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R-D1購入に際して
2004年9月25日 青木 康雄 / master@kani.com
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R-D1とはどんなカメラかと言うと、極めて乱暴かつ強引に、一言で言うならば、コシナが作っているベッサ-R2に、デジタル撮像システムを入れたものである。もっと乱暴に言えば、ベッサ-R2のフィルムが、CCDになっただけだ。さすがにAEだけは入っているが、AFなんか当然に無い。そして、採用するレンズマウントは、ライカMマウントだ。




私はもともと、クラッシックカメラ(*1)はかなり好きなほうで、今ではあまり精進していないが、独身時代は昼飯代を削ってまで(*2)資金を捻出し、昔のカメラやレンズを買っていた。その後結婚したり、子供が産まれたりして、生活環境も変化した。手元にやってきたクラカメ達をいじる時間も激減し、シャッターを切ることもままならず、死蔵状態になってしまいかわいそうになってほとんどのカメラを手放してしまった。しかし、家内と結婚する時に婚約指輪のお返しに買ってもらったM3のボディーと、一緒に買った由緒正しい沈胴ズミクロン50mmF2.0だけは手放すわけが無く、また、過去に精進したレンズたちも、場所を取らなかったせいか多くが生き残っていた。

戦後まもなく・・・西暦で言えば1946年頃・・・は、戦後の物資不足でカメラ製造も思うに任せない状態であったが、その後カメラの世界も驚異的な復興の波に乗り、1950年頃にはとてもしっかりした作りのカメラがこの世に現れ、機械的にも光学的にもひとつの完成の域に達していたものが多かったように思う。特に私が好きなのは、銀座の街に長蛇の列を築いたと言われるリコーフレックスVII型(現用中)と、日本のコンパクトカメラのルーツ、オリンパス35(お気に入りだったけど使わずで手放し。大後悔)である。

この時代のカメラというのは、当然のことながら駆動系は全てが金属性であり、また、機械仕掛けで動作しており、その仕組みも比較的シンプルなものである。いつでもどこでも、フィルムがあって、光があって、巻き上げさえすれば写すことができる。また、総金属製の機械仕掛け故、撮影者が行う操作は、物理的な振動やダイヤルの回転、レバーの倒れなどでその完了がフィードバックされる。当たり前と言えば極めて当たり前のことであるが、私にとってこれは、写真を撮る上で極めて重要なことであった。シャッターを押した瞬間にシャッターが切れ、レンズを通った光がフィルムに到達する。そして、ほんの一瞬が光跡となってフィルムに記録される。切れたことにより生じた機械振動が即座に手にフィードバックされ、音として耳にフィードバックされる。その振動や音は、私が設定した撮影条件・・・主にシャッター速度であるが・・・を反映したものであり、そのフィードバックを五感でキャッチすることで、私は考えることなく、本能的に意図した通りの動きをカメラが行ってくれたことを確認するのだ。
撮りたいシーンと自分が対面した時、シャッターを押すべき瞬間はほんの一瞬、たった一回のことであり、その瞬間を迎えるために精神を落ち着かせ、感性を高揚させ、感覚を研ぎすまして、待つ。そんな行為に応えてくれるカメラたちを私は好んで使ってきた。なんてたいそうなことを書いているが、結局撮っているのはお散歩ごみ写真ばかりだが。


    *1:昔のカメラを趣向する人たちは、中古カメラのことを、愛を込めてクラッシックカメラ(略して「クラカメ」)と呼ぶ。

    *2:その昔、商用ネットNIFTY-Serveの写真フォーラムで私は「我楽思案」というハンドルで会議室に、当時の精進記を投稿していた。昔のカメラやレンズに傾倒するあまり遂に昼食代が捻出できなくなり、毎日の昼食にかかせなかった大好物のワンタン(@100円)の購入すらガマンしてレンズやカメラに精進する姿勢が共感と感動を呼び、写真フォーラムの貨幣単位として「ワンタン」が制定された。換算レートは、1ワンタン=100円である。


