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2003年1月22日未明:スナックのママに・・・

今年に入ってから突如忙しく、かにこむメインコンテンツのここ「ヨタ話」もずっと放置状態であったのが新年唯一の心残りであったのだが、今年からこのヨタ話も少々スタイルを変えてお届けすることに。
どうっすかね?

新年早々、私の自宅の近く、東急大井町線の上野毛駅の近くに、とあるスナックを開拓。まぁ、ママが一人で切りもりしている(こんなこと言っては失礼かもしれないが)いわば町中のほんとうのタダのスナックって感じのそのお店は、気取らず気軽に入れるという点で、私の酒スポットにジャストマッチし、取りあえずボトルを入れた(リザーブ@1万円)。
以前(おっといつの頃だっていうツッコミは禁止する)は、六本木あたりで女の子がいっぱいいる店で飲んだりしたこともちょっとだけあったけど、ああいうお祭り騒ぎはもちろん楽しいんだけど、疲れるのも事実だ。自分で冷汗水鼻水涙流して稼いだカネで飲む酒であることを考えると、もっとマシなカネの使い道があるだろうと思うことも事実だ。

気楽にカウンターで一人飲める店はいいね。



二回目に行った時のママの言葉:『青木さん、あなた偉くなりますよ、必ず』



ほんまかいな?



まぁ、客にめんと向かって『あんたダメダメね』なんていうママは滅多に居ない(あるいはよほど仲良くなれば言われることもあるかもしれないが ^^))とは思うので、おそらくは100%ヨイショだとは思うケド、私は過去に同じようなことを、スナックのママとか、バーのマスターに言われたことが何度もある。みんなデフォルトで言われることなのだろうか。

『そんな、なにお世辞で気〜使っているんですか。俺なんか全然ダメっすよ』なんてなリアクションをすると、
『マジメですよ。こう見えてもこういう商売しているから、人を見る目はあるんですよ』



取りあえず今の私は、この言葉を信じて行きたい ^^)

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しかしながら「偉くなる」ということはどういうことなのだろうか。
少なくとも私に出世は無縁だ(だって脱組織した孤独人間だから)。そうなると、ある日突然ノーベル賞の田中さんのように世の中から評価されるのであろうか。しかしそれとて、「偉くなる」こととは違うと思う(そもそも俺にそんなことは起きるわけがない)。ちなみに、田中さんも自身で「ノーベル賞取ったからって急に私が変わる(偉くなる)わけではない」みたいなことを言っていた。いい人だね。

まぁいいやそんなことどうでも。

少なくとも、他の人に迷惑をかけずに、自分のやりたいことができて、そして、少しでもこの世の中の発展、みんなの生活の向上に貢献できれば、私はそれで満足なんだ。これだけは本当だよ。本心だよ。

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娘が突然英語を勉強したいと言い出した。

おいおいって感じだよね。未だ五歳だよ。英語がなにかもわかってないと思うけど、まぁ知らないことをなんでもやりたがるんだよな、子供って。
そりゃそうだよ。俺だって子供の頃は、知らないことはなんでもやりたがったもんな。でも、経済的事情か? かなりの要望は却下されたもんだよ。

ウチも家計収入はかなりキビシイ。でも、やりたいっていうことは原則なんでもやらせたい。
娘が言うのは、ベネッセの英語の教材のことなんだけど、取りあえず今日申し込んだよ。毎月カティーサーク4本分、ハイランドパークならモノによるけど常飲バージョン1本ぐらいの費用か。いいよ、パパ頑張るから。でもカティーサーク4本は惜しいな ^^)

私はどこかで書いたかもしれないけど、英語が本当に苦手だ。いや、苦手と言うよりも、もやはまさに『ダメダメ』だ。

今日は、新年早々の更新であることもあり、原稿書きで徹夜明けの日としては信じがたい夜更け(また連ちゃん徹夜か?)でさらに酔いも手伝って、私の英語の思い出を以下に綴ることとしよう。


私は高校の頃から英語がダメだった。つうか、厳密に言えば、英語の先生(しかも2年、3年生と担任)と相性最悪だったのだ。
この先生との話は書き始めるにはまだ年月が浅いのであと10年ぐらいしたら触れたいと思う。

当時、某県立の進学校(当時公立では学区内で偏差値トップ)に通って居ながらも、とにかくいろんな事情で英語がダメダメだった私は学校の英語の成績も最悪で、10段階評価で2とか3だった。だから当然大学入試でも大変な苦労をし、英語さえ出来れば世界征服も夢じゃ無かったのかもしれないと今でもたまにマジで思うこともあるぐらいだ。

しかし本当に英語で苦労したのは大学入試ではなく社会人になってからだ。いろんな仕事をして、だんだん責任あることをやるようになると海外出張も多くなる。私がサラリーマン時代、私が英語がまるでダメダメなことを知っていたハズの上司はなにをトチ狂ったか、私に一人でアメリカ出張を命じた。これは参った。こんなんなら、まだ火星に行けと言われたほうがいいって真剣に思ったものだ。

とにかくそんなんで英語が最大のウィークポイントでもあったので、できれば娘には、英語で苦労してもらいたくないと思うのが親心だ。

ま、そんな親心など微塵も理解していないとは思うが、まぁやりたいっていうんだから、いいっか。



話を高校時代に戻そう。



当時担任が英語の教師で、私が英語ダメダメだったことは先に書いた通りだ。

で、高校3年になると、進路の問題がある。私が行っていた高校は進学校なので、当然みんな大学に行くのがデフォルトなわけだが、私はできれば大学には行きたくなかった。なぜなら、勉強が嫌いだったし、専門校に行ってもっと実戦的なことを学んで仕事をしたかったという気持ちがあった。それになにより、家庭の経済事情という問題もあり、できれば早めに仕事したかったというものもあった。

