Dec,31,'95 記

今年も一年が終わる。来年早々私は30歳だ。さて、どんな年になるか・・・・・・








宇宙人は必ずいる。私は昔からそう信じていた。エイリアンクラフトや謎の飛行物体のことではない。純粋に宇宙人の存在を私は感じていた。どこかで私を見ていて、観察している。観察して、どうしようというわけではない。宇宙のなかの地球、日本のなかの神奈川県のなかのただの民間人だ。私ひとりがどうなろうと、宇宙人にとっては関係ない。宇宙人にしてみれば、私ひとりがどうなろうと、我々の日常で池の中のゾウリムシが一匹死んだのと同じファクターだろう。



そう、人間一人、どうなろうが世間は動く。正直が正しいこととは限らず、正義が常に正しいとも限らないこの世の中で、普段はそれほど疑問を感じずに生活している。それほど・・と、書いたのは、誰だって、実は、心の中で、自分の行いについて、わかっているからだ。誰だって・・・なんて、書いたら皆に迷惑をかけてしまうね。あくまで私に限ろう。そう、私はそうだ。自分の行動が正しいか、正しくないか、自分で知っている。不思議なことに、正しいことをすれば、角がたつことが多い。こんなクダラネェ、バカみてーなこと・・・ってことを、いかにもすごそうなふりして実行すれば、あるいは、こんなこと、ありかよっていうようなことを、言われるがまま実行すれば、なんだかうまく世間を渡れる。くだらん。私は内心、そんな自分をくだらん人間だと思う。



一度、思いきり正しいと思うことばかりをしたことがある。とにかく、おかしい、理不尽なことは徹底的に指摘し、正しい道を歩んだ。相手がたとえ、自分と比べて誰であろうと、とにかくおかしいことは断固おかしいと貫き通し、決して結論を妥協しない。結果は悲惨なものだった。社会にはいろいろな人がいて、私のような若僧には到底理解しえない、しがらみのなかで生活している所謂偉い人がおおいらしい。無論、私の話しに耳を傾けて聞いてくださる偉い人もほんの数名いる。しかし、大半の偉い人は、行いの正偽の判断よりも先に、自分に降りかかる火の粉の量を見積るようだ。間違ったことでも、理不尽なことでも、仁義に反しようが構わない。とにかく自分が騒ぎに混ざりたくないので必死だ。あんな生き方でなにがおもしろいのだろう。人生、どうせ、どっちころんでも一緒ならば、私は思いきり、自分の信じる道を歩いていきたい。死ぬ瞬間に、生きててよかった・・・と、心の底から思える生き方をしたい。

あんな風になるのなら、偉くなってもしかたない。もっとも、偉くなりたいなんて思ったことは、正直言って一度もない。これはほんとうだ。偉いとはなんだ? 例えば会社でどんなに偉くても、外にでれば只のオッサンだ。そんな極めて些細な、どうしようもないことに対する執着心は全くない。世間を見据えて、正しい道を普通に生きる。私はこれで充分だ。満足だ。そして、わずかな自由になるおカネと時間で、なにか文化的な、無駄なことをしていたい。そう、無駄っていうのが実に重要な要素だ。生活に必ずしも必須でない。しかし、ほとんど必須でもあるもの。例えばカメラやそれで撮られた写真だ。カメラがなくても生きてはいける。しかし、私にとって、カメラは限りなく必須なものであり、それは文化的活動なのである。酒もしかり。酒がなくても生きてはいける。しかし、私にとって、酒は限りなく必須なものであり、酒をのむことは私にとって文化的活動なのである。無駄だけど無駄でない。 私は一生旅芸人で、流浪する。それでもいい。安定よりも変化、静よりも動を好む私は、一箇所にいられない人間なのかもしれない。鼻糞ほじってても飯にありつけるぬるい世界で理不尽とともに生きるか、命懸けで生と死にさまようがしかし、信じる道を生きるか。



今の私に、後者を選ぶ勇気はないのか。



だとしたら、私は旅にでなければなるまい。妻と2人、いつ終わるともない旅に出るのだ。

健康だとあまりピンとこないかも知れないが、私は明日という日がないかもしれないときを過ごしたことがある。そのとき、私は、過去の自分を後悔し反省し、そして世間に戻ったら、とにかく自分が信じる道を歩もうと思った。あのころの私はがむしゃらだった。そして一応、信じる道を歩んだつもりだ。ほんの数年だったが。充実した時間だった。

しかし、すっかり健康になった今、別に困ることもない。 そして、明日も当然あるであろう日々を生きる今の自分に、当時のハングリーさを求めるのは無理なのか?

たぶん、ほんのちょっとの勇気、あとは勢い。もちろんこの2者だけでは生きていけない。少しのカネもいるか。他の条件は、気合いと勇気と誠意さえあれば、多分なんとかなることだと楽観的に思う。甘いか? 世の中そんなに甘くないか? そこで笑うおまえにきいているんだよ。

人生一度きりだと思えば、相当思い切ったことをしないとおもしろくないもんね。



宇宙人はいないかもしれない。ふと、そう思った。自分を見ている宇宙人とは、もしや、自分自身だったのかもしれない。


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