最近の日常では、すっかり写真はデジカメになってしまった。これはこれで、素晴らしいことだと思っている。今まで、現像しないと絶対に見ることのできなかった撮影画像が、なんと写したその場で確認することができる。私は1995年にカシオのQV-10を見たとき(*3)、買ったとき、将来必ずこいつの画質は銀塩と同等にはなるだろうと確信した。と同時に、この便利さはあまりに画期的すぎであり、今の時代に生きていて本当によかったとさえ思ったほどである。


    *3:私がはじめてQV-10を見たのは、発売前のビジネスショウだ。「ぅおおお、なんだこれは一体!」というような感想だった。


そして、その後の技術の進歩、革新により、カメラもプリンタも高性能化が進み、家庭内でも写真屋さんに全くひけを取らない(どころか、質の悪いミニラボ店より遥かに高品質な)カラープリントができる時代になった(*4)。私は銀塩時代より、写真屋さんの現像上がりに満足できず、何度こちらの希望を伝えても印画紙に反映されないやるせなさに、さっさと見切りを付けて自室に暗室を設けてネガ現からプリントまで自力でやっていた人間なので、撮像系のデジタル化に期待するところは、ほんとうに大きなものがあった。


    *4:エプソンの「つよインク」家庭用写真画質プリンタの発売を持って、もはやそう断言してよい時代になったと確信する。


しかし、そんなデジタルの波に乗りながらも、どうも、こう、しっくりとこない点がずっと心の中にあったのも事実だ。

なんというか、こう、ただ単に、写真を撮りたくなるような気持ちを呼び起こしてくれるような製品が、なかなか、ない。

「ただ単に、写真を撮りたくなるような気持ち」というのは、運動会とか旅行とか、そういう行事に関連して「写真撮らなきゃ」ということでは無く、ほんとうに、ただ単に写真を撮りたくなる気持ちなのだ。意味も無くシャッターを切る。そんな感じに近いかもしれない。あるいは、写真を撮るために「旅に出なきゃ」。そんな感じな気持ちである。




QV-10から始まったコンシューマデジカメ市場。その後今まで、それこそ山のようにいろいろな機種が走馬灯のごとく出ては消えて行った。それらは全てにおいて、高画素化と銘打ったいわゆる画質競争を中心に、製品自体のブラッシュアップを含めた進化の途上であったとも言える。もちろん、要所要所に、その時点でのひとつの結論とも言える完成度の高いモデル、あるいはチャレンジ精神溢れるモデルがあったことも事実だ。それは例えばリコーのDC-1Sであったり、富士のDS-20であったり、オリンパスのC-1400XLであったり、ニコンのCoolPix900であったり。

当時はまだまだ銀塩に遠く及ばない画質に、まずは画質の向上を至上命題としたことは合理的な判断であったと思う。しかし、そういう小難しい話とは違う世界の議論として、単純に、「写真を撮る機械」として見た場合、私にとってはどうもこう、しっくりこない点があったのだ。

確かに画素数大切だろう。日本の景気の起爆剤として大きな期待を背負っているデジカメ市場。この市場にメーカーは、どんどん新製品を投入し、市場を活性化させ、お金を回転させるべく商業主義に走ることも決して悪い話では無い。そして私も、写真が好きでデジカメ好きで、画像処理が趣味であったこともあり、相当数(40台以上)のデジカメを買ってきた。しかし一方で私の気持ちとしては、本当に心の底から『これ絶対買いたい! 欲しい! これ買わないと俺は生きて行けないかもしれない!』と思って買ったデジカメと言うのは、カシオQV-10、リコーDC-1Sぐらいなもので、他の機種については興味本位だったり、解析目的だったり、「そろそろ高画素モデル買おうかな。どれがいいかな」みたいな消去法的選択でチョイスしたものであったりだ。だからそれが悪いというつもりは全くないし、また、消去法できるほど選択の幅が広がったと言うこともできるわけだが、こう、問答無用で地の底から湧き出てくる『俺はこれを買わねばならない』という、決定された状況に陥るべくカメラがしばらく無かったことも事実だ。




