被害を被られたかたには大変申し訳ないとは思うのですが、だって、あまりにばかげた言い訳なもんですから・・・
『どこの出版社なのか、明らかにしてくれ』は、いろんな問題があって実は明らかにすることは本意でありません。逃げているわけではないのですが(実は半分逃げている)、雑誌というのは、もちろん出版社が出しているわけですが、その性質を司っているのは、編集部の性質です。ですから、同じ出版社であっても、編集部が違えば全く違う会社であるということも比較的普通です。さらに、編集部の方針というのは、キーマンによって大きく左右されます。キーマンとは、編集長とか、あるいはその上の、下の偉い人のことですが。そして最終的には、担当レベルでしょうね。担当レベルで書き手の真意を理解してもらえないと、どうにもならないのです。また、理解ある戦う担当者のかたも世の中たくさんいらっしゃいます。が、その意図を上が理解するかどうか。
人望あるキーマンが、やってらんなくなってその編集部を辞めたりすると、その下で働いていたスタッフもみんな辞めてしまう・・・なんてこともあったりします。
もちろん、編集部全体志気溢れた戦う(すなわち記事内容をほぼ信用できると思える)セクションも私は知ってますし、また、そうでないセクションに居ながらも、いろいろなしがらみの中、戦っておられる編集担当者様もいらっしゃいます。ライターの皆さんでも、戦っておられるかたは確実にいらっしゃいます。
このような状況のなか、編集部とか、出版社なんてものを具体的に明示することはほとんど意味がないどころか、あらぬ誤解を生じさせかねないので、残念ですが勘弁してください。ここは私含めて読者の側で賢くなるしかありません。
どうしてもものを見るときって、マクロで見てしまいますが、マクロを構成しているミクロ因子が、実は非常に重要なんですね。このことを忘れないようにしたいと思います。
独立して自宅で仕事することが多くなった私ですが、勤め人であったころに比べてよくも悪くも『変わった』と思うところをちょっと列挙してみましょう。
- 通勤しない分、時間が増えた。
それでも今まで私は、通勤時間自宅ドアから勤務先自分のデスクまで45分で往復 1.5 時間という、結構いいロケーションであったのだが、しかしこの 1.5 時間がなくなっただけでもかなり大きい。私は通勤に時間をつぶすなんて、ばかげているという発想のもと、家賃が勤め人時給料の手取りの 65% にも達するような完全身分不相応な高額な賃貸マンションに入居したわけだが、通勤時間がゼロになった今、非常に有効に時間を使っているといった状況だ。
- つまんね〜書類や会議がなくなった分、すごく作業効率アップした。
『一体今までのことはなんだったのか?』といっては大げさだけど、まぁ、勤め人のころは、『つまんね〜書類や会議』も必要な(ほんとうにそうかはここでは問わない(笑))ことで仕事のうちだったのであるが。FM 横浜を聴きながら、時にはモーツアルトの P 協 40 番(ワルター指揮)を聴きながらのソフト設計や原稿執筆はすごくはかどる。ただ、なかなかカネになる仕事がないのがつらいところだなぁ・・・・カネカネカネカネ言うのは本意でないけれど、取りあえず米買わないと生きていけないしねぇ。
- 昼間にテレビが見れるおかげで、主婦の話題を理解できるようになった。
私の妻はもともとテレビをほとんど見ないほうなので、いわゆる世間ネタにはうといほうなのであるが、まぁ、なんつぅか、いろんな番組があるんですね。みのもんたさんがやっている 12:00 〜 13:00 までのコーナーは、面白いね。生活の知恵みたいな、健康食品紹介みたいな、そんなコーナーなんですけど。
- 通勤しなくなった分、運動量激減した。
これは案外深刻な問題。今は、妻と一緒に散歩と称して、昼飯喰ったあとに、あるいは、午後のティータイムに、最寄り駅の東急日吉駅まで歩いて行っている。慶応大学の山を越えて往復 30 分強で約 3 Km の行程。まぁそこそこの運動にはなっているかな。
- ストレスが減ったせいもあって、なんか太ってきたぞ(ヤバい)。
