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2003年1月23日未明:弟子入り希望って言われても・・・

年に何度か、弟子入りしたいという意味のメールをいただきます。
表現や内容は違うものの、大意においてはエンジニア、あるいはプログラマとして修行したいので、そばにおいてくださいというもの。

残念ながら弟子はとってない(今後もとる予定は無い)ので、丁重にお断り申し上げるのですが、一方でそういう気概に溢れた後輩達が日本のどこかにも居るのかと思うと、無性に嬉しくなります。

弟子はとれないけど、みんな、頑張ってね。明日の日本を背負って立つのはまさに君のような人達なんだよ。

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私がサラリーマンにおさらばして独立したのはかれこれ六年前(ぉお、改めて思うともうそんなになるか。ちょっと感慨)。1996年の大晦日でした。独立してソフトウェアのエンジニアとして旅芸人化することを心に誓ったわけですが、またなんでそんな無謀なことを決断したのか。当時の私のサラリーマンとしての待遇は世間的に見れば決して悪くは無く、もちろんそのまま雇われエンジニアとしての道を歩んでも全然OKだったですし、だいたい妻が居て、しかも妻のお腹の中には我が子(推定三ヶ月半ぐらい)がスタンバっているという状況。あえてなぜイバラの道に歩を進めることを選んだのか・・・

それはね・・・

人生って一度きり。時間は決してrewindできないから。

私は24歳の時に突然四肢麻痺で入院して、もしかしたらこれでお仕舞いか? と真剣で思っちゃう日々を数ヶ月過ごしたことがあるんです。自分で呼吸するのも不自由するんですよ。人工呼吸器用意されて。そのときの経験は今、大変に強い影響を私に与えてます。この『明日という日が無いかもしれない日々』についてはまた時を改めて書きたいと思います。

まぁとにかく、せっかく命を授かってこの世で生きて居られるわけですから、自分のやりたいこと、可能性を自分自身で追求してみたいっていうのがおっきいかな。あとは、家内の腹んなかにいる我が子が生まれ出た時、どんな人生を歩んで欲しいかと考えるに、やっぱ、自分の思うように思い切り生きて欲しいと思ったのです。しかしその前に、まずは親である自分が思い切り生きないとまずいなって。我が子が大人になった時、人生相談された時なんかを想定するとさ、やっぱ親父としては実体験に基づいて・・・

『(自分の体験をさんざん)・・・そんなわけだが俺のことはどうでもいいんだけど、とにかくなんでもいいから信じる道を思い切りやれ』

とか言いたいじゃないですか ^^)

前のヨタ話でも書いたけど、当時の私の上司が英語まるでダメダメな私を無謀にも一人でアメリカに行かせた。そして、その後なんどか私はアメリカに出張で行ったのですが、現地のエンジニアの置かれた環境と、日本のそれとのあまりにも激しいギャップに驚きました。まぁ、アメリカと言っても人によるんでしょうが、全般的にやっぱ個人主義です。日本だと、組織があってそれに個人が加わるって感じが多いじゃないですか。朱に交われば紅くなるじゃないですけど。
ところがUSは、個人が先にあって、個人が集まって組織を作っているって感じを受けました。すなわち、組織というのはテンポラリなんですよ。あるミッションが完了して、組織の存在に必然性が無くなったら当然に組織も解散して、個人はまた自分を活かせるミッションを探して旅するんですね。あるいは、その組織にとって自分のミッションが完了したら、次のミッションを求めて旅に出るんです。そこには、いわゆる日本的な退職とか整理とかいう暗い雰囲気は微塵もない。人間ってなんなんだろうって考えた時、私はやっぱ組織というのは個人の集まりであって、組織に個人が集まるわけじゃないと思うわけです。

そんなUS現地のエンジニア(apple、adobe、HP、西海岸のベンチャーなどいろいろだったなぁ)と何度か交流するうちに、『日本ってなんでこうまで農耕民族慣習を未だに引きずっているんだ』って思ったのです。会社の会議なんかやんなっちゃうことが多いですよね。みんな言いたいことあるのに言わないで、言ったら言ったで集中砲火を浴びて・・・・みたいなことってありません? まぁいいや、そんなことはどうでも。な〜んてぶぅぶぅ文句ばっか言っている自分に気が付き、じゃぁ取りあえず自分がエンジニアとして独立してみるしかないなって思ったわけです。
独立するって考える前にも実はサラリーマン時代には二回転職して都合三社を経験したのですが、当然のことですがぜ〜んぶ円満退社。いまだに一緒に仕事させていただきました上司同僚部下達とは楽しく一献させてもらってます、はい。

今だからバラしますが、独立前後の当時はUSのいろんなところからもお誘いを受けました。でも私はやはり自分の居住する国である日本でなにかやりたかった。英語が苦手だったってこともあるかな ^^)。でもね、USのようなエンジニアの就業環境が日本でもメジャーになればいいなって真剣に思ったし、そのほんのすみっこのほうでもいいんで、私の行動が私含めた日本のエンジニアの就業環境の変化に貢献できたらいいなって。

独立したのはいいのですが、でもどうなんだろう。一応その時々の自分の置かれた状況で、精一杯頑張ってきたつもりだけど、現実はなかなか厳しく難しいものだよね。ヒラ社員から専務取締役まで経験した私としては、まぁそこそこの経験値は積んだかなって思うけど、でも、経験を積めば積むほど新たな現実の厳しさ、難しさ、奥深さが見えてくるって感じかなぁ。それらは通常、より解決が困難というか複雑な問題なんだよね、困ったことに。

でもだからこそ楽しいよね、うん。まだまだ行きまっせ。

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そんな感じで一体なにを書いていたのかわかんなくなってきちゃったよ。仕方ないよな。一昨日からほぼ連ちゃんの徹夜状態で、しかも酒だけは毎晩ちゃんと飲んでいるわけで、今はワインを一本空けたあとにハイランドパークのマッキンタイア1988年をストレートでちびちびやっているわけで、そしてもともとヨタ話だからね。中身なんかないんよ。

私は学生の頃は、宇宙を探検したかったんだ。学生の頃というか、実はいまでも宇宙を探検したいと思ってはいるんだけど、どうも無理そうだよね。宇宙旅行ぐらいは私が生きているウチに一般化する可能性あるけど、スタートレックみたいな探検物語には参画できそうにないなぁ。
でもいいんだ。なんといっても、自分の人生をかけて、この世の中を探検しているからね。まさに一寸先は闇の世界。貯金は無いし財産なんか当然無い。毎日を乗り越えつつ、向かう針路を確認しつつ、遭難しないように周囲に注意を払いつつ・・・・弱小個人事業所『かにこむ』は、まさに毎日が探検です。

でも、日本全国で活躍するエンジニアの後輩達よ。ぜひ頑張ってね。

なにも独立とか、弟子入りとか、それだけが自己実現の手段じゃぁないよ。まずは自分のおかれた状況で最高の結果を出すべく、最大限の努力をしているか振り返ってみよう。逃げ出すような進路決定はどっちにしてもいい結果にはならないと思う。与えられた環境下で最高の結果を出すという、極めて当たり前で当然な努力をまずはしてみないと。ね。

サイコロもって人生ゲームに参加する資格を持てるのは、そのあとだよ。
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