そこに、ある日突然、こつ然と姿を現したエプソンR-D1。


エプソンである。エプソンのデジカメは今回はじめて買った。エプソンと言えば、私のイメージは「PC国民機」。はじめて買ったメジャーなパソコンが、エプソンのPC-286STDという、80286を搭載したものだった(*5)。NECのPCシリーズと互換を謳い、かつ、低価格で売る。
そのつぎはプリンタだ。今流行のカラリオシリーズではない。時代は1989年だ。私は、機種はなんだか忘れたが、やはりエプソンの熱転写インクリボンプリンタを買って、PC-286STDにつなげて使っていた。
もちろんデジカメの世界に身を置くものとして、エプソンがここ数年、デジカメも作っているし写真画質プリンタでは技術、シェアともにトップを激走していることは知っている。しかし、まさかのエプソンR-D1。エプソンが、こういうカメラ出すとは・・・って感じで、正直驚いた。
    *5:私が買ったメジャーOS(MS-DOS)対応パソコンとしてはじめてのもの。それまでは、COMMODOREを使っていた。1989年のころの話。


しかしQV-10の時のように、発売日前から予約して購入準備・・・みたいな行動には、今回は出なかった。冒頭にも書いた通り、コシナが作っているベッサ-R2がデジタルになっただけである。しかもボディーのみで30万円。EOS Kiss Digital+レンズキット買って、メディアをしこたま買いそろえて信州に一泊撮影の旅に出てもまだおつりが来る額。Nikon D100だって余裕で買える額。昔のレンズを使って写真するのであれば、『今持っているM3で銀塩で撮ればいいじゃん』という考えも脳裏をよぎる。センサーも35mmフルサイズじゃないし。しかし、やっぱデジタル。RAWで撮れば誰にも邪魔されない、自分のトーンが再現できる。昔のレンズは結構持っているし・・・という感じで、要は、最もプライオリティーの高い要チェック項目に上がっていたというステータスを維持していたという状態であった。




そんな中、これまた突然に、R-D1実機を結構じっくりと、ゆっくりと、いじることのできる機会に恵まれることとなった(*6)。

R-D1を実際に触るのは今日がはじめてだ。実際に手にもって、電源スイッチを入れる。静かに、厳かに起動する軍艦部のアナログメータ。フィルム(じゃなくてシャッターチャージ)を巻き上げ、シャッターを押す。シャッターは、スイッチアクションでは無く、あくまでもシャッターストロークアクションである。押すとほぼ同時に切れるシャッター。フォーカルプレーンの動作ショックが心地よく響く。設定はAEになっていたが、おそらく1/15程度で切れたであろうショックが手と耳にフィードバックされる。


この時、私はR-D1を買うことになるだろうことを確信した。




たいそうR-D1を気に入ったようである私の姿を見て、突然にこの機会を用意してくれたお方は、R-D1を私が借りることができるよう、配慮してくれようとした。これは大変にありがたい話であるし、そのご配慮には本当に感謝している。しかし私は、こんなにも夢のある、写真を撮りたくなる、感性を高揚させるカメラの実在を知ってしまった今、買うことは避けられない道であることは当然であるし、また、このような素晴らしいカメラを無謀にも製品化してくれたエプソンに敬意を表する気持ちもあり、また、どうせ買うんだから、借りないでもいいやということもあり、そのご配慮には感謝しつつ、ご辞退申し上げた。そしてこの、初秋の、とある日、家に帰ると直ちにヨドバシドットコムでオンライン注文をしたのであった。