運動量激減の相乗効果もあってこれもかなり深刻な問題。う〜ん・・・当然と言えば当然だけど、最近心底『あ〜ムカツイタ』ってことがないもんなぁ。まぁ、ソフトがうまく動かないとか、電話が繋がらないなんていう『いらいら』はあるけれど、いわゆる勤め人時代の、『理不尽な怒り』ってのは今の所ないもんなぁ・・・・けど、自営は自営で、これからいろいろぼろぼろ山ほど出てくるのだろうな。自営業先輩達のお話だと、まぁ、なにかと『非国民』に近い扱いを受けることがある・・・・っていうからなぁ・・・・今のうちに、充分充電しておくかぁ。
- へんな訪問販売・勧誘がこんなにあるのかと驚いた(今でも妻が対応しているが)。
これがね、よくくるねぇ。換気扇のフィルターだとか、新聞の勧誘だとか、保険の勧誘だとか・・・・・・
- 近所の人はどう思っているのだろうか。
勤め人の頃ですら、フレックス勤務で朝9時頃のこのこ家を出ていくことが珍しくなかった私。今は一日中家に居て、しかも昼間に散歩でうろうろしていたりで、『青木さんの行っている会社、ずいぶん長い冬休みねぇ・・・』なんて、思われているかも?
まぁ私はいつも、我が道を行くなのであまりどうでもいいのだけれど、どう思われているのか、自分で興味あるなぁ。
1997年1月21日。天気:晴れ&強風
『最近のヨタ話、なんかキレがないなぁ・・・・』
と、お思いのあなたは実に鋭い。まぁ、もともとヨタ話なので、キレを目指す文章を書いているわけではありませんが、ついつい本音が出てしまうコーナーなだけに、ところどころ鋭い考察が入ることもたまにはあったかも知れません。しかし、基本はヨタであります。お忘れなく・・・・・
真実を書かせろ!!
最近、MacUser-J 誌を除くマック系雑誌からの原稿執筆依頼が来なくなってしまいました。レビュー記事であまりに本当のことを書きすぎたからでしょうか。本当のことというのは、よいところはよいと書き、タコいところはタコいと書くという、それだけのことなのですが、この『タコいところはタコいと書く』というのが実に問題なわけです。
私はいくつかの雑誌に記事を書くことがあります。MacUser-J 誌は本名(青木 康雄)で書いておりますのですぐに見つかると思いますが、あとは全部ペンネームですので、どれが私か、誰にもわかりません(文体でわかるかなぁ・・・)。ペンネームだからと言うわけではありませんが、本名以外で書いている雑誌の編集部とはよく喧嘩になることがあります。喧嘩って言ってもなぐりあうわけではありません。まぁ代表的なやりとりは以下のような感じです。
『あの〜、青木さん、今回のレビューなんですけどね、まずいんですよ』
『(またかぁ・・)は? どこか間違いがありましたでしょうか?』
『いえ、広報部から、ちょっとクレームが入っておりまして・・・』
『は? どういうことですか?』
『いえ、この評価の部分、あまりに表現がきついので、もう少しなんとかならないかと・・・』
『そこはでも、ほんとにそうなのですから仕方ないですよ。タコいんですから。』
(もちろん実際に原稿に『タコである』なんて書いているわけではない)
『そこをなんとか・・・・・』
『なんとかって言われましても、読者の参考になる内容ってのが第一ですよね。だったら、どう見ても使いにくい、あるいは、使えない部分は指摘してしかるべきですよね? もちろんいいところはいいって書いてますし。もし、いいとこだけ書けっていうのなら、メーカーのカタログでもコピーして載せたらどうですか?』
『あー、はい。では・・・』
このようなやりとりをすると、たいがい次の月には担当のかたが変更になっておりまして(笑)、で、そのうち執筆依頼が全く来なくなってしまいます(大笑)。ところが不思議なことに、しばらくたつと、また依頼が来たりすることもあります。
ひどいのになると、自分が書いた原稿の主旨を勝手に改ざんしたものが私の目に全く触れずに出版される場合もありました。さすがにこの時は、温厚な私も激怒しました。雑誌を持つ手が震えて怒り炸裂です。いくら原稿料もらって書いている雇われの身だとしても、てめーらそれでも人間か? こんなん載せるぐらいなら、金いらねーから原稿返せ。あるいは、こんなにあとかたもなく改ざんしたんだったら編集部の名前にしろ!! 状態です。