しかし普段、私の人生に全く口を挟んだことのない父が、『大学だけは行け』と言ったのを今でも覚えている。

私の父は、学歴で結構苦労したらしい。もともと大工だったのだが、私が小学校に入ったかどうか、そのぐらいの時にいつのまにか背広を着て出勤するサラリーマンになっていた。なんでそうなったのかはいまだに謎のままであるが、まぁ折を見て聞いておきたいと思っていることではある。

話がそれた。

そう、元大工だった父がなぜかサラリーマンの背広人になって、仕事ぶりがそこそこ評価されて課長になったらしい。ちなみに勤務していたのは、当時もいまも東証一部上場している某サービス業の会社だ。でも、やはり職場では学歴社会的な面もあったらしく、もともと職人肌の父としても、いろいろ思うことがあったのだろう。

『大学だけは行け』と言ってもらえるのは嬉しい。しかし英語がこの有様じゃぁ、なかなか日本の大学には入れないなぁ・・・取りあえず今回受験するけど、たぶんどこも落ちるから、半分浪人覚悟で英語を少しはわかるようになろうかなぁ・・・などと漠然と思っていたある日、例の担任から、クラスメイトの面前で今でも忘れ得ない言葉が私に浴びせられた。

『青木、こんな英語の成績じゃぁ、到底今後は無理だな。大学は諦めろ。英語が全てなんだよ。わかってないなぁ。』

大学が無理って言われるだけならまだしも、到底今後は無理とはどういうことだ。私は言われた瞬間に、とにかく現役で大学に入ることを決心した。こんなバカ野郎に「英語が全て」なんて言われた日には、他の英語を真摯に教える先生達がかわいそうでならない。だいたい教師の言うことか? 時はすでに11月。入試はもう目前。こんな時期になってからの、私の受験対策がはじまったのだ。


まずは作戦だ。どんなことでも、目的を達成するには緻密な作戦計画が必要だ。


当時私が考えた作戦はこうだ。

・英語は捨てる。
 とにかく勉強したくなかったし、しても期間の関係から無駄だと判断。
・得意科目に集中する。
 数学と化学を集中的に復習することに徹した。問題集なんかは見ない。

これだけだ。そして、受験校は当然私立大学(これはちょっと学費的に親に申し訳なかったが)。国立は当時共通一次という大変な難関があり、到底突破は無理だったろう。また、同じ私学でも、受験三科目の合計点数で合否を判定されるところを選んだ。なぜなら、英語がゼロ点の可能性があるからだ。逆に言えば極端な話、英語がゼロ点でも数学と化学で満点取れば、大学側もさすがにびびって合格にするだろうという作戦だ(実際にはマークシートでシーケンシャルに判断されるだろうから、決して誰もびびることは無いものと思われる)。

数学と化学、物理は自分でも正直自信があった。当時学校内でも、私は理系科目についてはトップの成績であだ名も『教授』と呼ばれていた。また、たま〜に冷やかしで学習塾の全国学力テストなどを受けても、数学と化学だけはいつも90点以上(100点の時もあった)、物理で80点以上キープだった。偏差値で言えば70近いかそれ以上だ。理系科目だけを見ると早稲田や慶応あたりも余裕でターゲットになりえたのであるが、英語はマジで一桁台の点数であったこともあり、英語が入ると途端にどの大学も困難になる。

もともと私は平均的な人間では無く、なんとなくどっか特異というか、ニッチというか、とがったというか、そういう部分で生きていかないとダメそうだなぁというのは当時からわかってはいたので、不得意分野の克服で平均点アップなどという非生産的で無駄なことははじめから考えず、得意分野をとにかく伸ばすことだけを考えて受験対策を実施した。

その結果、なんと私学3校受験したうち2校に現役合格し、うちの1校に進学することになったわけである。

進学することになった大学の受験の自己採点だが、数学が97点、化学100点か98点、英語5点だ。可能であれば、私の受験結果を開示してもらいたいと今でも思う。


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そんな私の英語トラウマである。英語ができれば世界征服っていうのも、あながち大げさでないことはわかって貰えたと思う(って全然わからねぇよ ^^))。

でも一方で、どうなんだろう。英語ができたとしたら、私自身、逆にこんなにも理系に特化した体制にならないでもよかったかもしれないし、その結果、なんとなく平均的であまりおもしろくない人生になっていた可能性も否定できない。誤解のないように申し添えるが、あくまでも人生がどうのこうのっていうのは個人の問題であって、平均的な人生がつまらないと思うのは私であって、他の人にとっては平均的がおもしろいかもしれないし、そんなことはどうでもいいことなのかもしれない。また、平均的というのもなにをもって平均的というのかも個人の問題である。あくまでも私のしかも、『いまの時点での』主観である点は強調しておきたい。このような解釈はヨタ話全部のコンテンツに対して言えることだ。留意いただきたい。

話が逸れた。

そう。だから、英語ができたらどうだったか? なんてことはいまさら考えてみてもまさに「ヨタ話」なわけであり。一過性で決してやり直しのできない人生を歩む限り、なにがどうであっても、その命ある一瞬一瞬を一所懸命全力で生きるしかないなぁということになるのである。そして、そうして作られる自分史は、どんな結果であっても自分で納得できるものであり、なにものにも代え難い充実感を得られるものであると思っちゃうわけだ。

でもできればしゃべりたいよね、英語で。
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