    *6:2004年9月某日、一泊二日で長野県諏訪湖のほとりにある、とある建屋内にて。


『ベッサ-R2がデジタルになっただけ』。

これは言えば簡単だが、しかしこれは本当に、とてつもなく大変な判断を強いられる、偉大で無謀なプロジェクトなのだ。

一応エンジニアの端くれの私がほんの数分考えただけでも、山のように問題点が出てくる。

一つ例を挙げて見よう。

R-D1には標準レンズというものが無い。現行品であり、入手容易なコシナ製フォクトレンダーレンズを一応リファレンスしてはいるであろう推測は成り立つが、しかし標準レンズが無いことにかわりは無い。また、こんなカメラ買う層は、普通とはちょっと違うと思われるので当然に戦前のレンズとかつけてくるに違いない。すなわち、どんなレンズが来るかわからない。すなわち、どんな光学特性をもったレンズが来るかわからん状態で、どうやってホワイトバランスの基準・・・もっと言えば、どうやってセンサーのRとBのゲインを決めればいいんだろうか。演色性の再現性確保は、何をもって基準入力信号とすればいいんだろうか。光学LPFだってそうだ。どんな解像力(周波数特性)を持ったレンズがくるかわからんのに、どうするんだ? わけのわからない昔のレンズを無理矢理はめ込まれて、後玉がカメラ壊したらどうする? などなど。




『どんなレンズが来るかわからん点は、レンズ交換可の一眼だっておんなじやん』と言われるひとがいるかもしれない。が、実はこれ、R-D1がおかれた状況とはまるで異なるのだ。そもそもレンズ交換可の一眼デジカメの場合、メーカーが保証する組み合わせの交換レンズ群については、だいたい同じような色特性になるように製品管理されている。そうでなければ銀塩ポジで困る。また、最近の一眼レフは、ある程度はどんなレンズが来たか信号ピンでわかるようになっているのである。これはそもそも、カメラメーカーが、自社のカメラボディーに適合する交換レンズ群ということでラインナップしているからであり、交換可能だが、それなりにどんなレンズがついているのか、カメラ側も知ることができるようになっているのだ。デジカメの場合どうしているのか詳細は知らないが、レンズごとに微妙にチューニングを変えることも可能だろう。すなわちレンズ交換可能なデジタルカメラは、交換できるからと言っても実はエブリバディーウェルカム状態では無いのだ。




幾多の困難があったに違いない。それを乗り越え(いや、単に強行突破しただけなのかもしれない)、製品化の経営判断を下し、あらゆるネガティブ要素に眼をつむり、よいところのみを追求した。その結果が、R-D1(*7)である。

私にとっては、これを買わずして、何を買うである。





『R-D1って、30万円もするけど、画質的にはどうなんですかね?』
『イオスキッスデジタルとどっちがいいかな?』


こういうことを思う人は、間違ってもR-D1を買ってはいけない。
それこそ、イオスキッスデジタルレンズキットを買って、信州デジカメ撮影の旅に家族で行ってもまだまだおつりがくるだろうから、そちらの道を選ぶべきだ。
旅行を我慢すれば、EOS 20Dだって余裕で買えるし、レンズそろえるの大変(高い)だけど、Nikon D70だって、D100だって全然OKだ。αデジタルだってレンズ一式そろえておつりコースだし、ペンタックスの*ist DSだったら、ボディーのみで3台も買えるぞ。


    *7:「やったもん勝ち」って話もある。が、一方で、こんなことやれるのはエプソンしかなかったという点も事実であり、エプソン以外の所謂カメラメーカーは、心して受け止めるべし(私はもはや、エプソンはカメラメーカーだと認知する)。


ここ数年ぶり、心の奥底から本当に欲しいと思って買ったデジカメR-D1。しかし今回は、衝動というよりは、ゆっくりと、厳かに、粛々と冷静にやってきて、高まってきた心の動きという感じであった。



2004年9月16日。R-D1はゆうぱっくにて、我が家にやってきた。





手近にあったクラカメを並べてみた。ぱっと見、このなかにデジカメがあるとは誰も思うまい。それほどまでになじんでいる。まぁベースがベッサR2なのだから、当然と言えば当然のことなのだが。

さんざん偉そうなことを言っている私だが、実はそんなことはどうでもよい。


さてと今日は、R-D1にロシアンレンズをつけて、お散歩写真を撮りに出かけるとするか。



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