う〜ん、こんなところで愚痴っているのがバレたら、よけいに依頼が来なくなりますね。しかし私は全く構いません。いいところはいい、悪いところは悪いという、当たり前の真実を書けないような原稿依頼なら、おだて記事を書かねばならない原稿依頼なら、飢え死にしたってこっちがお断りです。
真実をレビューするのがライターの任務ではないでしょうか? 自分の書いたレビュー記事を参考にしてくださる読者のかたがいると思えばなおさらです。適当なヨイショ記事書いて、それを目の当たりにして買った人に会わす顔ありますか? こんな当たり前なこと、なんで私がいちいちヨタで書かねばならないのか? ライターの皆さん(もちろん全員じゃぁありません。戦っておられるかたも大勢いらっしゃいます)、本当はそんな記事、本意でないんでしょ? 本来の道を歩みましょうよ。日本のパソコン雑誌、このままじゃ、死にます。もうすでに、瀕死の重傷です。
雑誌を刷って配るのは出版社かもしれませんが、記事を書くのは一人一人のライターです。
1997年1月15日。天気:晴れ
gomi さん、ありがとね。とびまるはがんばります。
1997年1月11日。天気:晴れ
『とびまるソフト』は、土日祝日を休日としているので、一応今日は休業日。と、言っても自営になると、そんなん全く関係ないってのが現実。少し平日よりはのんびりしたけど、けども相変わらずいろいろ雑事が多い。
Titan の判子、来る。
1月8日のヨタ話で触れた話題だが、www にて発見し、そしてすかさず注文した
株式会社モジダス製チタン印鑑が、なんと今日、もう納品された。
私は認印と実印をお願いしたのだが、予想を遥かに上回る逸品に実に満足山崎10年もさらにうまいといった状況だ。
モジダス製チタン印鑑は、デザイン決定後、実印は2週間、認印1週間が規定納期だ。が、実は私は、独立早々すこしでも早くこのチタン印鑑を使いたかったので、事情を説明しつつ、『すいません。ちょっと急いでいるので可能な限り早くください』と添えたのだ。
したらばなんと、モジダスで用意してくれた、私専用印影デザイン評価用 WWW で、オンラインでデザイン決定する工程を含め、私が e-mail で注文アクション開始後わずか5日で手元に届いた。すばらしい。モジダスさんありがとう。
これはまさに、選ばれたものだけが持つことのできる印鑑・・・いや、誰でも注文さえすれば造ってもらえるので、そういう意味では、本物を愛するものだけが手にすることのできる印鑑と言っても過言でないだろう。
その質感といい、手触りといい、まさにこれは、一生使うに相応しい印鑑である。
私は日頃、手に持って使う道具にはかなりこだわる。決して高い、高級なものを嗜好するというわけではない。例えば箸。箸については高校・大学の頃に使っていた普通のむき出しの木の箸が大変手になじみ、これは今でも実家においてあり、たまに実家に帰ると必ずそれを使う。たぶん、500円かそこらの箸で、親も『いいかげん替えれば』とも言うのだが、手になじんだものは手放せない。かれこれ15年ぐらい経つので随分短くなってしまっている。
Macintosh のマウスもそうだ。最近は丸いマウスが標準添付だが、私は未だに6年前に初めて Mac を買った時についていた、角マウスを使っている。これも、同じ角でも、製造年代によりスイッチのテンションが違かったりで、今自分が使っているものでないと、作業効率が半減してしまうのだ。この角マウスでないと、マウスを握る手にも気合いが入らない。
車のキーホルダーなども同様だ。
このように、普段手にするものには愛着を感じ、また、なじむと絶対に替えたくなくなる質なので、逆になじみのものが壊れると非常に悲しい。なんとしても修理を試みるが、残念ながらそれがかなわなかった例も今までいくつかある。
なので最近では、手に持って使うものは、材質などにも妥協せず、少しぐらい高価であっても永きに渡っての愛用に耐えうるものを買うようにしている。
モジダス製チタン印鑑は、大変気に入ったとともに、愛用の道具に新たな一品が加わったことが非常に嬉しい。
20年後ぐらいに、『この印鑑もようやく手になじんできたなぁ・・・』なんてつぶやきながら、スコッチをやれたらいいなぁ・・・・・(おめー、なにものだ?)
1997年1月10日。天気:晴れ
本日、とびまるソフトは無事、めでたく開業いたしました。
みなさまどうかよろしくお願いいたします。
1997年1月9日午後4時すぎ。天気:曇ったり晴れたり
『とびまるソフト』は、ほんとは1月1日開業にするつもりだったのだけれど、なんかいろいろ面倒なので、それに、元旦ってのもねぇ。で、1月10日(すなわち明日だ)開業とすることにした。
すると、明日から私はいろんな帳簿を付けねばならないのだが、小売業と違って、ソフト開発なので日々の金の出入りはそんなにないので、まぁ、楽な部類でしょうね。しかし、気になることがあって、それは、開業に伴い必要なものを揃えた経費は、いつまで遡って計上できるのか・・・・である。場合によっては・・・・よっては・・・・だけど、デジカメとか、beBox とか、みんな経費に出来るかも・・・・うひひ。明日税務署行った時に、ついでに聞いてこよ。あと、家賃も一部、経費計上する予定。うひひ。
ところで独立してから実質5日間ぐらい、すでに自宅で開発作業を行っているが、会社に居た時に比べて、作業効率は確実に上がっているね。まぁ、こればかりは各人の性格によるところ大でしょうけど。ソフトを開発するという環境的にも、会社勤めしてた時の勤務先よりも、今の自宅のほうがかなりいいと自分では思う。勤務先で使っていた Mac はメモリ 48 MB だったけど自宅のは 80MB だし(BeBox にあげる前は 144MB)、静かだし、空調も自分の好みだし、なんつったって、Lotus Notes 使わないでいいし(ごめん、内輪ねた。あ、これは、Lotus Notes が悪いわけでなくて、構築の方法に問題があるのだけれどね。Lotus Notes の名誉のために補足)。
ただ、雑談がないってのが、少し気が滅入るかな。気晴らしに、慶応の山へ散歩に行ったり、昼飯を妻と一緒に日吉駅まで散歩がてら喰いに行ったりしているけどね。あと、www したり、netnews 読んだり・・・・世間の主な動きはオンラインで入手できるとしても、通勤時に肌で感じていたような世の中の空気の動きは自宅ではわからなくなってしまうので、週に一度は必ず横浜・東京方面に世間の視察に行かねば・・・・と考えている。なんか、こんなこと書いていると、すげ〜山奥に住んでいるみたいだけど、そうではないよ。
1997年1月8日午後2時40分。天気:曇り
屋号なんだけど・・・・
とびまるソフト
なんて、どうだろう。え! なんかダサいって? どーせおいらはダサいよ。
え? 『とびまるってなんだ?』って? 実はおいらもよくわからないんだけど、なんだかここ数週間、やけに気に入ってしまっている名称であるのだ。なんか、インパクトあるでしょ。それに、一度聞いたら忘れなさそうな名称じゃない? そこで、あとからこじつけで意味を考えたのだけれど、『とびまわる』ほどアクティブに、そして忙しくなったらいいなぁ・・・・というのはどーだ? で、『とびまわる』じゃ語呂が悪いから、『とびまる』と。
仕事しよ。
1997年1月8日。天気:晴れ
やばい。風邪を引いたようだ。喉が痛い。今のところ未だ熱は出ていないが、まずい。私の場合、体質なのかどうかわからんが、いつも風邪を引くと、引きはじめにすぐ治るか、あるいは一気に爆発するか・・・であるが、どちらにしても、長引くことは滅多にない。過去に、
熱が出たのをそのままに仕事をしていて、てーへんな目に遭った
ことがあるのだが(この時は社会に出てまもなくでしかも、新人営業マンで大きな商談を進めている時だったのでムリしてしまったのだが)、そのせいか、それ以来、なんつっても健康第一な方針を貫き通している。
この『ヨタ話』が出来たのは、ちょうど一年前の1月9日。やはり高熱40度で当時勤めていた会社を休んだ日に作ったのがことのはじまり(
1996年のヨタ話
参照)。数日前から、なんとなく気にはしていたのだが。
1月10日は、所用(仕事の納品)で出かけねばならぬ。その前に、仕事を仕上げねばならぬ。こんなところで体調崩している場合でないが、ムリせずに活動継続しなければ・・・ね。がんばろう。
私は感動した。
独立したので、印鑑を作ろうと思った。今でも認印いくつかと、実印(黒い堅い木で出来たやつ。印鑑登録済み)を持ってはいるが、これから見積書や請求書、他書類などなど印鑑を押す機会も増えるだろう・・・で、自宅周辺で判子屋さんを探したが、今時なかなか判子屋さんも少ない。
インターネットで商売している判子屋さんもあるかな〜と、思い、いろいろ調べてみると、あるある。で、ひとつひとつ見ていくと、『オンラインで格安印鑑』とかで、確かに非常に安い値段で印鑑を制作・販売しているところもあるが、私は少しぐらい高くても長持ちする・・・極端に言えば一生使えるぐらいの・・・印鑑を作ろうと思っていた。
印鑑に使われる高級材料と言えば、象牙が有名だが、象牙はご存じの通りマンモスの牙から採取される(おおウソ(笑))。ので、象牙の印鑑を作るということはかわいそうな運命を辿ったマンモスがいるということであり(マンモスはおおウソ(笑))私はちょっと作る気持ちにブレーキがかかる。実際には、死亡した象の牙などが使われているとの話だけど、どっちにしても、なんだかかわいそうだ。
で、いろいろ web をブラウズしていくうちに、なんと、チタンで印鑑を作ってくれるところを見つけた。その名も株式会社モジダス
なんつったって Titan である。私は大学では化学畑で、物性化学などでチタンの素材のすごさは理論的に知っていた。これはまさに一生涯使える印鑑になるであろう。それに、Titan と言えばよく限定モデルなどで使われるカメラボディーの素材でもある(最近はそうでもないが)。Titan と聞いただけで、こめかみあたりがピクピクしてしまうカメラマニアも多いだろう。
私はすぐさまいくつかの質問をしたためたメールを送信した。
すると、次の日にはもう返信があり、ななななんと、私の印鑑の印影デザインが字体毎に web 化されていて、そこを見て気に入ったものを選べということだ。もちろん気に入らなければ、もっと字体を太くしてとか、細くしてとかリクエストできる。
う〜ん、すごい。Titan もすごいが Web で印影を確認しながら、オーダーメイドの印鑑が作れてしまうこともすごい。ちなみにわが家は神奈川県横浜市、モジダスは山梨県にある。オンラインならではの、距離を全く感じさせないコミュニケーションである。
私はすぐさま注文した。実印と認印で、4万円弱である。高いと思うかもしれないが、私は、自分の満足度を考えれば実にリーズナブルな値段であると思う。
マンモスにも迷惑かけないし。
1997年1月7日。天気:晴れ
今日は、港北区役所にて国民年金加入手続きと、国民健康保険の加入手続きをする。
港北区役所は今日が対外業務開始日なので、混んでいるかとおもいきや、それほどでもなくスムースに終える。健康保険については、社会保険の任意継続手続きという道もあったのだが、ここはいろいろ検討の上、国民健康保険に入ることにした(栩野修司さん、アドバイスありがとうございました)。
で、そのあとすぐに税務署に行き、個人事業開業関係の書類をもらってくる。あとはこれにいろいろ記入して、明日、提出すれば、おしまい。
悩みは屋号なのだが、下で書いた、
ねぶれすソフト
は、なんだかわけわからんという声もあり、また、寝てばかりいる豚みたいだっていう話もあって、ちょっと却下の様相。今日、少し悩むことにしよう。
ところで今日、ヨタで書きたい話はこんなことではない。
サントリー山崎10年を買ったぁ!!
実は私は酒は大好きだが(もう知ってるって?)、いつもはスコッチか日本酒だったら吟醸酒を呑んでいる。しかし、他にも前から呑んでみたいウイスキーがあった。それが、『サントリー山崎』だ。
近くの安売り店で、まぁ5千円弱で売られているのでそんなに絶対買えない値段ではないのだが、いつも呑んでいるカティーサークが2本買えることを考えると、どう見ても私には身分不相応な酒であって今まで手が出なかった。
が、ついに、今日、思い切って購入。
どうしても気になるので家に帰ってすぐに試飲(只今15時)。なはははは・・・・超うまい。
山崎にはこの上に12年ていうのもあるのだが、こいつはまたべらぼうに高い。が、10年を呑んでしまった今となっては、12年の味も確かめないと気が済まない。
う〜む、仕事が決まって収入があったら、買うか。
1997年1月2日。天気:晴れ
と、いうわけです。いや〜、正月をいいことに、朝から酒を喰らってうだうだうだ。今年から、まさに元旦からフリーランサーと化した私ですが、まぁ、根はこんな人間なわけですね(笑)。
しかし、明日から気合い一発頑張るぞ。
フリーランサーではありますが、個人事業者になりますんで、新年早々登記に行く予定です。1月7日ですね。あと、年金とか、国民健康保険とか、いろいろやらねば・・・・・ぁあ大変だ。
で、
屋号なるものを決めねばあかんわけですが、いや〜、さんざん悩みました。マジでここ半年ぐらい悩んでいたと言ってもいいでしょう。
が、
決めました。青木康雄個人事業者の屋号は・・・・・
ねぶれすソフト
であります。『ねぶれす』ってなんだぁ? でありますが、内緒です(笑)。
『ねぶれす』自体は、実は今を遡ること数年前、いや、10年ぐらい前かな。私が幹事となり『ある目的』のもと結成されたアソシエーションの名称であるのですが、まぁ、その名前を継承したわけです。もちろん、命名は、青木康雄オリジナルであります。
『ねぶれすソフト』は、設立記念日は毎年元旦。仕事始めは1月3日です。土日祭日を休日と定め、あと、春夏秋冬適宜休暇を設けます。また、毎年12月15日から12月27日は、クリスマス休暇とする予定です。へへへ。
なので、明日から早速仕事です。ああ大変だ。
フリーランサーになった今、なにが変わったかと言えば、『そういえば今月から給料日がないんだなぁ・・・・』っていうのが、不気味で不思議。
そうそう、昨日元旦は、午後妻と2人で初詣。空いていれば車で10分間ぐらいの川崎市川崎区にある稲毛神社に。ここは、元、私が通った幼稚園『稲毛幼稚園』がある神社だが、数年前に閉園。寂しいね。
で、新年フリーランサーになったことでもあり、『福よせ』なるものをお分けしていただきました。\1,200- 円を納めます。熊手になっているのは、これで『福』をかき集めようという意でしょうか?
で、家の玄関入り口のところに、妻がかけてくれました。
神頼みするつもりはありませんが、縁起がいいことはいいものです。さぁ、これでじゃんじゃか『福』に入って来ていただけるとありがたいのですが・・・・
1996年のヨタ話(テキストのみでも約 100 KB)